第21話「俺にできること」
俺の心臓の鼓動で視界が揺れていた。
見つめる先は薄暗い天井。すぐ横にリリーナが寝ている状況で寝付けるわけがなかった。ましてや彼女は今、バスローブの下は裸なんだ。
食事が終わった後、唐突に「寝るか」宣言したリリーナは、ソファーで寝ると言った俺に「同じベッドで」と爆弾発言をした。
でも直後に先程までの艶やかな表情から一変。「触れたら殺す。絶対近づくな」と普段通りのツンツンぶりに逆戻りしていた。
それでも人生で初の女性と同じベッドに寝ている状況。心臓の高鳴りは止まることを知らない。
俺だって一般男子だ。女の子に興味がないわけじゃない。
以前は二次元がすべてだったけど、最近はティナやリリーナという女性と間近で触れあうことが多くてかつての二次元大好き特性が鳴りを潜めてしまった。京子はどちらかというと親友で「女の子として意識」したことはなかったし。
だからリリーナと同じベッドで寝るというシチュエーションに、期待をまったくしないというわけにはいかなかった。
でもたぶん彼女がそんな選択をしたのは、「ソファーだと風邪をひく」とかそういう理由なんだと思う。
そう考えると少し冷静さを取り戻して。鼓動が収まってきたあたりでふと思った。
リリーナはまだ以前の世界に戻りたいと考えているのだろうか。そして、俺は彼女のために……いやティナも含めて彼女達のために何ができるだろうかと。
「……なぁ。まだ起きてる?」
「なんだ? 早く寝ろ」
「いや寝れなくてさ。それでちょっと思ったんだけど、お前ってさ。この世界にきてよかったか?」
「なんだ急に。……まぁこの世界は便利だし、食べ物も美味しいし? やりたいことも山ほどある。悪くはないよ」
「でも向こうに友達いたんだろ?」
「確かに親友はいた。だけど彼女は私がいなくてもなんとかできるだろうし、私が居ようが居まいがやらなければならない人物だ。それに戻る方法すら見当もつかない。それなら前を見たほうがいいだろ?」
正直、悪くはないと彼女は言う。確かに俺から見てもリリーナは、ティナよりずっとこの世界を満喫しているような気がする。
その時、気が付いた。
死神に対抗することはできない。家事とかできるわけでもない。だけど俺にしかできないことがあるじゃないか。
「なぁ。俺さ。具体的にどうやるとか言えないんだけど、お前達にできることがあると思うんだ」
リリーナは無言だ。構うことなく言葉を続ける。
「できることっていうかほとんど願望なんだけど、俺はティナや……そしてお前に『この世界にきて良かった』って言わせたいんだ。この先どうなるかなんてわからない。だけど『この世界にきて嫌だった』だけは言わせたくない」
本心だった。
俺に出会って良かったなんて言ってもらえたらそれは嬉しいけど、そこまで自意識過剰じゃない。
ただ後悔だけはさせたくなかった。この世界にきて良かったってそう言ってもらいたい。そうなるように俺ができることは何でもしたい。
「ティナはもちろんだけど、お前だって前の世界だと人殺しばっかしてたんだろ。そんなことをしないと生きていけない世界にいたんだろ? それならこの世界にきたんならさ。過去のことは水に流して幸せになってもいいと思うんだ」
言葉の余韻が消えて静まり返る。沈黙の中、リリーナを見るとピクリとも動かない。さっきの言葉を聞いていたかどうかわからないけど、伝えたいことを言えてなんかスッキリした。
もう寝たのかと思って目を閉じようとしたその時、彼女はごろんと寝返りをうった。そして仰向けに寝ている俺の腕をぎゅっと掴む。
「触れるな言いながら自分で掴むのかよ」
ぼそっと小さな声でつぶやく。リリーナはスース―と小さく規則的な呼吸をしていて、どうやら本当に寝ているようだった。
彼女の体から伝わる温かさを感じながら。俺の腕を掴んでいる小さな手を見る。
細くて綺麗な手。だけどリリーナのこの手は血で濡れている。
俺はその時、彼女がそうしなければ生きていけなかった世界を少し憎んだ。
◇ ◇ ◇
夢を見ていた。だけど前にみた生首が出てくる残酷な夢じゃない。
俺の家とは違う場所でリリーナが隣に座っている。何故か彼女以外はいなくて。ティナの姿はどこにもなかった。
リリーナは自分の目の前に左手を上げていて。頬を少し赤らめて何かを熱心に見つめている。ただ肝心の左手の一部分が霞ががっていて、彼女が見ている正体が何かわからない。
しばらく眺めているとリリーナは唐突に俺の方を向いて。
そして、ゆっくりと……ゆっくりと艶やかな唇を近づけた。
「え?」
朝、目が覚めた時の第一声はそれだった。
まるで夢の続きのように吐息が触れる距離で、リリーナの唇があった。
寝ている間に何があったかはわからない。ただ何故か俺は彼女を抱きしめて。そしてキスシーンの一番いいところで停止した画像みたいになっている。
どこからか差し込む朝日でリリーナの銀髪が煌めていて、彼女の寝顔は神々しいまでに綺麗だった。
いつまでも見続けていたい可愛らしさを前にして。対照的に俺の頬を冷や汗が滴る。この状況で彼女が目を覚ましたら、その後の惨状が目に浮かぶようだった。
起こさないようにそっと離れるしかない。
そう決断した俺は、彼女の体からゆっくり手を離そうとした……その時。タイミングを見計らったかのようにリリーナが目を覚ます。
密着状態でサファイアの瞳が俺を見つめた。途端、彼女の口が一瞬、歪む。
「ぎ……」
俺は素早く耳を塞ぎ、がばっと身を起こし離れた。だけど予想とは違いリリーナは起き上がっただけで叫ばなかった。
ただ視線だけはそらして。何故か頬か少し赤い。
「あれ……? 叫ばない?」
「……お、おはよう」
「お、おはようございます……」
「あ、雨も止んだだろうし服も乾いただろ。ティナも心配してるだろうしさっさと帰るか」
「そ……そうっすね」
何このはじめて一夜過ごしたあとのカップルみたいなギクシャク感。妄想だけど。
しばらく黙り込んで、頭が冷静になったあたりで着替えようとベッドから出る。その時、気が付いた。
寝相が悪かったのか、俺が寝ている間に何かしたのか。リリーナのバスローブの片側部分が腕の付け根あたりまでだらんと下がっていた。
「あ……」
もう少しで胸が見えそうというところで思わず凝視。
その時「ぎゃああああ!」という甲高い悲鳴がラブホテルに響いていた。




