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美朱と佐助 出会い

 左衛門が珠保院と出会ったのは、佐助さすけという幼名で呼ばれていた六つの頃だ。


「聞いておくれよ! あの方が私を後添えにと望んでくれたんだよ!」


 うきうきと嬉しそうに佐助の母が教えてくれた後、あっと言う間に古い住まいから荷物をほとんど持たずに大きな屋敷へ連れて行かれた。


 何人もの使用人が丁重に出迎えてくれた。その礼儀作法の素晴らしいこと! ひたすら圧倒されて唖然としていると、上品で綺麗に手入れされた部屋の中で身だしなみを整えられた。その後、義父になる人と対面した。


 美しかった母は入り婿だった父を病気で亡くした後、この男に見初められたらしい。

 彼は時々母の元を訪れてきた男で、よく見知ってはいた。ただ、彼が家に来るときは、母の元に行くことを禁じられていたため、内心では彼の訪問を歓迎してはいなかったが。


 彼の家族にも佐助は紹介され、そこで初めて義理の兄姉となる角衛門と美朱に出会った。ただ、その時は美朱のことは年が近いなぁという感想しか浮かばなかった。

 角衛門はちょうど元服した直後で、大人の仲間入りを既にしていた。この家の跡継ぎという立場、そして離れた年齢。何もかも違い過ぎていた。


 互いに再婚ということもあり、この屋敷の中で、身内だけでひっそりと祝言が行われた。下級の武家出身の母が嫁いだ相手というのは、主君筋の上流武士の家。屋敷だけでなく、着るものや使用人の数まで全然異なり、全くの別世界の生活となった。


「奥様、本日の朝餉についてですが」

「ええ、なんでしょう?」


 母は使用人たちから奥様と呼ばれるようになった。家の監督という重要な仕事を任され、上位の使用人から様々なことを一から教えられていた。しかも母は懐妊して体調も思わしくなかったため、連れ子の佐助のことまで気を配る余裕はなかった。

 慣れない場所で知らない人たちばかりの生活。非常に居心地悪く暮らしていた。


(母の実家に帰りたい――)


 貧しくても、母とずっと一緒にいられた以前の生活が懐かしくて仕方がなかった。




 喉の渇きを覚えた佐助は、割り当てられた自室から出て炊事場に近づく。

 広い土間の炊事場には、煮炊き用のかまどや作業台があった。そこでは昼餉の用意のために使用人たちが忙しそうに働いていた。彼らの手を煩わせるのも悪いと思い、下に降りて水瓶に行く。自分で柄杓を使って水を掬っていたら、慌てて使用人たちが近づいてきた。


「若様、申し訳ございません。何か御用ですか? 私が用意しますので」


 恐縮しながら声を掛けられた。


「え、でも……」

「何をご所望でございますか? 飲み物でございますか?」

「うん……」

「では、白湯をすぐにご用意いたしますので」


 口調は丁寧だが、佐助は持っていた柄杓を強引に取られた。それから土間ではなく上の廊下で待つように促される。

 使用人が用意した湯呑を受け取ると、礼を述べて白湯を傍で飲んでいた。すると、先ほどの使用人たちがこちらを盗み見しながら、顔を見合わせて小さく笑っていた。

 非常に感じの悪い出来事で、苦痛に感じるほどだった。

 そんな風に鬱々として、部屋で閉じこもっていた時、美朱がふらりと訪れてきた。


「佐助、家にはもう慣れた?」


 格上の家の子供らしく、この堂々とした物言いがかなり苦手だった。目すら合わさず、無言で首をぶんぶんと横に振る。ところが、相手に無関心を装ったにも関わらず、彼女には通じなかった。


「そう! では、私についてくるといいわ」


 そう言いながら、美朱は佐助の手をがっしり掴むと、強引に引っ張って家の中を歩く。


「ちょ、ちょっと、どこに行くんだ?」

「佐助のために家の中を案内しようと思っているの」


 戸惑う佐助の視界には、美朱の長い黒髪が見える。それは頭の後ろでゆったりと紐で束ねられ、艶を放ちながら鮮やかな薄紅の背中で揺れていた。


 こちらに住むようになってから、屋敷の限られた場所しか知らなかった。ところが、美朱は佐助を連れまわし、色んな場所を教えてくれた。目をキラキラと輝かせながら、こちらを見つめる彼女に自然と警戒を失くしていく。まるでいつも微笑んでいるように垂れがちの目元が、とても優しい印象を与えていた。それから楽しそうに笑う口元にも、気付けば視線を送るようになっていた。


