第27話「君はいつも傍にいる」
その日を境に俺の周りでいろいろと変化があった。
あのティナとデートした日からどことなくリリーナの気配が変わった。ティナと交わす言葉も笑顔も変わらない。だけど身に纏う雰囲気が鋭くなった。まるで出会った時のように。
それと京子も少し変わった気がする。夏休みの期間中は少なからず「どこかいこうか」的な誘いは必ずあった。俺はそれを予想していたから刻印のこともあるし、なんて断ろうか理由を考えていたところだった。
結局、京子からきたのは遊びの誘いでもなんでもなく、「宿題忘れちゃだめだよ」というコネクトのメッセージだけだった。
そして夏が終わり秋。
長袖の制服に袖を通し玄関に立っている俺にティナが微笑みかける。「いってらっしゃい」という笑顔にいつも元気をもらう。
「そういえばあのピアス付けられた?」
「はい。これでいいでしょうか。リリーナさんに手伝ってもらいました」
彼女はサラリと金髪を左手でかきあげて。その色っぽい仕草に朝から俺のテンションは否応なく上がってしまう。視線の先に見えるのは、耳についたアメジストの輝き。
「うん。似合ってるよ」
あぁ、感動。俺の天使が自分が買ったプレゼントを身に着けているこの幸せ。心の奥底から沸き上がるそれをジーンと噛みしめていると、「おい、早くしろ。遅刻するぞ」と冷ややかな言葉を投げかけられてテンションダウン。
いつもは朝、寝ているはずの彼女が今日は隣にいる。なんでもリリーナは今日から毎日、学校に行くという。
デニムのジャケットにショートパンツ姿のリリーナは平然としているけどどこか鋭さがあって。そしてよく見ると懐に銀色の輝きが見え隠れしている。
その時点で少なからず彼女が今、隣を歩いているのは、「学校へ行ってみたい」とかいう可愛らしい企画でもなんでもないのがわかる。
普段からリリーナが銃を持ち歩いているのは知っている。だけどそれはバッグの中とかで護身用に持ち歩ている印象だった。でも今は違う。明らかに「いつでも撃てる」体勢になっている気がしてならない。
その時点で俺の知らないところで事態が進行しているんだなとなんとなく理解した。
「てか授業とかどうすんの?」
「透明化しているから平気」
「透明化って光学迷彩かよ……」
「それに例の行方不明事件もあるし、用心には越した事ないから」
彼女は魔法で透明化できるらしい。それで授業中も一緒にいるそうだ。ちなみに校長の許可も取っているらしく、つまりそれは「組織がらみの行動」ということか。何故ならリリーナ一人だと校長の首を縦に振らせることなんてできないから。
頭の中に浮かぶのは眼鏡をかけた男性、赤坂さんの姿。学校までリリーナが来るという事は、彼から「学校でも警護しろ」という指示が出たのだろうか。
つまりそれは……「死神が今すぐにでも襲ってくるかもしれない」ことを意味する。
さらにリリーナの言う「行方不明事件」というのは、椋見市内で人が連続で行方不明になっている事件のことだ。
昼夜問わず神隠しにあったかのように突然、人がいなくなる。消息不明になる寸前にいたとされる場所に、本人のものと思われるわずかな血痕だけを残し、まったく行方がわからなくなるという。死体も出ていない。噂では黒髪の幽霊が人をさらっているという話が広がっているそうだ。
その噂話とリリーナの臨戦態勢が否応なく死神を思い起こさせて、俺はゴクリと息を呑んだ。かつての恐怖が脳裏に蘇り背筋に寒気が走る。
そんな俺の思考を読んだのか、リリーナが肘で体を小突いた。
「何暗い顔をしている。楽しい楽しい学校生活の始まりだろ? ちなみに問題がわからないからって私に聞いても無視するからな」
「あれ、バレてた? お前、勉強できるからさ。こっそり教えてもらおうと思ってた」
「せこいこと考えるな」
笑顔を見せるリリーナを見て心が温かくなった。そして何故かティナの笑顔も浮かび上がって混ざり合い溶けていく。
心の中でティナとリリーナが交互に入れ替わりながら俺に微笑みかけてくる。金髪と銀髪が揺れる。あのデートの時に見せたティナの熱い瞳と、ラブホテルで過ごした時のリリーナが見せた色っぽい瞳が交差する。
