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第17話「敵に塩を送る」

 凍り付いた表情のティナを脳裏に浮かべて。

 俺はもっとティナのことを知るべきじゃないのか。

 そういえば彼女は前の世界の話を一切しない。記憶を失っているのもあるだろうけど、それでも全てではないはず。

 言いたくないものを無理して聞き出そうとは思わないけど、俺は彼女のことを知らなすぎる(・・・・・・)


 ソファーに座ってぼうっと眺める視線の先にあるのは扉。そこはリリーナとティナの共同部屋だ。

 彼女なら何か知っているかもしれない。俺が学校に行っている間によく話をしているだろうし、それにリリーナは同じ世界の人間だ。俺よりティナに関する情報は多いはず。

 

 立ち上がり扉の前に立つ。

 張り紙が貼ってあった。「ノックしろ。勝手に入室した者は射殺する」と物騒な言葉が書いてある。

 俺は一瞬、躊躇したが思い切ってドアを軽くノックした。


「なんだ?」


「俺だけど。ちょっと話があるんだ」


 少し間をあけて。「入れ」というリリーナの声が聞こえた。

 ドアノブを回して中へと入る。たとえ同じ家に住んでいるとはいえ女子の部屋に入るのは、ちょっと緊張する。

 室内は蛍光灯は消えていてベッドの周りだけ白熱灯の光が照らしていた。

 ほんのりといい香りが漂っている。壁にかけてあるのは、リリーナがこの世界に来た時に着ていた白いローブ。そして、一際目につくのは「金髪で天使の翼を生やしたイケメン」のポスターだ。


 手に槍を持っているこのキャラクター。最近、リリーナがハマっているらしいソーシャルゲーム「聖剣乱武」のガチャキャラだ。名前は確かグングニルだったかな。

 聖剣乱武は女子に人気があって、神話や伝説に登場する武器をイケメンに擬人化したゲームだ。京子もやっているらしい。

 このグングニルってキャラは最高レアで人気が高い。どうやってポスターを入手したかは不明だがおそらくリリーナの推しなのだろう。コイツ、どんどんオタ女子化が進んでやがる……。


 当のリリーナ本人はベッドで腹這いになり足をプラプラさせていた。

 さっきまで着ていた桃色のジャージ姿ではなく、黒のショートパンツに白のタンクトップを着ている。

 彼女は入り口で立っている俺にサファイアの瞳を向けて。「話ってなんだ?」と短く切りだした。


「ティナのことなんだけど。さっき俺が彼女に『元の世界に帰ることも考えたほうがいいのかな』みたいなことを言ったんだ」


「それで?」


「そうしたら『本気でそう言っているんですか?』って言われてさ。その時のティナの表情がなんかこう悲しげっていうか普通じゃなかった。俺はこの家に彼女が来てよかったと思ってるし、これから先のことはわからないけど、できるかぎり面倒はみたいと思ってる。だけど彼女はどう思っているのかわからなくなったんだ」


「なるほど。それでなぜ私のところにきた?」


「その時、思ったんだ。俺はティナのことをよく知らない。だけどお前ならいろいろ知っているんじゃないかって」


「言っておくが私はそんなに彼女のことは知らないぞ。わかるのは彼女は前の世界にいた私の友人に似ているということだけだ」


「そっか。……それじゃこの話は聞かなかったことで」


「だが」


 俺の声を遮り、リリーナは体を起こした。

 白熱灯に照らされた中、彼女の白い肌が目に映る。けっして大きいわけではないけど、それでも左右の膨らみを感じて。薄着の彼女からは、女性的な体のラインがはっきりと見て取れた。

 エアコンが効いた室内の温度はチラ見した時、二十八度。だけどそれ以上に暑く感じるのは、彼女の容姿のせいだろうか。


「君の発言でティナが何故、そういう態度を取ったのか。それはだいたいわかる」


「マジで?」


「マジ。まず前提として彼女が記憶を失っていることは置いといて。君がはじめて彼女と会った時、何をしたかった?」


「ティナとはじめて会った時?」


 あの死神に遭遇してその後、通りかかった空き地で倒れていたティナ。

 その時、俺が思ったのは助けたいということとそれと……服を着させてあげたいだった。あんな綺麗な子が奴隷服みたいな薄汚れた服を着ているのが可哀想でならなかった。


「服を着させたかった。あんな汚い服じゃなくもっと綺麗な……」


「それだ」


「え?」


「彼女は前の世界で服すら満足に買えなかった。そういう生活をしていた。さらに普段、夏でも長袖を着ているせいで見えないが、彼女は体の至るところに痣がある。何かで激しく打った痕だ」


 リリーナのその言葉で思い浮かぶのは暴力。

 食事も満足に取れず服すら買ってもらえない。さらには何者かによる暴力も受けていた。その可能性があるとリリーナは言いたいのだろう。


「誰かに殴られてたとか……?」


「それだとまだ軽いほうだな。あれは石による打撲の跡だ。しっかり確認したわけではないが主に腕の付け根や背中にある。それから考えるに背後から一方的に石を投げつけられている」


