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第12話「沈黙の晩餐会」

「えーと。どういう状況なの? これ?」


 殺気にも似た緊張感がリリーナと京子の間に流れている。浮気がバレて、愛人と恋人が同じ場所に居合わせたかのような修羅場の空気。対照的に笑顔を浮かべて料理に勤しんでいるティナがかなり浮いている。

 京子は一瞬、俺に助けを求めるような目を向け、「お……おじゃましてます」と彼女らしくない小さな声を出した。

 それに反応するかのようにリリーナがチラッと俺を見て。右手からぶら下がったナイフがトスンと再びテーブルの上に落ちた。


「どういう状況だって? 家の前でコイツがうろついていたから捕獲した」


「なにその捕獲ってモンスターハントみたいな。てかあんた、なんでそんな不機嫌なの?」


「私は胸がデカい女は嫌いなんだ」


「そんな個人的な理由かよ! っていうか京子はどうしてここに?」


「幼馴染らしいな。ふん。どうせその立場で余裕をかましていたら、男に女の影がちらちら見え始めたのが気になって突撃してきたんだろうよ」


「え?」

 

「いや、あの……さ。放課後に話したよね? それからやっぱり気になってさ。来ちゃったのよ。それで玄関の前に行ったら中で誰かの気配がして……」


 俺は京子の腕を掴むとリビングの奥へと連れていく。背中にリリーナの冷たい視線を感じながら、京子の耳元に口を近づけた。


「詳しく説明して!」


「わ……わかったわよ」


 京子の話をまとめるとこうだ。

 放課後の一件後、やはり親戚どうこうが胡散臭く感じたのか京子はまっすぐ俺の家に向かった。すると中から人の気配がするもんで、インターホンを鳴らすかどうか悩んでいたらしい。

 そうしたらまるで玄関に立っているのを察知したかのように突然、リリーナが扉を開けた。びっくりしながらも京子が自分の素性や家に来た説明をはじめたが、リリーナの無言の圧力にしどろもどろになる。そんな時、ティナが「映司君のお友達ですか? ご飯一緒にどうですか?」と半ば強引に家に入れたらしい。


 そこまでは理解した。だけどなんでリリーナはナイフをもっているんだ?


「なんであいつ、ナイフもってんの!?」


「知らないわよ! 『座れ』って言われて言う通りにしたらテーブルの上に置いてあったナイフでトスントスンはじめるんだもん! しかも無言でさ。なんであの子、あんなに怖いわけ!? いつ刺されるかこっちはひやひやしてたんだから!」


「それは俺もわかんねぇけど、あいつなんか変なところあるから……」


 会話が一瞬、止まる。

 その隙をついて選手交代とばかりに今度は京子が詰め寄った。


「っていうかなにあの子? 親戚? そんなわけないよね? あんな綺麗な外人の子二人も家にいれて映司はハーレム気分でも満喫していたの? それにあのナイフの子さ。この前、駅でプラカード持って立ってた人だよね? なんで一緒に暮らしてんのよ?」


「い……いやそれはちょっとわけありで……」


「そりゃあたしに来るなって言うよねぇ? あーんな可愛い子二人もいて、それも家事してくれてるんならあたしいらないもんねぇ?」


 まるでナイフのように京子の目が鋭い。俺は心の中でどっと冷や汗が噴き出ていた。なんとかこの場を切り抜けられる言葉はないものか。

 頭をフル回転させているその時、トスンという音と共に冷ややかな声が響いた。


「残り二分」


「なんで制限時間あんの!? っていうかそれ過ぎたら何する気!?」


 俺はリリーナにそう叫ぶ。だがそれを制止するかのようにトスンと響くナイフの音。一発触発の空気が張りつめる。

 なんで俺は京子に詰め寄られ、言葉の拷問食らいながらリリーナに脅されなければならないのか。彼女が何をするつもりなのかわからないが、雰囲気からいってきっとロクなことじゃない。


 前門に黒髪の虎。後門に銀色の狼。それを乗り越えれば天使の至福の料理が待っている。

 その極限状態で俺はひらめいた。京子は「外人」と言っていた。金髪と銀髪を見て彼女は当然ながら日本人じゃないと思っているんだろう。

 さらに京子は俺の親父のことはよく知らないはず。とはいっても俺もよく知らないんだけど、ここは亡くなった親父に助けを求める!


「京子。隠して悪かった。だが聞いてくれ。時間がない」


「何よ」


「あの子達は実は親父の知り合いの娘さんなんだ。親父は生前、外国にもよく行っていて知り合いがたくさんいるらしい。それで彼女達は親父に会いに日本にきたんだけど……死んでるの知らなかったらしいんだ」


「そ……それはちょっと可哀想」


「それでさ。家に訪ねてきた彼女達をほっとけなくて。詳しくは聞いてないけどなんか訳ありらしいんだ。だから日本に滞在する間、俺が面倒みようって思って」


「それ、おばあちゃん知ってるの?」


 くそっ。本当に鋭いなコイツは!

