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第3話「性悪女」

 君は何故、刻印をつけている?


 その言葉が聞こえた時、俺の脳裏にあの女が浮かび上がった。死体の血で濡れた口元、血のように赤い瞳。そして頭の上に浮かぶ数字……。

 忘れたはずなのに。あの女だってあれから会わない。数字だってその意味が何なのかはっきりしないんだ。考えるだけ無駄だと思っていた。でもそれはティナに出会って彼女のことで頭がいっぱいで忘れたつもりになっていただけだ。

 今、目の前にいるリリーナという少女がはっきり言った。『刻印』だと。消えかけてた恐怖が、不安が一気にこみあげてきた。夢でも幻でも何でもない。あの出来事も頭の上に浮かぶ数字も現実だ。

 死ぬかもしれないんだ。


 俺は手にしたノートを地面に落とし彼女の細い肩を両手で掴む。


「あ、あんたこれ知ってるのか!? 突然、女に襲われて頭の上に数字が……」


 その時、両手に響くのは鈍痛。見えない何かに弾かれるように俺の手が払いのけられる。

 彼女は何も動いてなんかいない。痺れる手に驚く俺をただ青い瞳が見据えているだけだ。


「きやすく、さわらないでくれるか。きみが、このせかいでわたしとの、せってんになっているのは、りかいしている。だが、さわられるのをよしとするほど、きみに、こころはひらいていない」


 まるで自分以外を一切、信用していないような、そんな冷たい言葉だった。

 その態度に苛立ち言い返そうと思ったが、彼女から発せられる全身を刺し貫くような圧力に言葉が出ない。落ち着こうと一度、深呼吸をしてゆっくり彼女に話しかけた。


「突然、触って悪かった。でも困っているんだ」


「ふむ。だが、わたしもこのせかいはなにもしらない。まずはことばを、おぼえたい。はなしは、それからだ」


「家にいくと君と同じ世界からきたっぽい女の子がいる。詳しくは俺もわからないけど、話してみてくれないか?」


 まるで腫物を触るようにゆっくりと丁寧に語り掛ける。目の前の少女がガラス細工のように思えてきた。

 ちょっとでも強く触ると砕けてしまう。だけどその破片は鋭くて俺を切り刻むんだ。

 

 彼女は考えているのか黙り込んでいる。癖なのだろうか。白魚のような手を口元に当てていた。

 勝手なイメージだが、男の部屋に上がりこむかどうかで悩んでいる印象は受けない。俺の提案が自分にとってメリットになるかデメリットになるか。それだけを思案しているように思えた。

 しばらくするとようやく決心がついたのか、リリーナは顔をあげた。


「わかった。きみのいえにいこう」



 ◇ ◇ ◇



 リリーナとかいう性悪女を連れて帰宅すると、そこには満面の笑みを浮かべた天使がいた。

 もうその笑顔だけで全てが癒された。吹き飛んだ。リリーナの冷たい態度も刻印とかいうふざけた数字も全てが溶けて消えた。

 ティナの笑顔って本当にすごい。

 

 リリーナはそんな彼女を見て驚いた様子だった。向こうの言語で何かを呟いていたが、すぐに自らそれを否定するように首を左右に振っていた。

 ティナが彼女の知っている誰かに似ていたのだろうか。リリーナについて何も知らない俺には彼女の行動の意味が理解できなかった。

 

 その日の夜。ティナとリリーナはずっと向こうの言語で話し込んでいた。

 普段、文通しているティナが流暢に会話している様子は新鮮だった。綺麗な声が飛び交っていると本当に小鳥がさえずりあっているようなイメージがわいてくる。

 何の会話をしているか解析ノートで解読しようかとも思ったが、楽しんでいるようだし無粋な真似はやめた。リリーナはティナから普段使うシャワーとかトイレとかの使い方を教わると、国語辞典を持ち出しひたすら読みふけっていた。


