第38話「依代(side リリーナ)」
秋も深まる十月。吹き抜ける風にも少し寒気を感じて。夏の気怠さは一気に吹き飛んだ。
私はデニムのジャケットを羽織って椋見市内の街道を歩いていた。方向音痴の私ですら迷わなくなるほど通い続けた道。銀狼本部への「通勤」ルートだ。
見上げる空は澄み切った晴天で。しかしそれとは対照的に私の心は少し淀んでいた。
映司が「死者の叫び」を聞いても体に異変が起きなかった時点で、彼には魔法耐性がある、つまりその流れる血に私と同じ世界を生きた人間が混ざっていると仮説を立てた。それを実証するために彼の実家へと赴いた。
そこで判明したのが死神シオン・デスサイズの体が映司の母親だった事だ。シオン・イティネルとあのクソ女がどこで巡り合ったのか、私には想像もつかない。ただ動画で撮影した死神の姿を見せた時、映司の祖母「佐久間さな恵」さんが「シオン・イティネル」だと断言したから間違いではない。
私にとって最も問題だったのは映司のほうだ。
正直、シオン・イティネルという人物に対して何も感慨がわかない私にしてみれば殺す事に何の抵抗も感じない。映司を助けるためならばその首でも簡単に落とすことができる。むしろ何度も見ているクソ女の顔なのだから、叩き潰したらせいせいするくらいだ。
だが映司は違う。イティネルは彼の実の母親なんだ。心が温まるような優しさは映司の良いところでもあるし私の心の拠り所だ。だけどそれが仇となる時もある。
彼がもし自らの母親を無力化することに抵抗を感じるなら。そして私に「殺さないでくれ」と嘆願するなら。私は彼になんと言っただろうか。躊躇することなく死神の頭に銃弾を撃ちこむ事ができるだろうか。
結果的にとり越し苦労で終わりだったが、完全に迷いを捨て切っているとは限らない。たとえ自分の命のためとはいえ母親の体を破壊することに抵抗感がないわけがない。それが後に悪い影響にならなければいいが。
それとティナの様子も少しおかしい。
相変わらずの天然ぶりはそのままだし、どこをどう見ても可愛らしいティナそのままだ。映司の目にもそう映っているに違いない。
だが時より遠くを見つめるような濁った目をする。まるでその時だけ「別人になった」かのように。
あの「佐久間裕司」の部屋で映司に抱きついた時。その時に感じた視線は誰だったのか。
家にいたのは私と映司、さな恵さんとティナだけだ。本当に人外の化け物が徘徊しているならとっくに索敵の目に引っかかっている。
少なからずさな恵さんではない。振り向いた直後、ほんのわずかだが走り去る音が聞こえた。その音のテンポ、速さから齢八十を超えたさな恵さんだとは到底、思えない。消去法で考えるとあとは……ティナしかいない。
さらに彼女は記憶がない。最初は転移の影響だと勝手に思っていた。だがもしかしたら違うのではないか?
転移の影響で少なからず本人の記憶に支障が出るのならば……。
何故、私は一切、記憶を失っていない?
同じ状況で私とティナで違いが出ている。この差異はどこから生じている? それと最近の彼女の変化は何か関係があるのか?