 結構、世話好きな京子なら情に訴えて回避できるかと思ったが、おばあちゃんに問い合わせなんてされたら成す術なくなる。コイツならまじでやりかねない。


「おばあちゃんは知らない。っていうか最近、具合悪いらしくてさ。もう歳だし。あんまり余計な心配かけさせたくないんだよね」


 これは本当だ。俺のおばあちゃんはもう八十歳になる。実家で一人暮らしだけどご近所さんに手伝ってもらいながら生活している。余計な心配をかけさせたくないのは俺の本音でもある。


「なるほど……」


 京子が納得したかのようにうなずいている。これは好感触だ。

 その時、「時間だ」というリリーナの冷たい声が響いた。その声にピシャリと体を一瞬、震わせる京子。一瞬、緩んだ空気が再び一気に張りつめる。

 ゆっくり俺は振り向いた。少し離れた視界で映るリリーナの手にはナイフが握られている。彼女はその先端を俺達に向けた。

 ごくりと息を呑む。リリーナは冷たい目線を投げかけたまま、ナイフを振りかぶり……。


「ちーん」


 可愛らしい声に反して無表情な彼女は、素早く電子レンジからフランスパンを引き出しザクザク切っている。


「は?」


「飯の時間だぞ。映司」


「二分って焼けるまでの時間かよ!」


 よく見たらリリーナの持っているナイフはただのパン切り包丁だった。

 彼女の後ろでは、厚手の手袋をはめたティナが笑顔で大きな鍋を持っていた。テーブルに置かれ蓋を開けた途端、鼻をくすぐるのはおいしそうな料理の匂い。


「ビーフシチューというものを作ってみました。お友達の方もよかったら召し上がって下さい」


「何、そこで茫然と立っている。冷めるぞ?」


「おどかすなよ……」


 俺は大きなため息をついた。その時、チラッと見えたリリーナが何やら悪戯好きな小悪魔の微笑みを見せた気がした。


 

 ◇ ◇ ◇



 重い。雰囲気がすごく重い。

 ティナが作ってくれたビーフシチューは素晴らしく美味しい。牛肉はトロリと溶ける柔らかさだし、リリーナが焼いていたらしいパンも表面がサクサクで、シチューとすごくよく合った。

 少なからず料理に精通している京子も思わず「美味しい」とうなる出来だった。だけどこの張りつめた空気だけはいつまでも重くのしかかる。それは流れを読めないティナでさえ時々、笑顔を無くすほどだ。


 俺の向かいに座っている京子は、ビーフシチューを口に運びながらもチラチラと俺の横を見ている。隣に座るのは、この空気の重さをもろともせず黙々と食べるリリーナだ。


 ……苦しい。こんな重苦しい晩餐ははじめてだ。


「いや、しかしティナのシチュー美味しいね!」


「あ、そうですか。ありがとうございます」


 まるで助け船が出されたかのようにティナの表情がパッと明るくなる。

 しかしその後、訪れる無言。スプーンのカチャカチャと動く音だけが虚しく響く。京子の顔は複雑そのものだ。配膳する時ティナには優しい笑顔を向けていたが、リリーナを見る目はどこか冷たい。

 そして俺を見る目も。ほんのわずかな間だけですぐ元の表情に戻ったが、俺は見逃さなかった。


 今まで見たことがない。怒りや悲しみが混ざったような目だ。

 ずっと女友達のように接してきた。幼馴染だけどそこから先には進まなかった。俺はそれでよかったし京子もそうだろうと勝手に思っていた。

 そう。俺の勝手な思い込みなんだ。京子は本当は違うんじゃないのだろうか。

 一瞬、見えた瞳とあの教室で見せた寂しげな表情が俺の頭の中で複雑に混ざり合っていた。


 食卓を覆う重苦しい空気に耐えられなくなったのか京子は、早くビーフシチューを食べ終わると「ごちそうさまでした」と席を立つ。


「あの、あたしそろそろ帰らないと駄目なので、これで失礼します。ビーフシチュー美味しかったです」


「あ、送っていくよ。ティナはゆっくり食べてて」


 急いで席を立つ。

 京子は笑顔で手を振るティナにお辞儀をすると、リリーナをチラ見してから玄関へと歩き始めた。

 扉を開けると薄暗くなってきている。京子の家はこのアパートのすぐ近くだから一人でも問題ないとは思うけど、やっぱり女の子の一人歩きは危険な時間帯だ。

 