 義父や母の部屋、美朱や角衛門の部屋。次に家宝がある部屋にこっそり立ち入った時はドキドキと緊張したものだ。

 襖戸を全て開け放ち、とてつもなく長くて広い畳の上を隅から隅まで二人で走りまわった時は、それまでのふさぎ込んだ気分を忘れるほど楽しくて仕方がなかった。彼女の鈴のように可愛らしい笑い声が、心地よくて好ましかった。


 騒いでいたら母に見つかって酷く怒られたが、美朱がすかさず「佐助は悪くない。無理やり私に付き合ってもらったのよ」と全てのことから庇ってくれた。最初の悪印象はどこ吹く風。彼女のしっかりとした口調は頼もしくてしかたがなかった。

 それに、怒られたとはいえ、母が話しかけてくれたのも久しぶりで、むしろ嬉しく感じるほどだった。


「また遊ぼうね」


 そう美朱に嬉しそうに言われた時、迷わず頷いていた。

 その日から、この家で明日を迎えるのが待ち遠しくなったのだ。




「佐助!」


 自分の名を弾むように呼んで佐助の部屋の中に入ってくるのは、いつだって美朱だ。


「ちょっと来て!」


 彼女に腕を掴まれて、家の外に連れ出される。屋敷の中をぐいぐい引っ張られて歩けば、厩屋の前に来ていた。


「佐助は馬に乗ったことがある?」

「ううん」


 武家の出身とはいえ、貧しい家で馬など飼えるわけがない。返事を聞いて、いつものように目をキラキラと輝かせ始めた彼女は、興奮しながら嬉しそうに言い放った。


「じゃあ、馬の乗り方を教えてあげる!」


 彼女に勧められるままに家人によって鞍の上に乗せられた時、その高さにぐらぐら眩暈がした。


「こ、怖いよ……」


 震えながら思わず弱音を呟けば、「しっかり掴まっていれば大丈夫よ!」と当たり前の回答が力強く返ってきた。前に座る彼女の身体に縋るように佐助はしっかりと掴まるしかなかった。

 手綱を握る彼女が巧みに操り、馬を軽快に歩かせる。跳ねるようにお尻が浮き、怖くてとてもじゃないが落ち着かない。思わずぎゅっと彼女にきつく抱きつく。柔らかい身体からお日様の匂いがして、びっくりするくらい心地よかった。そのお陰で、ちょっと怖さが薄れた。


「ちょっと、佐助! 動きにくいわよ!」


 慌てた彼女の甲高い声が、とても可笑しく、くすぐったかった。

 別の意味でもドキドキと緊張した。

 美朱は活発な女の子だった。外で汚れることも厭わず駆けまわり、草むらにごろごろと転がりまわる。身体を使った遊びが好きで、木登りや相撲ごっこでくたくたになるまでつき合わされたこともあった。

 美朱は佐助より年は一つ上だったが、探索好きの目の離せない子供だった。

 当時、お付きの女中であったサエは、彼女の子供と共に美朱の後を見失わないようにひたすら追いかけていた。佐助もお供のように彼女について回ったが、「美朱さまぁ!」と後ろから叫ぶサエがとても大変そうだった。

 良家の子女たちは、そんなお転婆な彼女の遊びには付き合う訳もない。かと言って、身分の釣り合わない子供と遊ぶことは外聞がよろしくないと、親が許してなかった。そのため、義父から「美朱が無茶をしないように見ていて欲しい」と佐助はつねに頼まれていた。


「佐助が家に来てくれて良かった」


 二人でふかふかの草むらの上で大の字になりながら寝転んでいた時のことだ。

 青空を流れる白い雲をぼんやり一緒に見上げていたら、美朱から突然感謝された。


「そうか?」

「私と一緒に遊べるのは佐助くらいだから」


 サエの子供は大人しい女子だったので、彼女の遊び相手には明らかに適してなかった。


「ふーん」


 わざと素っ気なく返事をしたが、内心照れくさかっただけだった。

 新しい家の中に、自分の身の置き所がなくて嫌で堪らなかった。けれども、彼女に必要とされて居場所が得られ、なにより嬉しかった。

 そのきっかけは、隣で無邪気に笑う美朱だった。



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