第39話「悲劇を告げるアメジスト(side リリーナ)」
私はため息を吐き出すと椅子の背もたれに体を預けた。
ふと時計を見ると深夜の一時を回っている。暗い室内にはモニターの光だけが差し込み、テーブルの横には赤坂が持ってきた差し入れの残骸が転がっていた。
カツ丼だ。というか女子にその差し入れはどうなんだ赤坂。「君にお似合いだろう」ってそんなにひょろひょろに見えるのか、それとも女子力がないことを暗に馬鹿にしているのかどちらだ。
ただこのカツ丼。実は初めて食べた。漫画とかで取調室で容疑者に警察官がおごるイメージがあったが、食べてみるとこれが美味しい。サクサクのカツをダシに浸すなど愚行だと思っていた私の概念が完全に排除された瞬間だった。
結果的にはカツ丼にめぐり合わせてくれた赤坂には感謝している。値段はいくらか知らないけど。
モニターに映し出されているのは動画オタク菅原が撮影していた「死神戦」の映像だ。
あの憎たらしい顔をそんなに眺めた事がない私は、些細な点を見落としている可能性がある。そう思いじっくり映像を観察していた。
結果、何も得ずただ時間だけが過ぎていき、シオンのデカい胸と憎たらしい顔を眺めるだけのストレスマッハな鑑賞会となってしまった。
その時、スマートフォンが振動する。見ると着信の相手は映司だ。
テーブルに置いてあったお茶を一口飲んで、通話をタップ。
『リリーナ。生きてる?』
「なんだ映司。寂しくなったのか?」
『いや遅くなるとは聞いてたけどさ。ふと目が覚めたらまだ帰ってないから少し心配になって』
その声を聞いて思わず顔がほころんだ。何より心配しているという事実が嬉しく思えた。
しかし今は深夜だ。本来なら映司も寝ているはず。それを考えると笑顔が消え、私の胸の中がキュッと締めつけられた。眠れない不安な夜に私がそばにいられないから。
少し唇が震える。それを無理矢理抑え込んで。彼に余計な心配をかけさせたくない。
「映司。眠れないのか?」
『ちょっと……な』
「いいぞ。このまま会話していても。できることなら添い寝してやっても……」
『え?』
映司の少し驚いた声でつい本音が出たのに気が付いて。
「じょ……冗談に決まっているだろう。いかがわしいことを考えるなよ、へ……変態」
急いで誤魔化した時に映司の「だよなー」という呑気な声を聞いて、急に寂しさが募ってくる。
アフトクラトラスにいた時は、一人の夜なんて当たり前だった。寂しさなんて感じることはなかったし、むしろ一人のほうが気楽なくらいだった。五大貴族である「エスペランス」家に居候を始めた時だって、食事と寝るだけで「家族」という感覚とは無縁だった。
だけどこの世界に来て、映司やティナと生活を始めて。家族という慈愛に満ちた暖かみをはっきりと感じた。正確に言えば思い出した。
そしてその包み込むような温もりがない一人の夜が今は、凍えるほど寒く感じてしまう。昔の私なら「軟弱者」と一笑した事だろう。だが人はその温もりの中で生きるべきだ。昔の私はそれがわからなかった。忘れていた。
冷えた手をギュッと握って。映司の温かみを思い浮かべた。
「ティナはもう寝た? って当然か」
『ティナはいつも十時には寝るからな。というか今日、目の前で泣かれて大変だった』
泣かれた?
そのキーワードで脳裏に浮かぶのはアメジストのピアスだ。
「当ててやろうか? ティナはアメジストのピアス、無くしたんだろう?」
『あれ、なんで知ってんの? それそれ。ごめんなさいって何回も言いながら頭下げててさ。一緒に探そうと思ったけどいつ失くしたかわからないっていうから探しようないし。また買ってあげるよっていったらまた泣くしで、もうなだめるのが大変だった』
「ティナにとってそれだけ大事なものだったからだろう。しかしいつ失くしたかわからない……か」
『そうそう。っていうか俺ふと思ったんだけど。ピアスってすぐ外れるものなの?』
「うん?」
『いつ失くしたかわからないって言うんならどこか出掛けているときに落としたって事だろ? 普段から付けているんなら家のどこかにありそうなんだけどなぁ』
その映司の言葉が引っかかって。自分の記憶を探る。
ピアスを入れる穴は私が開けたが、針を通した先でしっかりピアスキャッチで固定するから簡単には外れない。取り付けも私がしていた。最後に付けたのは確か……映司の夏休みが終わった頃だったはずだ。そう。死神による二度目の襲撃の日。「映司君に見せたい」と赤面しながら語っていたのを今でも覚えている。
しかしその後……私は外した覚えがない。彼女は取り付け方も外し方も知らないはずだから、自分で取り外ししていた可能性は低い。
『実家に行った時、落ちたのかなって思ったけどティナに聞いたらその時、付けてたかどうか覚えてないんだって。数日前にふと思い出したみたい。話を聞いているとなんか途中で記憶が飛んでるみたいに感じるんだよな』
「……映司。今、なんて言った?」
『え? 記憶が飛んでるみたいに感じるって……』
私の脳裏に遠くを見つめる濁った瞳のティナが浮かび上がる。
もし私がピアスを付けるのを手伝ったあの日以降、ずっと付けていたのなら。どこで行方不明になったかはわからないが最初に付けた日から一か月以上、彼女は「付けたつもり」になっていた。そんな事あり得るのか?
まるで「ピアスの記憶だけがない」かのように。普段、髪を梳く時もお風呂に入る時も彼女の目にピアスは「映っていた」のか?
耳……。普段、髪に隠れて見えない部分。紫色のアメジスト……紫色?
その時、脳裏に閃光のごとく駆け巡ったのは、死神シオンが映司の銃弾によって上半身を吹き飛ばしたあの瞬間だった。
「映司! 切るぞ!」
『え、ちょっとなんだよ急に』
彼の返事を待たずして私はスマートフォンの通話を切るとテーブルの上に放り投げた。そしてモニターに食らいつく。
目の前でめまぐるしく画面が変わる中、心の奥底である恐怖が沸き上がっていた。私の脳裏に浮かんだ答えが「真実である」ことへの恐怖だ。
こんな事はあってはならない。思い違いであってほしい。
だが私のそんな願いは、完膚なきまでに打ち砕かれた。
震える。体全身が凍えるように。背中を針で刺されているかのようにザワッと悪寒が駆け上がる。
「なんで……なんでお前が……これを付けている……」
モニターに映し出されているのは死神シオンの画像。
その左耳には、アメジストのピアスが光っていた。




