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第36話「君だけは死なせない」

 死神シオン・デスサイズは俺の母親。

 リリーナははっきりそう言った。全く同一人物の写真を見た俺に反論の余地なんてなかった。

 少しかび臭い部屋で周りはゆっくり暗くなっていく。陽が夜へと落ちていく。まるで俺の心情を表すように下へ下へと。

 リリーナは俺に寄り添うように体を近づけた。女の子座りしている彼女の細い脚が俺の体に触れる。悪寒が走る中で唯一、それが灯火のように温かく感じた。


「ただ母親というには少し語弊がある。正確に言えば君の母親の体を乗っ取っている」


「乗っ取るって?」


「シオン・デスサイズの本体は魂だと私は考えている。前の世界にいた時、奴について調べていた。死神に関する文献などどこにもないが以前、起きた国内紛争に奴と思われる人物が絡んでいる。その時の容姿は幼い少女だったそうだ」


「つまり死神は俺の母親の体を奪っているってことか?」


「あくまで推測の域を出ない。ただ強引に体を奪ったのか、君の母親が捧げたのか(・・・・・)によってだいぶ意味合いが違う」


 奪ったのか、捧げたのか。仮に後者なら俺の母親は自ら進んで死神になったって事だ。

 どんな人だったのかもわからない。もし捧げたのだとしても、俺にはそれに至る経緯なんて予想すらつかない。

 ただリリーナの話を聞いて疑問が生まれた。


 本当に死神シオン・デスサイズは、俺を殺すつもりなのか?


 確かに刻印はつけられた。残り百七十一日だ。この数字が無くなると俺は死ぬ。確かにそこに殺意はある。

 だけど本当に殺すつもりなら、なんで出会ったあの日に俺は生きていたんだ? 銃器展示会でリリーナや俺にまったく無関係な人も殺し、警察官も殺した。以前のリリーナのようにためらうことなく人を殺す冷酷な面を持ちながら、なんで俺なんかを生かしたんだ?

 死神の体が俺の母親だという事実が何か関係しているような気がしてならなかった。


 その時、すぐ隣にいるリリーナの体が一瞬、震えて。

 畳を見つめる彼女の瞳は遠くを見ているように真っ直ぐで、どこか悲しげだった。


「……私は怖かった」


 怖かった。

 その一言で彼女が何を言わんとしているか理解した。あの墓地でこの事実を隠した時の心境を語っているんだ。


「君がこの事実を知ったら、刻印を解除することそのものに疑問を投げかけそうで。君は優しいから自分の命を救うために母親を犠牲にすることを躊躇しそうで、私は怖かった」


「お前だったら、殺せるのか?」


「私なら殺す。あの墓地でもそう言った。君を助けるためなら母親だろうとなんだろうと殺す」


「会ったこともない、声すら知らない人だけど俺の母親なんだ。それでも殺すのか?」


「それでも私は変わらない。だって私はそのためにここにいるんだから」


 リリーナの決意のこもった言葉が耳に響く。

 コイツは何も変わらない。俺を助けると言ったときからずっと。一人になっても諦めずに戦って、そして俺が不安で眠れない夜は傍に居てくれて。

 

 俺は彼女の手をそっと握った。ピクンと銀色の髪が動いてリリーナは少し驚いたようだけど、すぐに優しい顔になって。

 悪寒はもう無くなっていた。まるで冬が過ぎて春がやってきたように心は温かかった。


 リリーナが一度、決めた信念を貫いているのに、俺が迷ってどうするのか。

 俺が刻印を消すことに躊躇してその結果、死んでしまったらコイツはどうなる? 今まで死ぬ気で頑張ってきたのに俺がそこで踏みとどまったら、何のために彼女は苦しい思いをしながら死神を追い詰めてきたのかわからないじゃないか。

 それに死んだらもう何もできない。リリーナの努力はすべて無駄になって、そしてティナのあの笑顔も見る事はできなくなる。

 俺に立ち止まる選択肢なんて、はじめからなかったんだ。


「心配するなよ。大丈夫だよ。だって俺、死にたくないし。それに俺、自分の母親を対物ライフルで吹き飛ばしてんだぜ? そういや銃剣で刺したこともあったっけか。今更、後戻りなんてできないよ」


「そうか。とりこし苦労だったようだな」


「まぁでも正直、迷ったよ。でもお前見てたらさ、吹き飛んじまった。俺はお前の努力を無駄にはしたくないし、ティナの笑顔だって失いたくはない。俺は立ち止まることなんてできないんだ。だから……」