憶測にすぎないが、もしかしたら彼女はすでに記憶を取り戻しているのかもしれない。その記憶が彼女を変えた。変化させるほどの忌まわしい記憶なのか。
そして今朝の出来事だが映司がティナにプレゼントしたあの「アメジストのピアス」が無くなっていた。普段は長い金髪で見えないがたまたま耳元が見えて。そこにあのピアスがなかった。
私は「あのピアス、どうしたの?」と聞くと彼女は突然、おろおろしはじめて。話を聞くとどうやら「知らないうちに無くしてしまった」らしい。
「せっかく映司君がプレゼントしてくれた大切なものなのに……わたしったら……」
と今にも泣き出しそうで。耳につけていて何かの拍子に落ちたのか、それとも外していてどこかに消えたのか、彼女本人にも覚えがないらしい。映司がいない時に懸命に探したが結局、見つからないそうだ。
映司に言うべきか言わないべきか悩んでいた彼女に「言ったほうがいい。別に彼は怒ったりなんかしない」と諭した。ドジッ子なところがあるティナなら確かにありえそうな話ではあるが、このところの変化と合わせて私はどこか引っかかっていた。
それら全てが不安と共に頭の中を駆け巡って、どうにもスッキリしない。この蒼穹のように澄んだ気持ちで生活できる日が戻るのだろうか。
「またあのグッズショップ、映司と一緒に行きたいな」
ボソッと私は一人、そうつぶやいた。
◇ ◇ ◇
休暇が明け、久しぶりに開けた隊長室の扉。その向こうで赤坂と桐生の姿が見えた。
相変わらずの黒いスーツにスクエア型の眼鏡をつけた赤坂は私が入室しても特に動きはなく。対照的に桐生は「お、少し色っぽくなった?」などど薄ら笑いを浮かべている。こっちも変わらず殴りたくなる顔だ。
「なんだ? おっさんにも女子の些細な変化がわかるのか?」
「何となくだよ。なんとなく」
まぁおそらく軽くだがメイクしているからだろう。もっとも映司ならともかく桐生にそれを言われても嬉しくもなんともないのだが。
「休暇中は彼氏の実家に行ってたんだっけか」
「相変わらずプライベートもへったくれもないな。残念ながら桐生が喜びそうなネタはないぞ。だが赤坂の眼鏡を動かす話はある」
「聞こうか」
私は椅子に腰かけると赤坂に映司の実家での話を聞かせた。
死神の体が彼の母親であること、そして死神はその姿で何食わぬ顔をして人の生活に潜伏している可能性があることを。
シオンはこの世界に来た時、赤坂の妻子を食べている。それにより知識と言葉を得て、さらに自らの体となっているシオン・イティネルの記憶があると仮定すれば、この世界の生活に溶け込むのは容易なはずだ。あの女がそんな面倒な事を進んでするとは思えないが、二度目に現れるまでの期間を考えると潜伏場所が必要なのは確かだろう。
赤坂はそれについて「警察の協力を得て似た容姿の女性を探していた」という。結果的には見つからなかったそうだが、奴は馬小屋か下水道で寝ていたのか?
「その程度なら推察の余地は当初からある。私の眼鏡を動かすには至らないな」
「ここで終わればな。だが奴の体はご存知の通り砕け散った。あの時とは状況が違う」
「と言うと?」
「奴を吹き飛ばした時、確かにそこに魂はあった。だが私が意識を失う寸前にその気配は消えたんだ。赤坂。その魂はどこへ行ったんだ?」
「リリーナ。何が言いたい?」
「奴の魂の受け入れ先がこの街のどこかにある。それが物か人かはわからない。ただ言わば依代のようなものが存在し、奴はそこで体を再生しているというのが私の考えだ」
魂だけで肉体は再生できるかもしれない。だがそれではあの場から逃走した理由が説明できない。可能ならばあの状況は私を仕留める絶好のチャンスだった。
時間がどれくらいかかるかわからないが、再生するのに依代が必要なのだと仮定すれば今、現在は依代内に潜伏し体力を蓄えていると考えるのが妥当だろう。
依代から出て活動するのか、依代を内包していて死神へと変化するのかは不明だ。ただ変化するのならば元の体は死神と一体化しているわけだから、奴が破壊された時点で依代も同様の結果を辿るだろう。だとすれば前者か、もしくは両方の特性を持っているかだ。
ただあくまで仮定の話だ。私の想像を上回る仕組みを奴は持っている可能性も十分にある。
「わかりやすく依代と命名しよう。つまり依代を我々の手で抑えることができれば死神に強烈な一打を与えることができる。君はそう言いたいわけだな?」
「そういうことだ。雲を掴むような話だが無意味ではない。それと私なりに色々、確認したい事もある。映像資料室を借りるぞ。過去に撮影された奴の映像を漁りたい」
「わかった。こちらでも手を考えよう。何かわかったら連絡を」
私は挨拶代わりに軽くウィンクを飛ばすと席を立った。その時、赤坂の顔がふんわりと緩む。
なんだその顔は。私だって女らしくなろうと少しは努力しているんだ。鼻で笑うな。
心の中でぶつぶつ言いながら部屋を出る。その時、中から桐生の声がした。どうせ私のことでもからかっているのだろうと耳を立ててみると、予想とは違い彼の鋭い声が響いていた。
「なぁ。赤坂。どうするつもりだ?」
「どうするって? 桐生さん。もう少し具体的に言ってくれないか?」
「リリーちゃんの話が事実だとしたらどうするんだって聞いているんだよ」
「依代の話か……」
「彼女の言う依代が、もし人間だったらどうするんだよ? 言っとくがうちの隊は人殺しの部隊じゃねぇぞ。赤坂」