 俺は邪魔しちゃまずいと思って早々にベッドに入ったが寝付けず、夜中に目が覚めた。

 リビングに小さな灯りがついている。見ると国語辞典を握りしめ、リリーナが居眠りをしていた。


 今日、出会ったばかりの性悪女。だけどその寝顔はいつまでも眺めていたいほどの可愛らしさに溢れていた。あの冷たさの欠片も感じない。

 何歳か聞いてないけど見た感じ十四歳くらいだと思う。そんなあどけない少女が何をするにも打算的に物事を考えて行動し、時に冷たくあしらい、誰も信用せず生きてきたのだろうか。

 彼女がいた世界は、十四歳程度の女の子がそんなことをしなければ生きていけない世界だったのか。

 もしそうならせめてこの世界は……俺だけは優しくするべきなんじゃないのか。


 俺は寝ているリリーナにそっと毛布をかけると自分のベッドへ戻った。


 翌日。寝付けなかったせいか起きたのは昼過ぎだった。今日が祝日で本当によかった。

 リビングにいくとそこには奇妙な人形が立っていた。黒のパーカーにデニムのジーンズで装ったリリーナの姿だ。もちろん衣服は昔、俺が着ていたものだからサイズが合わず、袖は萌え袖なんてものを通り越しだぶだぶで垂れ下がり。ジーンズにいたってはベルトで細い腰に無理矢理巻き付けている状態。当然、裾もだぶだぶで足元が見えない。

 そんな彼女は、俺を見るなり長い袖で見えない手を少し上げ、「おはよう」と流暢な日本語(・・・・・・)で言った。


「あぁ、おはよう……って、え?」


「なんだ? 私の日本語に何かおかしいところはあるか?」


「いや、すげぇ上達したなぁって、びっくりしてた」


「幸い、私がいたアフトクラトラスの言語に発音が似ている」


 アフトクラトラス。聞かない国名。おそらくリリーナやティナがいた世界の国か。


「おそらくティナもすぐに覚えるだろう。……ところでさすがにこの服だとサイズが合わない。もっと小さな服はないのか? ティナの服をわけてもらおうと思ったが彼女もそんなに持っていないらしくてね」


「あぁ、ティナにはワンピース数着しか買ってないからなぁ。それじゃどうせ休みだしこれから買いにいこうか?」


「助かる。できれば二人がいいな。君もそのほうがいいだろう?」


 リリーナが俺を見つめる。そのサファイアの瞳はすべてを見透かしているかのようだった。

 俺はその時、理解した。これは口実だ。服を買うのにわざわざ「二人で」と念を押したのは、ティナに聞かれないためだ。仮に日本語を理解できていなくても、口調や雰囲気で察してしまうかもしれない。彼女はそんな状況になるほどの冷酷な話(・・・・)をしようとしている。

 間違いなく「刻印」の話だ。


「んじゃ今すぐいこう」



 ◇ ◇ ◇


 

 家の近くに「マルシェ」という名前のファッションセンターが一軒ある。ティナのワンピースを買ったのもここだ。

 男性物は少なく主に女性用の服と日用品を扱っていて、値段も安い。もっとおしゃれな店ならショッピングモールにいけばあるけど、あまり人ごみは嫌だというリリーナの意見を考慮してこの店にした。


