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第35話「母の真実」

『彼女と出会ったのは、探偵事務所を開いたばかりの時だった。彼女は近くの公園の中で、一人寂しげに座っていた』


 その書き出しではじまる親父の日記を俺は食い入るように読み始めた。



 ◇ ◇ ◇



 彼女と出会ったのは、僕が探偵事務所を開いたばかりの時だった。彼女は近くの公園の中で、一人寂しげに座っていた。

 長い黒髪が目を引く綺麗な女性だった。彼女は話しかけた僕に驚いて。でも一言も話さず怯えたように距離を取っていた。

 服装は何というか「現代的な服装」ではなかった。明らかに日本ではない西洋の服。まるで十九世紀のヨーロッパに住んでいた庶民が現代にタイムスリップしたような見た目だった。


 彼女は言葉が通じなかった。こちらで話しかけても首を横に振るだけで。彼女が何か口にしても僕にはさっぱりわからなかった。

 正直、会話が成立しない時点で警察に任せるなりするべきだった。少なくとも一市民の僕では何もできない。

 だけどその黒髪に、そのトパーズのように輝く瞳に僕の心は射抜かれた。紙とペンを持ち出して文通で何とか会話を試みた。

 彼女は僕の真意を読み取ったのか、積極的に文字を書き、僕の書いた文字を読み解き少しずつだけど文通をしていった。

 ある程度、会話ができるようになった時、僕は彼女を家に招き介抱することにした。彼女は聡明で熱心だった。寝る間も惜しんで文字を覚え、発声練習をしていた。僕はそんな彼女に惹かれていき、彼女もまた僕に心を開いていった。

 そこから探偵事務所で僕と彼女の奇妙な共同生活がはじまった。


 彼女はこの世界の人間じゃなかった。

 努力の末に言葉を覚え、会話できるようになった時、彼女がそう告白した。信じられないような話だったけど僕は疑わなかった。何より彼女が好きな僕にとっては、彼女が異世界から来ていようがいまいがどうでもよかったからだ。

 そんな僕に彼女は驚いて。だけどその後にとても嬉しそうな笑顔を咲かせた。


 彼女はゲームが大好きだった。

 特に戦略ゲームや海戦ゲームがお気に入りのようだった。「接敵! 紡錘陣形で突撃!」など楽しそうにはしゃいでいたのをはっきりと覚えている。

 また彼女は不思議な力を持っていた。現代にはないそれは「魔法」だった。

 彼女は手足を使わずに物を動かしたり突然、力が強くなったり。見えない距離にあるものを認識したりすることができた。また物品からそれに由来する人物や物の場所を特定することもできて、探偵としての仕事も影ながら支えてくれた。


 そして彼女と暮らすようになって二年が過ぎた時、彼女の中には僕の子供が宿っていた。

 僕は決心した。母に彼女を会わせることを。ただ母はいい意味でも悪い意味でも古い人だ。さらに相手は素性が知れない女性となれば猛烈な反対があることは容易に想像できた。

 彼女にそれを告げるとそれでも会いたいと言った。「あなたと共に生きるなら避けては通れないのだから」と黄玉の瞳を僕に向けて。それを見て仮に拒否されても僕が彼女を養い、守っていくと心に誓った。


 そんな彼女を待っていたのは反対なんて生ぬるいものではない、迫害とも思えるほど惨い仕打ちだった。

 特に妊娠の事実が母を狂わせた。母はどうやら僕を彼女に取られたと思っていたようだった。無抵抗な彼女を木の棒で殴る母を見た時、彼女を連れて逃げることを決意した。

 もはや母など関係ない。家の土地などどうでもいい。二人だけで生きていこう。そう思った。


 しかし彼女は姿を消した。


「私はこの世界の人間ではない」


「私はあなたとは生きていけない」


 その言葉と、生まれたばかりの赤ん坊を残して。

 僕はその子に「映司」という名をつけた。



 ◇ ◇ ◇


 

 俺がその子供だった。

 異世界から来た女の人が俺の母親。名前は書いてないけど、たぶんリリーナやティナがいた世界で生きていた人間。

 リリーナが言っていた。俺の家族の中に異世界の人間がいると。それはまさに的中していた。

 でも俺自身、何も変わらない。異世界の人間の血が混ざっているとしても人であることに変わりはないから。あの死神が俺を狙ったのだって、母親の血が関係しているかどうかはわからないし。


 だとしたら、何故リリーナは隠そうとした?


