第37話「選択」
おばあちゃんが用意してくれた料理はとても豪勢なものだった。
刺身、天ぷらなどがたくさん盛り付けられていてどれも美味しかった。この日のためにおばあちゃんはいろいろ準備してくれていたようだった。それとティナも手伝っていたらしい。
当の本人は用意ができたからと俺達を呼ぼうとしたが迷って屋敷内をうろうろしていたようだ。遅れて食卓に到着したティナは、恥ずかしそうに顔を赤らめて何度も謝っていた。
食事の後は一人で入るにはあまりに大きすぎる風呂でくつろいで。その後、俺はティナやリリーナと一緒に縁側に座って空を眺めていた。
今日は綺麗な満月が輝いているから、お月見でもしようとなったわけだ。俺とリリーナの手にはみたらし団子があって、もちろんティナは好物であるよもぎ団子だ。
右にティナ、左にリリーナと挟まれた形になっている俺はまさに両手に花だ。見るとリリーナはあれだけ天ぷらやら刺身やら食っていたのに、団子をもう二本平らげている。どんだけ食うんだコイツは。
話す内容は「月が綺麗ですね」といった他愛のないものだった。ただティナが何気なく言った一言が俺に重く圧し掛かった。
「来年もこうしてみんなで見たいですね」
ティナは刻印の事を知らない。
来年に再び実家でお月見をするには俺は生きていなければならない。もちろん死ぬつもりはないし、刻印を解除してまた来年もこうして三人でお月見をしたいと思っている。
だけどティナの言葉に俺はうなずくだけで、声を出すことはできなかった。彼女に「もちろんみんなで見られるさ」と約束することができなかった。
その時、俺の複雑な心境を察したのか、三本目の団子を食べ終えたリリーナがぼそっと「見ることはできるさ」とつぶやくのが聞こえた。
俺は彼女の声を聞いてようやく「そうだな」とだけ答えることができた。
◇ ◇ ◇
ティナは夜、寝るのが早い。
おやすみなさいとだけ言い、先に寝室に行ったティナを見送って。そのタイミングでリリーナは、俺を連れてある部屋の前に立つ。「失礼します」の言葉と共に障子を開けた。
中にいたのは俺のおばあちゃん「佐久間さな恵」だ。この三人が一同に会する部屋。その意味を俺は即座に理解した。おばあちゃんは俺に母親の話をしようとしている。
座布団に腰かけ面と向かったおばあちゃんの表情はどこか悲しげで。その顔はあの親父の葬式でおばあちゃんが見せたものと同じだった。
そこでおばあちゃんが語りだしたのは俺の母親、シオン・イティネルの話だった。
俺が読んだ親父の日記に書かれていた通り、おばあちゃんは母親を迫害して最後には屋敷から追い出した。そして数年後、赤ん坊だった俺を連れて親父がこの家に来たという。
親父は「あの人との子供だ」とだけ言っておばあちゃんに俺を託したそうだ。おばあちゃんはその時、母親がもうここにはいないという事実と親父の悲しい顔を見て、激しく後悔した。何故、自分の息子を信用できなかったのかと。何故、息子が「この人と共に生きる」と誓った女性を追い出したりしたのかと。
「子供に罪はない」
おばあちゃんはそう言い俺を育てた。そして今日、俺がリリーナとティナを連れてきた時、彼女達から俺の母親と同じ印象を抱いたという。この世界の住人ではなかった彼女達の異質な雰囲気をおばあちゃんは感じ取ったんだと思う。
俺がティナと出かけていた時、おばあちゃんがリリーナに最初に言った言葉は「血は争えない」だったそうだ。
「だから罪滅ぼしというわけではないけど、映司には幸せになってもらいたい。裕司のように悲しい顔をしてほしくない」
おばあちゃんは最後にそう言った。
自分の生きている時間はそんなに長くはない。だから自分にできることは何でもしたいと。例え俺の嫁となる人が素性の知れない人であったとしても、俺がその人を求めるのなら何も言わないと。
そしておばあちゃんは「もう裕司の二の舞はごめんだ」とだけ付け加えて黙り込んだ。
おばあちゃんと不意に目が合う。
まるで何かを探っているかのようにじっと俺の目を見つめるおばあちゃんは、間をあけて「映司」と俺の名を呼んだ。
「お前。どっち選ぶんだ?」
「え? 選ぶって?」
「どちらのお嬢さんを嫁にするのかって聞いとるんじゃ。まさか二人ともただの遊び相手なんて言ったらおばあちゃん怒るぞ?」
「いや、ちょっちょっとまって! いきなりなんでそんな話になるの!?」