 京子はローファーを履き立ち上がったその時、ピタリと動きを止めた。

 気が付くと俺達の後ろにリリーナが立っていた。彼女を見る京子の目は冷たい。


「な……なんですか」


「そんなに警戒するな。私は助言にきた」


「助言って……なんですか」


「お前は踏み込んではいけない領域に片足を突っ込んでいる。事が済むまで引き下がるべきだ」


 リリーナのその言葉に京子が怒ったかのように全身を一瞬、震わせた。


「それどういう意味ですか? あたしに映司に付きまとうなって言いたいんですか?」


「そう受け取ってもらっても構わない」


「何様のつもり? いきなり映司の家に転がり込んでおいてその言い草。非現実的な気持ち悪い銀色の髪で、まるで人形みたいな綺麗な顔で映司に近づいて何を企んでいるんですか。そしてあたしに敵意丸出しで。映司のこと何も知らないくせに偉そうなこと言わないでください!」


 京子の吐き捨てるような言葉が響き渡る。それに対してリリーナは整った眉一つ動かさない。

 玄関から飛び出るように外へ出た京子の腕を掴もうとするが振り払われた。そのまま彼女は振り返ることなく視界から消えていく。

 俺は後を追うことができず茫然と立っていた。ふとリリーナを見ると先程の言葉に怒るどころか平然としている。


「気持ち悪いか。その程度で済むなら優しいほうだな」


「怒ってないのか?」


「そんなことで激情したりなどしない。この銀髪のことで言われるのはとっくに慣れている。それに嫌われ役もな」


 リリーナの言葉で俺は気が付いた。

 彼女はわざと京子に嫌われるような言動をとっている。自分が嫌われ役となることで京子は、リリーナがいる以上、今まで通り家に来ることはないだろう。

 それがリリーナの目的だ。彼女は俺と京子を一時的に離そうとしている。理由は当然、「刻印」があるからだ。


「あんた、まさかわざと嫌われた?」


「というか、もともと私は胸のデカい女は嫌いだ。それに加えて君の刻印の問題もある。ティナでさえ巻き込みたくない現状、さらに無関係な人間を巻き添えにする気か?」


「そ……それは」


「彼女は君をよく知っている。私よりずっとな。そんな彼女がもし君の刻印の件を知ればどうなる? 確実に首を突っ込んでくるぞ。それが何を意味するか、君ならわかるだろ?」


 最悪、起こり得る展開。それは京子の死。

 あの死神がまた現れた時、その場に京子がもしいたら。俺の目の前で彼女が殺されることだって十分あり得る話なんだ。

 刻印のことについてなるべく他の人間が巻き込まれることは避けたい。リリーナも当然、そう考えている。それには多少、冷たい態度を取るかもしれないけど京子の巻き添えは防がないといけない。

 薄暗くなっていく中、視界にぼんやりと浮かぶ京子の幻影に俺は「ごめん」と短くつぶやいた。


 扉を閉める。その時、こちらを見つめるリリーナと目が合った。

 普段着として来ている桜色のジャージというラフな格好に、蛍光灯の下で輝く銀色の髪。彼女はこの髪で今まで何度も冷たい言葉を投げかけられてきたんだろうか。


「なぁ。あんた、本当に髪のことで言われてムカついたりしない?」


「うん? さっきも言ったがその手の非難中傷には慣れている。いまさらなんとも思わない。一目見て何も言わない奴はそんなにいないぞ。君も珍しいくらいだ」


「そうか? 銀色の髪ってカッコいいし綺麗だし。俺触ってみたいくらいなんだけど」


「触ってみたいなんていう変人は君くらいなもんだな。いいぞ。触っても」


「え、まじで?」


 うなずくリリーナにそっと手を伸ばす。銀色の糸のように一本一本が輝くそれに指先が触れそうになった途端、手に衝撃が走った。

 まるで感電みたいにビリッと響く痛みに思わず体を震わせ、俺は手を引っ込めた。でもそれは一瞬で痛いという感情より驚愕のほうが上回っていた。


「やっぱやめた。君の手はどうも変態くさい。手つきが嫌らしい」


「おま……最初から触らせる気なかっただろ!?」


 俺の言葉にリリーナはペロッと小さく舌を出して小悪魔な笑みを見せた。



 その後、夜に京子からコネクトが送られてきた。

 内容は「空気悪くしてごめんね」と「あの銀髪の子のことも悪く言ってごめん」という謝罪だった。俺は「あいつ気にしてないみたいだからいいよ」とだけ返信した。

 次の日。学校でも京子はいつも通りだった。それでも俺は一瞬、見せた彼女のあの目が頭の片隅にこびりついて離れなかった。

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