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三回目

「これで三度目……」


 珠保院は鎮痛な面持ちをしながらぼそりと呟いていた。屋敷の談話室にて、報告に来た左衛門と会っていた。


 昼下がりの炎天下、主人である山千代と姫たちが寝静まっている時間である。彼らの世話で女中たちは傍から離れていた。

 戸が開いた空間から外の生暖かい風がたまに吹き込んでいた。遠くから蝉の鳴き声が聞こえるばかりで、二人以外の人の気配はない。


「今月に入って三度目だ。最初は三日に、次は九日、そして今日の十六日。山の麓を見てきたが、田畑と山の被害は深刻だ。領民は突如湧いて出た厄災に怯え、救いを求めていた。今回もすぐに逃げ出して、幸いにも彼らに怪我はなかったようだが……。大蛇を恐れて仕事どころではないようだ」


 左衛門のはきはきとした説明に驚愕の表情を浮かべる。


「直接見て来たの!? 大蛇がいつ現れるか、分からないというのに……!」


 慌てた珠保院に対して、彼は怜悧な双眸を向ける。


「一度現れたら、すぐには来ないと思ったんだ。大蛇は日にちを置いて出現しているからな」

「なるほど……。確かに、その通りね」


 言いながら、先ほど彼が口にした大蛇の出現した日にちを思い浮かべていた。


「それに、大蛇は近くにいた領民には目もくれず、苦しみもがいていたそうだ。やがて動かなくなり、いきなり姿を消したのも以前と同じ。もしかしたら、大蛇の身に異変が起こったのかもしれない」


 彼の推測を聞いても、何も答えられなかった。大蛇の暴動の原因に全く見当がつかないからである。


「何か手立ては思いついたか?」


 彼からの質問に苦渋の表情を浮かべながら、首を横に力なく振るしかなかった。


「そちらも美都から何か連絡はあった?」


 最悪な状況を想定して念のため美都に依頼書を出していた。しかし、残念ながら、彼までも首を横にあっさり振る。


「急がせたとはいえ、あと一週間は掛かるだろうな」

「やはりそうなのね。それと、与黄とは連絡はとれた?」

「いや、あれから何度も足を運んでいるが、ずっと留守らしく、会えず仕舞いなのだ」

「そう……」


 連続する残念な結果に無気力に嘆息するしかなかった。


(どうすればいいのかしら――。討伐を選択はできないわ。麻生殿を喜ばせるだけ。そもそも、大蛇の身に一体何が起こったのかしら? 対処したくとも、困ったことに手がかりが全くない)


 己の無力さを痛感せずにいられなかった。気まずさのあまり、そっと視線を左衛門から外して彷徨わせる。今日は縁側の障子戸を開けておいため、幼い領主がよく遊んでいる庭園が目の前に広がっていた。綺麗に剪定されて青々と茂る植木、そして敷地を高く囲んでいる板塀が並んでいる。地面には飛び石が所々置かれていて、その上を山千代は飛び跳ねて移動することがあった。


(そう、一番問題なのは、何も手がかりがないことだわ。無ければ探せばいいだけだけど――。それはある意味、危険な賭けでもある)


 思慮の海へゆらゆらと沈んでいると、手を優しく握られて我に返る。驚いて隣を見れば、左衛門が手を伸ばしながら見つめていた。その目には気遣いが浮かんでいる。彼が覗き込むように様子を探っているので、お互いの顔が自然と近くなる。


「大丈夫か?」


 久しぶりに彼の声色は優しく、心が激しく揺さぶられる。まるで昔の関係に戻ったみたようだと錯覚しそうだった。彼の真っ直ぐな視線とぶつかり、思わず息を呑む。


「もう、麻生殿に任せてしまっても良いのではないか? こんなにお前が苦しむことはないだろう」


 甘い誘惑のように魅力的な提案に素直に頷くことはできなかった。


「それはできないわ」


 はっきりと拒絶すると、彼の顔が苦しげに醜く歪む。彼によって腕をいきなり乱暴に引っ張られて、彼の胸元に飛び込むように抱き付く羽目になった。

 互いの体が密着し、否応なしに頬はどんどん熱くなる。慌てて彼から逃げようとするが、彼の両腕にしっかりと抱き締められて不可能だった。誰かに見られる前に離れなくては。けれども、このまま彼に抱き締められていたいと欲する自分の本心がひしめき合う。心の中で声にならない悲鳴をあげる。

 この緊迫する最中、なんとか口を開いて左衛門の名前を呼ぼうとした――その時である。突然身体を突き飛ばされて、畳の上に倒れされた。あっと言う間の出来事にただ呆然としてしまう。


「ひどい女だ」


 彼は恨めしそうに呟きながら、身体を密着させて馬乗りになってきた。頬を掴まれて、無理やり唇を重ねられる。その甘美な激しい刺激に思わず蕩けそうになる。


「んっ……」


 理性が彼を押し退けるように腕に力を込めて抵抗するが、彼の体は全くびくともしない。

 そんな最中、部屋の奥から二人に近づく気配が現れた。縁側の障子戸は開いていたが、奥の襖戸はぴったりと閉まっている。その隔てた向こうから足音と衣擦れの音が聞こえてきたのだ。彼もその音に気付いて、すぐに動きを中断していた。


「仕事中は私情を挟まないのよね?」


 その指摘に彼は苦々しい顔で舌打ちすると、すぐに離れて距離を置く。彼がいなくなった直後、珠保院も慌てて体勢を正す。それから身だしなみを整えて平静を装う。


 そんな不審な態度の彼らの元へ「珠保院様、おられますか。お目通りを願いたいと麻生様たちが参られました」とのんびりとした女中の声が襖戸越しに届いた。


「分かったわ。麻生殿を広間に先に案内なさい」


 女中に的確に指示して、今までの情事を頭から叩き出し、すっかり政務のみに専念する。


(そう、麻生殿には任せることはできない)


 ひたすら迷っていたが、左衛門とのやり取りと麻生の訪問をきっかけに覚悟を決める。これ以上、評定の開催を遅らせることはできなかった。信用問題に関わる。


「再び催促しに来たのね。……仕方がないわ。明日、評定を開くことにします。家臣たちへの知らせ、よろしく頼みます」


 それに対して左衛門は渋々ながら頷く。それを見届けた後、静かに立ち上がり、麻生たちの元へ重い足取りで向かった。


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