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失恋よりも痛いもの

「君のことはいい友人だと思っているよ」

 

 その一言で私の5年にも及ぶ初恋が幕を閉じた。

 

 いけると思っていたし、出歯亀根性丸出しでその現場を覗いていた彼の上司兼自称私の兄も耳を疑って、耳に指を入れては中の汚れを何度か掻き出していた。

 けれど彼と30センチほどしかない距離にいた私には認める以外の選択肢は残されていなかった。

 

「……そっか。私が言いたいのはそれだけだから。じゃあ……」

「待ってくれ、ソニア」

 溢れそうになる涙をすんでで耐えながら「何?」と背中で答えた私に彼が言った言葉は「団長には今日のこと、言わないよな?」だった。

 私は一瞬身体が自分のものでなくなったかのような錯覚に陥り、そして無意識のうちに「もちろん」と答えた。すると魔法が解けたかのように途端にその場を立ち去る足は軽くなった。

 

 城から歩いて数分ほどに借りたワンルームのアパートの一室へと足を踏み入れ、近所迷惑を考えずにバタンと力任せに閉じるとドアを背を預け、溜めていた涙を一気に流した。

 

 それは失恋の悲しさなんてものではなく、5年間も彼に片思いしていた自分の不甲斐なさに対してのものだった。

 

 彼の優しさは全て団長であるアスランが私の兄を自称してやまないからこそ向けられたもので、私に対しての純粋な好意でも何でもなかった。

 その証拠に彼は私の告白に「いい友人だと思っている」と答えるまでほぼ間がなく、そしていつも通りの真っ直ぐで男性らしい低い声だったのに対して、私の背に向けた言葉は彼らしくもなく震えていた。

 私が振られた腹いせに彼に何かをして欲しいとアスランに頼むことを恐れるように。

 

 アスランや私自身の権力をかさに、何かをしたことなんてしたことはないというのに、だ。

 

 彼にとって私は一人の女ではなく、団長の妹だったと言うわけだ。

 私にとっては一大決心だったあの行為は彼にとっては迷惑でしかなかったのだろう。

 

 今日の出来事だけでなく、何度となく誘われた王都散策は副団長へなるための布石で。5年もの間、贈ってくれた言葉も花もアクセサリーも全てが私のためではなかったのだ。

 

 

 

 仕方ないと5年間の思いを無理矢理思い出の箱にねじ込み、そして何重にもグルグルとテープで巻きつけたのは数日前のことだ。

 

 この時はまさか彼によってその箱が無理矢理こじ開けられるとは夢にも思っていなかった。

 

 事件が起きたのは私が遠回しに振られてから5日後のことだ。

 文官として働く私の元へ脇目もふらず彼が近寄ってきたかと思うと、彼は大声で私を罵った。

 

「振られた腹いせに団長に頼んで俺をクビにするなんてどういう神経してるんだよ!」――と。

 

 もちろん私はそんなことはしていない。それはアスランも同じこと。

 

 あの日の翌日に私を心配して家まで訪ねてきたアスランにはその件には今後一切触れるなと釘を刺しておいた。

 何か言いたそうな顔をするアスランに「い・い・わ・ね?」と半ば脅すような形で。

 私にはてんで弱い彼が激しく首を縦に振って了承していたのだ。約束を破るようなことはあり得ないと断定してもいい。

 

「何のことか私には皆目見当がつきません」

 覚えがない上に仕事を邪魔された私はこの話をさっさと切り上げるために適当にあしらいその場を後にしようとする。

 時間さえおけば彼も冷静になるだろうと。

 

 だがそれが余計彼を煽ってしまったらしい。

 

 彼は私の後ろで一本に結った髪を引き、口元まで私の耳を寄せると若干息の切れた様子で責め立てた。

「少し優しくしてやっただけで調子に乗りやがってよ。お前はさっさと団長の元に行って前言を撤回してくればいいんだよ!」

 

 その最中でさえも私の髪を引く力を強くする。

 髪は大事にしろって昔から両親と実の姉には口を酸っぱくして言われているのに、抜けた数本は彼の手に絡みついてしまっているだろう。

 

「聞いてるのか!」

 彼が興奮していく一方で私が思うのは痛いなぁとか早く離してくれないかなぁとかそんなことばかり。

 

 冷静ではないとはいえ、女性相手に暴力に訴えようとする男とはいえこれでも5年間、彼を見て来たのだ。

 今もまだ情がないと言えば嘘になる。

 

「ここは目立ちます。一旦引いては頂けませんか?」

 だからそう言ったのは彼のためだ。

 ここは王城。近くにいた文官は一部の体格のいい者を残して去っていった。

 残る彼らは鍛え抜かれたその身体を服に隠しながら私からのゴーサインをまだかと視線を頻繁に送りながら待っている。

 彼らが立ち向かえば彼なんてものの数秒で押さえつけられることだろう。でもそうなれば彼は騎士の職を退けられるくらいでは済まない。

 彼が騎士を免職になるのはおそらく私とは関係のない事案で、それに第2姫暴行が加われば貴族の出である彼の生家の取り潰しは免れまい。

 

「そう言って団長に今のことを言いつけるつもりだろう!」

 耳元で叫び、拳を振り上げるとその腕は降りる前に彼の身体は吹き込んだ。

 