 全身に衝撃が走った。それと同時にふつふつと沸き上がるのは、誰でもない顔も知らない石を投げた人間への怒りだった。

 信じられない。あんな可愛い子に石を投げるなんて。


「映司。この世界も同様かもしれないが、君には信じられないほどの貧困層というものは存在する。飯も食えず服も買えず、石を投げられる人間がな。おそらくティナはそういう生活をしていた。親すらいたかどうか怪しいくらいだ。家事の手練れぶりをみる分、おそらく一人で生きてきたのだろう」


 ずっと一人で貧しい生活をしていた。あくまでリリーナの予想だけど、ティナの向こうでの生活がそれだ。

 石を投げられたらどれだけ痛いのだろう。年頃の女の子が服すら買えずにひもじい思いをして、それに一人でどれだけ寂しかったのだろう。


『みんなで食べるご飯は楽しいです』


 ティナの笑顔が心に突き刺さる。


「映司。厳しい生活をしていた彼女は今はとても幸せそうだ。君はそんなティナに過酷な世界へ帰れと言うのか?」


 服をはじめて渡した時、彼女は大泣きした。

 今ならわかる。たぶんティナはあの時、はじめて(・・・・)服を買ってもらったんだ。

 きっと彼女はあのみずぼらしい恰好で街往く人々を羨望の眼差しで見ていた。だって女の子なんだ。当然、綺麗な服は着たかったはず。それなのに買うことができずあまつさえ石を投げられて。

 そんな彼女が経緯はわからないけどこの世界にきた。そして俺と出会って、新しい服が欲しい(・・・・・・・・)という本当にささやかな理想が実現した。

 その時、ティナはどれほど嬉しかったことだろうか。そして、「元の世界に戻ったほうがいいのか」という俺の言葉が、どれだけ彼女に深く突き刺さったのだろうか。

 

 あんな世界に戻れだって? 彼女がそれを望むだって?

 そんなわけがない!


 己の不甲斐なさに怒りがふつふつと湧いてくる。ティナのことをまったく理解できていなかった俺自身にだ。

 小刻みに震える俺にリリーナが口元をわずかにほころばす。そのサファイアの瞳は、俺の心情すべてを悟っているかのようだった。


「早くティナのもとに行ってやれ」


 優しい声に俺はうなずくと部屋を飛び出した。

 見るとキッチンでティナが後片付けの続きをしていた。ゆっくり歩み寄る俺に気が付いたのか、振り向き笑顔を浮かべる。どこか影を落とした微笑みに俺の心はすこし傷んだ。


「映司君?」


「ティナ。君はここにいていいんだ。あんな世界に帰らなくていい」


 俺の言葉に驚いた様子でエメラルドの瞳を見開いて。咄嗟に彼女は申し訳なさそうに頭を下げた。


「ごめんなさい。さっきのことなら気にしないでください。何もかもお世話になっているのにあんなこと言って。わたしが悪いんです。忘れてください」


「いやいいんだ。君のことをよく知らなかった俺が悪いんだ。今でも全部わかってるわけじゃないけどこれだけは言える。君がこの世界にどうやって来たかはわからない。だけど、ここに来たってことは、君がこの世界に来るべきだったからだと俺は思う」


 ティナは頭をあげて俺をじっと見つめている。


「この世界でのことは俺が何とかする。だからもし君がこの世界で生きたいと願うのなら、このままここにいて欲しい」


 いつしか彼女の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。

 この世界にきて、きっとティナは幸せだった。鈍感な俺でも普段の表情を見ればわかる。そんな彼女がずっと望んでいたこと。それを今、俺はティナにはじめて言葉で伝えたんだ。

 大粒の雫が彼女の頬を流れた。


「……わたしは何もできません。何もわかりません。すべては映司君への甘えだということだけわかっています。でも許されるのなら、わたしはいつまでもここにいたいと思います」


 涙ながらに「ありがとうございます」と頭を下げるティナに、俺は思わず抱きしめたくなって。

 彼女の細い両肩を優しく掴んだ。涙で潤んだエメラルドの瞳は俺を捕らえて離さない。

 ゆっくりと、ゆっくりと体を近づけた……その時。


「お取込み中、悪いんだけど」


 俺は突然の乱入者に思わず「うわぁっ!」と変な声をあげた。ティナもびっくりして思いっきり体がのけ反っている。

 見るとリリーナがまるで俺達の間に割り込むように立っていた。


「お風呂まだ?」


「あ、ごめんなさい。もう入れると思います。ちょっと見てきます!」


 頬を赤らめ、パタパタと走っていく彼女の後姿を見て。いまだ高揚感が抜けきっていない俺は、ふとリリーナを見つめる。

 なんだ。その顔。その「してやったり」みたいな悪戯心が全開の顔はなんだ!


「いやぁ、いいところ邪魔してわるかったー」


「その棒読みやめろ! 助け船だしてもらって言うのもなんだけどタイミング良すぎだろ!」


「うーん。なんていうのかな」


 リリーナは言葉を選んでいるのか、視線が明後日の方向を向きながら銀色の髪を指先でつまんだ。


「敵に塩を送るだけだと……気が済まないってところか」


 何いってんだコイツ。意味わからねぇ。

 もしかしたら触れ合っていたかもしれないティナの唇を思い浮かべて。俺はため息をついた。

 その時、チラッと見えたリリーナの唇は、何故かぷるんと艶やかで魅惑的に思えた。

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