何故だろうか。俺はティナに一目ぼれしたはずだった。あの恋人岬でも彼女を抱きしめたいと思っていた。だけど今、隣にいるリリーナの笑顔が意識から離れることはなかった。
一体、俺はどうしたいんだ。
まるで何かの決断を迫られているような息苦しさを少し感じた。
◇ ◇ ◇
気が付いたらリリーナは消えていた。
校門の前で京子と会って。いつも通り笑顔で「おはよう」と言う彼女に返事して隣を見た時、すでにいなかった。いや正確にいえば透明化しているんだろうけど。
そして授業がはじまって。いつもの光景、いつもの授業。
そんな中、試しに「この問題わかる?」と紙に書いて何気なく机の隅に置くと、わずかにため息が聞こえて。スラスラと紙に文字が書かれていく光景を見て、そこにリリーナがいるのを実感した。
歴史の授業だけど答えられるのもすごいと思う。それになんだかんだ言いながら俺を手伝ってくれるのも彼女らしいなと少し微笑んだら、「何笑ってる」と小声で言われて小突かれた。
実は家でもたまに勉強を手伝ってもらっている。
興味本位なのか単純に頭脳明晰なだけか、リリーナは問題を解くのがすごい早くて異世界から来たというのに俺より勉強ができる。夏休みの時にデートやらなんやらでろくに宿題ができず、後半戦で彼女と二人でみっちりこなした記憶が今でも鮮明に蘇った。
ちなみに昼の弁当は何故か大きくて量も普段より多かった。明らかに一人分以上ある。ティナがなんでこんなに用意したんだろうと首を傾げたけど、おかずが勝手に消えていく様子を見てリリーナの分もあることを理解した。
昼休みが終わり午後の授業がはじまった。
どうしてもこの時間は眠くなる。今日は天気もいいし俺の席は窓際だから温かい陽気が余計に眠気を誘う。
思わずうつらうつらしていると、隣に座っている京子から小さく丸められた紙を投げつけられることもしばしばあった。
半分呆けた頭で隣を見つめる。目に映るのは窓と外に広がる青空。でもたぶんそこに透明化した彼女がいる。
何気なく手を伸ばして。その時、指に触れたのは柔らかいマシュマロのような感触。とても心地よくて思わず見えないそれをむにっと掴んだ。
「ひゃぁん!」
奇妙な声が響き渡って、教室内の空気が一瞬で凍った。
授業も完全にストップ。訪れる静寂と固まる俺。「……なに、今の声」という京子の言葉だけが耳に響いた瞬間、頬に強烈な打撃を感じて俺は椅子から転げ落ちた。
「ちょ、ちょっと映司!?」
「大丈夫か!? 佐久間!?」
ざわつく教室内に教師の声が響いた。俺は立ち上がると「だ……大丈夫です」と短く答える。
この打撃、覚えがある。突然、リリーナがぐっと近づいてきた時があって、その時どぎまぎしながらも平静を装っていたらストレートパンチを喰らった記憶。あれに似ている。威力は全然、違うけど。
椅子に座るも教師の目にはとても大丈夫そうには見えないらしく、「具合悪いのか」と話かけてきた。
「最近、ぜんぜん眠れなくて……」
「顔色も悪いな。保健室行って少し休んでこい」
「すみません。保健室行ってきます」
頭を下げ教室を出た。まだ頬がジンジンする。
保健室にたどり着くと担当の先生はいなかった。とりあえずベッドに横になる。その途端、まるで体が沈んでいくかのように重く感じた。
確かに最近は以前にも増して眠れない。寝ようとしても刻印の数値が頭の中に浮かんで、それと同時に寒気に襲われる。そしてそれはどんどん強くなってきていた。
何気なく手を見て握ってみる。
どうみてもあの衝撃はリリーナが繰り出したものなのは確定。ということは、あの柔らかい感触ってやっぱり……。
「え~い~じ~!」
呪詛のような声が耳元で響いて、俺は思わず飛び起きた。
刻印とは違う寒気に冷や汗を流して。首を回すと隣に実体化したリリーナが立っていた。殺意がみなぎる瞳に鬼の形相。もっとも元が可愛いから怒っていてもどうしても可憐に見えてしまう。
「あの感触って……やっぱり、おっ」
「天城のとこのシュークリームで手を打とうか」