 俺に異世界の血が混じっている。それを隠そうとしたとは思えない。

 あの彼女の怯えようはちょっと異常だった。動揺と恐怖に満たされた青い瞳は今でも俺の脳裏に焼き付いている。普段の彼女なら同じ世界の血が混ざっているだけならば、「よかったな。私と同じ世界の血が流れているぞ。光栄に思え」とドヤ顔で言うだろう。

 リリーナが隠そうとしていたのは違う事実。もっと深刻で、もっと辛くて。アイツが俺に隠してさらに言うのをためらうほど、俺に聞かせたくない(・・・・・・・)事なんだ。


 その時、ポトリと何かが畳の上に落ちた。

 色あせたそれは裏返った写真だった。手に取ってみると脇に小さく文字が書いてあった。



『佐久間探偵事務所前にて。シオン・イティネルと』



 シオン・イティネル。シオン(・・・)だって……?

 あの死神と同じ名前。それを知った時、一気に胸が苦しくなった。心臓の鼓動が早くなって視界が揺れる。

 俺はゆっくりと写真の表を見た。

 そこに映っているのは若かりし頃の親父と長い黒髪の女性。それを見た時、記憶の中から浮かび上がったのは、血に濡れた口で笑みを浮かべる死神の姿。



 映っている女性は表情こそ違うものの、間違いなくシオン・デスサイズと同じ顔だった。



 俺は絶句した。

 頭の中では「なんで、どうして」という疑問が駆け巡っていた。

 おばあちゃんに反対されて俺を産んだ後、いなくなった母親が何故、死神になって俺を殺しにきたんだ!?


 力が抜け畳の上に座り込む。

 震える手で揺れる視界で写真を見つめる俺は、氷の中にいるような寒気に襲われていた。いくら考えてもわからなかった。母親は俺を憎んでいたのか? 親父を愛していたんじゃなかったのか?


『あなた。死んで頂戴』


 死神の言葉が再び脳裏に蘇る。

 あれはシオン・デスサイズが言っているのか。それとも俺の母親であるシオン・イティネルの言葉なのか……?


 冷たい刃物の感触を感じた。

 俺の後ろから黒い大鎌を首元へ当てられているような気がして。凍えるようにガチガチと歯が鳴って、体全身が震えた。

 ゆっくりと視界が暗く染まっていく。


「映司!」


 鳴り響いた声に俺はハッと顔を上げて。

 女神の声で刃物の感触が消える。死神の気配も何も感じない。体の震えも止まって、目に映るのは暗闇じゃない、色あせたタンスだけだ。

 声のした方向へ目を動かした。落ち着いた心臓によって揺れなくなった視界に浮かび上がるのは、心配そうに俺を見つめるリリーナの姿だった。

 

 彼女は俺に近づくと畳の上にペタンと座り込んで。俺の手から写真を取り見つめているリリーナの表情はどこか物悲しげだった。


「……知ったのか」


 俺は無言でうなずいた。そして彼女が俺に隠そうとしていた事が何なのか理解した。

 きっとリリーナは俺が異世界の人間の血を引いていることを知って、おばあちゃんに確認した時に俺の母親の事を知ったんだ。そしてシオン・デスサイズの事をよく知る彼女だからこそ、母親の末路を理解するのは早かったはずだ。

 

 しばらくして写真から視線を上げたリリーナと目が合った。まっすぐ俺を見つめるそのサファイアの瞳には決意が宿っていた。


「映司。君も理解したと思うがはっきり言おう。シオン・デスサイズは君の母親だ」

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