「ティナちゃんはありゃ良妻だなぁ。器量もいいし料理も上手だし家事もうまくこなせるじゃろ。子供が生まれてもきちんと面倒を見られる。映司、お前は家の事はてんで駄目だからなぁ。ティナちゃんはそれをうまく補ってくれるじゃろうて」
「何、急に評価を語りだしてんの!?」
「リリーナさんは芯が強いのう。何事にも動じない強さがある。ほれ。見てみぃ」
おばあちゃんが俺の隣に座るリリーナへ視線を移す。
俺も釣られて見るとリリーナはこの話題でも動じることなく、座布団の上に正座していた。表情一つ崩すことなく真剣におばあちゃんの目を見ている。
その気丈でしっかりした姿は、まるで実家に挨拶に来た婚約者を連想させた。
「凛としておる。自分の置かれている立場を理解しそれを受け入れておる。それと同時に自分の信念も貫く姿勢じゃ。お前の駄目なところを補い、そして常にしっかりと手綱を締める良き妻になれる。まぁ鬼嫁になる可能性が高いがのう」
「鬼嫁どころかすでにもう鬼神なんですが」
「それでどっちを取るんじゃ?」
「どっちって言われても……」
言葉に詰まった。
最初はティナに一目ぼれした。数か月前の俺だったら「ティナです」ってはっきり言えたと思う。
だけどあれからリリーナの存在が俺の中で大きくなって。正直、俺はどちらが好きなのかわからなくなっていた。
ティナを抱きしめた時、離したくないと思った。でも脳裏の奥底にリリーナの影がちらついた。アイツがとても悲しい顔で俺を見る。そして心のどこかがチクリと痛む。
反対にリリーナを抱き寄せた時。そう、あの親父の部屋で彼女の体に手を回した時。ティナの時とは違う高揚感があった。全身がすごく熱くなった。だけど心のどこかにティナの悲しげな視線を感じた。「わたしを選んだんじゃないんですか」って彼女が俺に囁くんだ。
両方の悲しむ顔なんて見たくない。だけど俺は一人しか選べない。
どうしていいかわからなかった。どちらか一人を選んでも俺も残った人も心が痛むような気がして。
黙り込んでいるとコツンとリリーナに肘で突かれた。
しっかりしろというメッセージがその肘打ちに秘められているような気がした。
「映司がちゃらんぽらんなのは今に始まった事ではないですし。結論を急ぐのは早いと思います。じきに彼自身が決める事でしょう」
リリーナの綺麗でそれでいて引き締まった声が響く。
それはあの赤坂さんですらタメ口で話す彼女からは、聞いた事がないような丁寧な口調で。俺は驚いてじっとリリーナを見つめてしまった。
「夜も深まってきました。寒くなりますのでそろそろお休みになられたほうがいいでしょう。私達はこれで失礼します」
スクッと立ち上がった彼女は俺を一目見て。「いくぞ映司」とだけ短く言うと頭を下げ障子を開けた。俺は慌ててリリーナの後を追う。
誰もいない少し冷えた廊下で。俺の前を歩くリリーナは突然、立ち止まって振り向いた。そこにあったのはいつものすまし顔。
「それで、君はどちらを選ぶんだ?」
「なんだよ。お前まで聞くのかよ」
「別に私が君がどんな決断を下そうとやる事は変わらないがな。ただ答えが少し気になった。それだけだ」
暗闇の中、宝石のような青い瞳を向けられて俺は黙り込んだ。
どちらかを今、ここで選ぶなんて俺には無理だ。しかも多分コイツはそれを知っている。なのにあえて聞くのは悪戯心なのか。それとも彼女には明確な意思があって、俺の答えを誰よりも先に聞き出したいのか。
俺はしばらく無言を貫いて。「正直、わからない」と今の素直な気持ちを口に出した。するとリリーナの体がゆっくりと動く。
月に照らされた銀色の髪が俺の胸元にコツンと当たった。
まるで俺の心の中を探るようにずっと手を後ろに組んだまま、彼女は顔を埋めている。
「もし君が私を選ぶのなら……いいよ。その時は君にどこまでも付いていくよ」
心臓がビクンと跳ねた。高鳴った鼓動が激しく俺の体を揺さぶる。
リリーナ。その言葉は、俺に選ばれたいってことなのか。そしてもしそうなるなら俺と一緒に……ずっと。
どうしていいか、なんて声をかけていいかわからず混乱する俺からリリーナはそっと離れる。そこにあるのはとても可愛らしい笑顔だった。
「なんてな」
チョロっと舌を出して。リリーナの可憐な笑顔が悪戯好きな小悪魔の笑みへと変わる。
「そう簡単に女子の心を掴めるとは思うなよ? なんたって女心はAIより複雑だからな」
あっけにとられて茫然とする俺に彼女は、「おやすみ。映司」と軽くウィンクしてみせて暗闇の中へ消えていった。
冷えた秋風が俺の体を駆け抜けているのに、全身がとても熱かった。