「一個で……よろしいですか?」
「二個だ」
「は……い」
「恥ずかしさで穴にでも入りたい気分だった!」
「見事な喘ぎ声でしたね」
「三個にしようか?」
「すみません。聞かなったことにしてください」
まぁ女の子の胸を揉んだ代金がシュークリーム二個ならむしろ得か。そう思うとなんだか急に気分が軽くなった。SNSとかで元気がない時に「大丈夫? おっぱい揉む?」ってよく見たけど、あれ本当に元気出るんだな。実感した。
安堵のため息をついて再びごろんと横になる。リリーナはベッドの隅に腰を下ろしていた。その表情は先程の鬼の形相ではなくてもっと優しいものへと変わっていた。
サボりだのなんだのも言ってこない。むしろ会話すらない静かな時間。
リリーナは知っている。俺が眠れないことを。それどころか思い出してみたら、俺が寝られない時はいつも傍にいたような気がする。
その言葉で表さないティナとは違う優しさが俺には心地いい。
「少し元気出た」
「私の胸を揉んで元気出たのか」
「そうそう」
「これだから変態って奴は……。ま、まぁ私程度の胸で元気出るならそれはそれでいいけど」
「んじゃもう一回」
「調子乗んな。死ね」
少し頬を染めた彼女の返事に俺は頬をほころばして掛け布団に潜り込む。目を瞑ると静かに沸き上がってくる不安を傍にいるリリーナという存在が打ち消していった。
目を開くと彼女が見えて、声をかけると彼女が返事をして、その存在をしっかりと感じる。
ティナは俺の心に癒しをくれる。リリーナは俺の心に安心をくれるんだ。
「なぁ。刻印。もう半分を切ったな」
頭の上に浮かぶ刻印は、今日でちょうど百七十。あと半年以内にこれを何とかしなければ……俺は死ぬ。
「不安か?」
「そりゃ不安だよ。夜だって眠れないくらいにさ。まぁ自分の死期が迫ってるんだ、当然だよな。だけどなんかこううまく言えないけど、お前やティナがいると心が狂わないんだ。多分いなかったら今頃、俺は狂い死んでいると思う」
「そうか」
「それだけで俺は感謝しているよ。それにお前ならきっとなんとかしてくれる。最初にそう思ってから今までずっと、それだけは信じている」
その時、ふと手に感じるのは人肌の温かさ。そっと毛布の中に入れてきたリリーナの手が俺の手を優しく握っていた。彼女の温かさが全身に伝わり、それは安心感を俺に与えてくれた。
はじめて彼女に会った時、俺にはリリーナが女神に見えた。そうだ。俺にとってまさに彼女は、俺に安寧と勝利をくれる女神に他ならなかった。
まどろみが俺を包み込む。次第に重くなる瞼に映るのはリリーナの優しい笑顔。
俺は慈愛の女神に抱かれて眠りに落ちていった。
目が覚めた時、体の重さはすっかり軽くなっていた。
授業時間が終わり放課後。俺を心配してか京子は頑なに一人で帰ろうとはしなかった。リリーナの様子から京子と帰るのは危険だと思えたけど、当のリリーナが折れて許可を出した。
そして下校時、外は夕暮れだった。俺にはその赤い空がまるで血のように見えた。そして胸の中に沸き起こる妙な胸騒ぎ。それは消える事なくいつまでも付きまとった。
そして、もう少しで家に着くという時に不安感が爆発した。
急激に全身を駆け巡るのは強烈な悪寒。まるで氷の中に閉じ込められているかのような寒気が襲いかかる。
体を震わせた俺の異変に気が付いたのか、京子は怪訝な顔を浮かべて俺を覗き込んだ。
「映司……?」
「逃げてくれ……頼むから。京子……逃げてくれ」
かろうじて絞り出した震える声で京子に訴えかける。その時、俺の視界に奇妙な生き物が写った。
見た目はただの野良犬だ。だけどその目は生気が感じなくて。吠えるわけでもうなるわけでもなく、まるで幽霊みたいに俺と京子に近づいてきた。
その瞬間、俺の中で恐怖が弾けた。
動けないほど体がガクガク震えて。心臓は飛び出さんばかりに激しく体を打った。震える視界の中でその犬は、ゆっくりと口をあけて。吐き気がする臭いが漂った。
ぼろぼろの肌を動かし、その犬は俺に……いや隣にいる京子へ牙を剥いた。
「き……京子っ!」