 彼が今、めり込む廊下の柱は明日にでも宮廷大工によって何事もなかったかのように元の状態へと戻ることだろう。

 彼を回収していく文官も、彼を吹き飛ばした張本人もそのことなど気にしていない。

 彼らが気にかけるのは仕えるべき主人である私と、そして王族の血に連なる者だけだ。

 

「お怪我はありませんか! ソニア姫」

「……早かったわね、アスラン」

 

 本職が文官である彼女が呼びに行ってからまだ3分も経っていない。私の予想だと騎士宿舎まで彼女の足だと5分はかかるはずだったのだが、予想外もいいところである。

 あと2分あったところで彼を説得できたかと言われれば難しかったかもしれないが。

 

「……って何しているの?」

 いつのまにか私を横抱きにしてどこかへ向かおうとするアスランを制止しようとすると彼は子犬のような目で心配なのだと訴えて来る。

 恐らくは大した怪我もないというのに宮廷医にでも見せにいくというのだろう。

 

 アスランはいつもそうだ。

 私と姉は祝福の御子として生を受けた。

 代々王家に産まれた双子はそう呼ばれ、一人は次期国王または女王に、そしてもう一人は身分を隠して家臣として片割れに仕えることになっているらしい。

 

 現在は姉が次期女王に、そして私が次期宰相になるべく日々精進する毎日である。

 

 事情があって身分を隠しているとはいえ、一応は私も王族の端くれである。

 だから私の周りにはいつだって、彼を回収していった3人の文官かアスランの4人のうちの1人は護衛として必ず私の側にいることになっている。

 先ほどアスランを呼びに行ったのは私の幼馴染となるべく幼い頃に連れてこられた王家の使用人の娘、リラだ。

 今や文官を天職であったとさえ語る彼女であるが王家に仕える使用人の末裔として、一通りのことはその手の専門家よりも上手くこなしてみせる。

 

 いくら王家の決まりごととはいえ、一般市民として生きる私に縛り付けてしまうのは本当に申し訳なく思っている。

 

「そんな手当で大丈夫なんですか!?」

「これでもやり過ぎなくらいなんじゃが……。アスランは姫様を心配しすぎじゃ」

「だが私はソニア姫様の御身を預かる者として」

「ねぇ、アスラン」

 途中で出来たのか、それとも書類整理をしている時に出来たのか定かではない、手に残るかすり傷に包帯を巻かれた私は未だに宮廷医師と問答を繰り返しているアスランにとある提案を投げかける。

 

「私のお守りはもういいよ。今日で18だし、契期はもう終えてるんでしょ?」

 

 契期の終了――それは2日前、唐突に両親から告げられたことだった。

 祝福の巫女の専属騎士は巫女本人が18になった時点で終了とする。

 そのことは5年間の初恋が崩れ去ったことよりも遥かに衝撃的だった。

 

 アスランが居なくなる。

 ずっとお守りをさせて申し訳ないと感じていたくせに、寂しいと感じてしまったことへ一抹の罪悪感がひっそりと私の胸の中に発生した。

  だがそれをずっと胸に抱き続けていてはいけないことは分かっている。

 

「アスランは私の兄ではないし、家族でもない」

「私はもう、要らないということでしょうか?」

「護衛なら今まで通りに彼らが付いていてくれるから、アスランはもう要らない」

 本当は彼らだってお役御免だったのに、彼らは残ることを選んでくれた。

 だがアスランまで残る必要はない。むしろ5人の中で一番責任感の重い彼だからこそ、今のうちに、私が手放せる時に強く引き離さなければならない。

 

「そう、ですか……」

「だから宿舎に帰っていいよ。リラには何かあってもアスランのところには行かないように伝えておくから」

「リラはこれからもあなたの側に居ることを許された、と?」

「そうよ」

「……さようでございますか」

「じゃあね、アスラン」

 

 この日、私は共に18年間連れ添ってくれたアスランと決別した。

 その痛みは失恋なんかよりもずっと深く私の心をえぐり取り、翌日は腫れた両目のせいで仕事を休まざるを得なかったほどだ。


 …………なのにどうしてこうなったのだろう?

 

「ソニア、ご飯食べに行かないか?」

「今日はちょっと……」

 

「ソニア、村外れに綺麗な花畑があるんだ。週末に遠駆けでもどうだ?」

「いや、えっと……」

 

「ソニア、今度の祭りなんだが」

「仕事がありますので」

 

 あれからアスランは護衛はしなくなったものの、しつこく私の周りについて回るようになった。

 以前は意図的に休み被せることなどしなかったというのに、今では気付いたころには完全に休みが被っている。

 私が文官見習いとなった頃から兄と自称し続けたアスランには私の休みの情報はどこからでも漏れ出してしまうのだから、休みを被せるのなんて容易いのだろう。

 

 だがもうお役御免となった彼がそうし続ける理由が私にはわからない。

 わからないが、給料が減ったことへの恨みを込められても困るので2人きりになることを避けるようにはしている。どんなに他の4人がアスランに同情の視線を投げかけたとしても、だ。

 

「ソニア」

「ソニア」

「ソニア」

 

 

 この時の私は知らなかった。

 祝福の巫女付きの騎士が、なぜ巫女が18歳になった時点で契約が切れるようになっているのか。

 

 私が長年アスランに抱き続けていた思いこそ『恋』と呼ばれる感情であったことを。

 そしてアスランもまた同一の思いを寄せてきてくれていることを。

 

 知るのはまだまだ先の話。

 初恋が終わったと思っていた私にはまだ早すぎる話である。

 


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