 俺はリリーナに笑顔を見せた。


「頼んだぜ。相棒」


 その時、彼女の体が一瞬、震えて。

 周りが暗くなっていく中で、リリーナの瞳だけが少し潤んで輝いている。俺はその吸い込まれるような瞳に目がくぎ付けになった。その時、彼女が俺の手を握り返したと思ったら、不意に目の前に銀色の髪が迫った。

 リリーナは胸元に顔を埋めて、しがみつくように俺の体を掴む。一気に高鳴った心臓の鼓動が俺の体を激しく打った。


「リリーナ?」


 返事はない。ただ時より小刻みに震える彼女はとても儚くて。

 いつも強気で口が悪くて、相手が死神であろうと撃退してみせた彼女が今、俺の胸の中にいる時だけか弱い少女に思えた。

 その時、消え去りそうな声で彼女の言葉が耳に届く。


「私はほんとは君にそんな言葉をかけられる人間じゃない。手段を選ばずに時には残酷な方法で賢者へのし上がり、そして国の中枢だった自分以外の賢者達を刺した。憎悪に駆られて皆殺しだ。それに至るまで何千人と殺してきた。君が想像するよりずっと私は、人の皮を被った化け物なんだ」


「だけど今は違うだろ?」


「違わないよ。例え今は普通の女性として生きていようと、過去に行った殺人が消えてなくなるわけじゃないんだ。命を奪う人間は奪われる覚悟をする。私はいつ死んでもおかしくない。命を奪う人間が奪われないなんていう理屈は存在しないんだ。だけどこの命に代えても君を……」


「やめろ。それ以上は言うな。頼むから俺の為とかいって死んでも守るとかはやめてくれ。言わないでくれ。俺はもう一人じゃないんだよ。それに重要なのは今のリリーナであって過去のお前じゃない。俺にとって過去のお前なんてどうでもいい。今のリリーナが大事なんだ」


 リリーナの手が俺の服をギュッと掴む。まるで俺の体の熱を求めるように顔をすり寄せて。

 目じりに少し涙をためた彼女は、そのまましばらく抱きついているとゆっくりと唇を動かした。


「死なせない。君だけは絶対に。この温かさだけは絶対に失わせない」


 俺はその言葉を聞いた途端、胸の中が熱くなって。彼女の細い体を優しく掴んだ。

 そしてゆっくりと抱き寄せた……その時。


 冷たい。氷のような視線。


 それが俺を貫いた。

 リリーナもその視線に気が付いたんだろう。咄嗟に俺から離れると後ろへ振り返る。だけどそこには誰もいなかった。ただ閉めていたはずの障子がほんの少しだけ開いていた。


 一瞬、背筋に寒気が走るのを感じる。

 あの視線はまるで嫉妬しているかのように愛憎が混じって。それでいて死神の赤い瞳のように嘲笑と殺意が込められているようにも思えたからだ。


 ふとリリーナへ視線を移す。

 立ち上がる彼女のサファイアの瞳はとても鋭い。それこそ目の前にシオン・デスサイズがいるかのように。


「おかしい」


 彼女は短くそれだけをつぶやいた。


死神の気配がした(・・・・・・・・)。だけど索敵の目には何の反応もない。ここに奴が現れる可能性は百パーセントないとは言い切れないが、もしいたなら奴にしてみれば仕留めるのには絶好のチャンスだったはずだ」


「死神ではないんじゃないか?」


「あの殺意は人のそれではないぞ? それともこの屋敷は化け物でも徘徊しているのか? ってクソッ。こんな時にベレッタをテーブルに置いてくるなんて私のバカ!」


「とりあえずこの部屋から出るか。もう暗くなってきたし」


 うなずく彼女を見て、俺はそっと障子を開けた。

 ひょこっと顔だけ出して周りを見渡したその時、突然、目に映るのは一人の老婆。


「うわぁああ!」


「うわぁあってこっちがびっくりするわい。映司。こんなとこで何をしとる?」


「なんだよ。おばあちゃんかよ。びっくりさせないでくれ」


 安堵のため息を吐く俺におばあちゃんは、「ご飯の用意できたからおいで」とだけ言って丸めた背中を見せた。

 その時、おばあちゃんは歩きながら、「そういやティナちゃんどこいったかなぁ」とつぶやいていた。

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