 金なら出すよと言うと一瞬、リリーナが口元に笑みを浮かべたのを見て「やらかした」と思った。案の定、俺は買い物カゴに大量に詰め込まれた服やら何やらを見て蒼白となる。

 なんとか持ち金で足りたので一安心。ありがとうおばあちゃん。助かったよマルシェ。


 両手に買い物袋を下げ、俺とリリーナは帰り道を歩いていた。

 リリーナは早速、買った服に着替えていた。春らしい水色のパーカーにデニムのジーンズというボーイッシュな服装。水色も銀色の髪とよく合っていた。

 だが隣を歩くリリーナとは一人分、離れている。これが彼女との心の距離だ。


「……ところで」


 突然、リリーナが話しかけてきた。チラ見すると目線を合わそうとせず無表情で前を見ていた。

 陽光に照らされた銀色の髪はとても綺麗で。だけどその表情からは冷たさがにじみ出ている。


「君に刻印をつけた奴について知りたい。そいつは女じゃないか?」


「女だった」


「黒髪で、目が赤い?」


「そうそう。んで背がちょっと高くて黒いドレスみたいなの着てて……」


「胸もでかかっただろう?」


「そんなの見てる余裕なかったけどスタイルはよかった気がする」


「……最悪だ」


 リリーナは吐き捨てるようにそうつぶやくとため息をついた。

 どうやらあの女に面識があるのは確かなようだ。それもかなり険悪な関係で。

 彼女は立ち止まると俺を見つめる。その表情には明らかに嫌悪感がみなぎっていた。


「その女の名はシオン・デスサイズ。頭のイカれた死神だよ」


「死神って……!?」


「文字通り生を貪り死をばら撒く女だ。君につけられている刻印は、詳細は知らないが奴への生け贄と聞いた。頭の上に浮かぶ数字は残り日数。それがなくなれば君は死ぬ」


 死神。生け贄。やっぱり俺は死ぬのか。

 なんとなくわかっていたことだけど、実際に言われるとショックの大きさが違う。でも何故か泣き出したり絶望したりといった感覚はなかった。むしろどうしていいかわからず茫然としていた。


「あの一件でまさか奴まで転移していたとはな。本当に運が悪い。これで私が何をするべきか決まったな。早々に帰る方法を見つけなければならない」


「帰る? 元の世界に?」


「そうだ。あの女は間違いなく私をつけ狙ってくるだろう。今、会えば殺される。その前になんとしても戻らないと」


「ちょっと待ってくれ! それじゃ俺の刻印ってやつはどうなるんだ?」


「知るか。自分で何とかしてくれ。どのみち今の私は無力だ。君を守ってる余裕などない」


「はぁ!? いくらなんでもそれはひどくね!?」


 刻印の正体を知った以上、俺は必死だった。

 リリーナは間違いなく鍵となる人だ。彼女が俺の生死を握っている。そんな気がしてならなかった。


「世話になっているし助けてやりたいのはやまやまだが、私は私自身の命を何よりも優先する。死んでは何もできない」


「それは俺も同様だと理解してるか?」


「しているさ。だがさっきも言った通り、今の私は無力なんだ。あのクソ女を退ける方法がない。何せ精霊魔法がこの世界では使えないからな」


 魔法。ファンタジー世界の定番。俺が好きだったラノベやアニメにも登場していた憧れの幻想世界の礎が目の前にある。

 妄想でしかなかったそれが、もしかしたら見られるかもしれない。刻印のこともあり興奮状態になった俺はリリーナへ食らいついた。


「魔法って……あんたそれ使えるのか!?」


 その時だ。俺の耳に「見つけたぁ!」という怒気のこもった男の声が響く。

 見ると目の前に一人の男が立っていた。その顔に見覚えがある。昨日、椋見駅でリリーナに吹き飛ばされた男だ。


「あんた、探してたんだよ! このメスガキが! 軽く触っただけで俺を吹き飛ばしやがって!」


 頭の中に走るのは危険信号。男の目に狂気を見たからだ。

 案の定、男の手にはナイフが鈍い光を放っていた。声に振り向いたリリーナは俺とその男に挟まれた位置に立っている。表情は見えないけど、刃物を相手に固まっているはずだ。

 素手じゃナイフには勝てない。だけどリリーナは今、無力だと言った。刺されたら痛いだろうし下手すれば死ぬ。

 正直、怖い。だけど女の子を置いて俺だけ逃げるわけにはいかない。


 リリーナを守るため前に出ようとしたその時、俺は見た。彼女の人差し指が立っていた。まるで何かの合図であるかのように。

 

「敵対反応、確認。……死ね」


 彼女の指が音もなく左を指差した。

 それと同時に一台の誰も乗っていない大型バイクが、リリーナの目の前を猛スピードで横切った。それは男の頭部を直撃し体ごと壁に叩きつける。

 

 ビクンと痙攣しながら頭が潰れた男は、すぐに動かなくなった。

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