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第46話「天秤」

 真っ暗な誰もいない部屋に俺は立っていた。

 見慣れたリビングルームの中、いつも使っているテーブルが置かれている。そこだけスポットライトが照らされているかのように光っていて、一つの銃が無造作に放り出されていた。

 銀色に光るそれはリリーナが使っていたベレッタだった。

 音も思考も何もない虚無の中、しばらく銃を見つめていた俺はゆっくりと銃身を掴む。首を回し目に映るのは一枚のドア。その先にあるのはリリーナとティナの共同部屋だ。

 見慣れた「ノックしろ。勝手に入室した者は射殺する」の張り紙を剥がして、俺はドアを開けた。灯り一つない薄暗い部屋でリリーナがベッドに座っていた。

 俺は彼女に何も声をかけることなく、ゆっくりと銃口をリリーナへ向ける。


 彼女が死ねば俺の刻印は消える。リリーナが死ねばティナは助かる。ここで撃てば俺もティナもこの世界の人達もみんな助かる。リリーナが死ねば……。


 パチンとセイフティが解除された音にリリーナは無反応で。止める素振りも見えない。

 ただその表情だけは笑顔を浮かべていた。


「ちゃんと狙え。眉間だ。せめて苦しむ事なく逝かせてくれ」


 彼女の白い手が伸びる。そっと自らの愛銃を包み込んでコツンと銃口を眉間に当てた。

 そして目をつぶって。口元は微笑みを浮かべたままだ。


「撃ちなさい。そして全てを手に入れて。映司」


 優しい声が響いたと同時に俺は引き金を引いた。

 手に響く反動と壁にべっとりと飛び散るリリーナの血。何度か嗅いだ硝煙の匂いと共に、額から血を流してリリーナがベッドに倒れる。

 不思議と心は穏やかだった。心臓もまるで動いていないかのように静寂だった。これで俺とティナは助かる。そんな思いだけがずっと頭の中に浮かんでいた。

 ゆっくりと銃口を下ろす。その時、俺を見つめる青い光に気が付いた。

 死んだはずのリリーナが目を開けていた。そのサファイアの瞳が冷たく輝いている。


「……これでお前も私と同じ殺人者だ」



 ◇ ◇ ◇



「うわああああっ!」


 大声を響かせて俺は悪夢から目覚めた。

 全身、汗でびっしょり濡れていて。心臓の鼓動が激しく体を打った。一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなって周りを見渡すが、そこは見慣れた自室だった。


 朝日が差し込んでいる。俺は深呼吸して息を落ち着かせるとベッドから出た。

 リビングに行くといつもいるはずのティナの姿はない。代わりに食卓におにぎりが二つ、ラップにくるまって置いてあった。無造作にそれを掴むと口の中へ放り込む。

 俺の好きな鮭のおにぎり。俺の好きな味付け。ティナは施設から出られないはずだから、これを作ったのはリリーナしかいない。

 食べていると昨日の彼女の顔が浮かんで涙が出てきた。今まで見た事もない悲しい表情に俺の心が激しく痛んだ。そして心にもない言葉を投げかけた事をとても後悔した。



 リリーナはあれから家に帰って来ない。

 スマートフォンに連絡を入れたけど通話には出なかった。コネクトは既読がついていなかった。赤坂さんなら居場所を知っているだろうけど聞いてどうするのか。あんな酷い事を言っておいてどの面を下げて彼女の前に姿を見せるのか。

 そんな冷たい言葉が返って来るような気がして。赤坂さんへの通話をタップする事ができなかった。


 あの温もりも俺を守ってくれた背中も今はもうない。自分で遠ざけておいてそれを求めるなんて俺は本当に馬鹿だと思う。そして彼女なら「ごめん」と言えば簡単に許してくれる。そう心のどこかで思っている俺は卑怯者だ。

 ただ会って一言、謝りたかった。信じるといいながら裏切ってごめんと言いたかった。



 そしてティナは銀狼が用意した施設に保護されている。一日一回だけ桐生さんの同席が条件で会う事ができた。

 彼女が休んでいる部屋は思いのほか快適そうで。キッチンもあって部隊の人に食事を作ることもあるらしい。仲良さそうに話すティナを見ていると「彼女を殺すために連れて来た」という感じは全くしない。

 桐生さんも言っていた。


「オレ達は人殺しの部隊じゃない。オレ達が銃を向けるのは自分を殺そうとする者と死神だけだ」


 あの日。ティナの過去を聞いてリリーナに酷い事を言ったあの日。

 俺はティナを部屋に寝かせると部隊の人に追い出され、ぼんやりと施設内の椅子に座って景色を眺めていた。

 その時、隣に座ったのが桐生さんだった。彼はポケットから煙草を取り出して「吸っていいか?」と短く俺に訊いてきた。

 無言でうなずくと桐生さんは口元をほころばして。煙草の先にライターで火をつけると、鼻につく煙草の匂いと共に白い煙が目の前に広がる。それはまるで俺の心の中みたいにどんよりと濁っていて、空気に溶け込んで消えていった。


「……リリーちゃんの奴は煙草が嫌いでなぁ。吸うと怒るんだよ。『髪に匂いがつく!』ってな。最初から匂いは嫌いだったみたいだが髪を理由にはしなかった。単純に『臭いから嫌』だったんだ。怒り具合も違う。最初は『やめろ』と怒るくらいだった。だけど最近はもう激怒だぜ。煙草に火をつけた時点でベレッタ向けられるんだぜ? 喫煙家には厳しい女さ」


「そう……ですか」


「ある時を境にそうなった。理由をそれとなく聞いてみたら、どこの誰だか知らないが褒められたんだとさ。『綺麗でカッコいい髪だ』って。ベレッタだって黒もあるのにリリーちゃんは銀色を選んだ。それは自分の髪の色と一緒だからだそうだ」


 桐生さんの話を聞いて思い出した。そういえばティナも以前、言っていた。リリーナの使うシャンプーなどの話だ。

 彼女が洗髪に使うシャンプーやコンディショナーは最初、メーカーとかそんなの一切、気にしなかったらしい。だけどある時を境にかなり選り好みするようになったらしく、実は結構、高価なものを使っているそうだ。

 リリーナは以前は気にしない……いや、もしかしたら嫌っていたかもしれない銀色の髪を労わるようになっていた。そしてそれは俺の言葉が原因なのかもしれない。


「彼女はな。たぶん近年、稀に見る一途な女なんだよ。そんな奴が自分の行動や思想にまで影響を与える男が惚れた女をむざむざ殺すと思うか? その男が激しく傷つくのを黙って見ていると思うか? リリーちゃんはそんな事しねぇよ」


 桐生さんはそう言うと俺の肩をポンッと優しく叩いて。椅子から立ち上がりどこかへ行ってしまった。

 その背中を見送った後、俺はまた窓の外を眺めていた。


 桐生さんの言う通り、彼も赤坂さんもティナを殺すためにここへ連れてきたわけではないんだ。むしろ保護するのが目的なんだろう。だけどティナが死神の依代であることが判明した以上、どういった手段に出るのか予想がつかなくて不安だった。

 信用していないわけじゃない。それに俺にどうこうできる問題でもない。

 だけどあの死神を目の前で見た俺だからわかる。あれほどの死の恐怖を間近で感じた時、部隊の人が咄嗟に銃を向けてしまう可能性もあるんじゃないか。そしてティナを撃ち殺してしまうんじゃないかって。


『私は……ティナを無力化する』

 

 リリーナの言葉が再び脳裏によみがえる。

 彼女はきっと俺のことを最優先に考えている。それならたとえ家族であろうとも俺を助けるためにティナを殺そうとするかもしれない。それで俺に非難されようとも歯を食いしばってひたすら耐えて実行するかもしれない。


 すべての思考がぐちゃぐちゃに絡み合って脳内で激しく暴れ回る。

 俺の命とティナの命。それを天秤にかけて俺はどちらを選ぶんだろうか。リリーナは俺を選ぶのか。そしてティナは……。


『わたしの取る道は同じなのに』


 ティナはすでに自分の未来を決めているのだろうか。


 俺は両手を目の前で広げてみせた。

 それぞれの手に俺の命とティナの命が重くのしかかっているような気がした。


 この両方を掴む手段は、今の俺にはない。

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