与黄の住まい
山の豊かな恵みである木材は、国に大きな恩恵を与えていた。山から樹を切り出し、加工した材木を使って様々な家具を製造している。緋田地の木は上質で、しかもその細工の技術は非常に素晴らしいと、名産物としてよその国で有名である。その製作所と職人たちが住まう集落がいくつもあり、その住民たちを相手に食材や日用品などの様々な商店も沢山立ち並んでいる。こうして一つの街が昔から出来上がっていた。その下々が住まう一角に与黄は一人で住んでいるらしい。
普段は賑やかな通りは、大蛇の騒動が原因で人気がほとんどない。左衛門は貴重な通行人を見つけてはすかさず場所を尋ね、目的地の近くまでやっと歩いて辿り着いた。
狭い路地に同じような味気ない簡素な住宅がみっしりと立ち並んでいる。どれが与黄の家なのか、表札がなく区別が付かない。
庶民が生活する場に、帯刀した武士の姿は大いに浮いている。井戸のある水場で働いていた若い女たちが何事かとしゃがみながら様子をちらちらと窺っていた。
その目があった一人の女に優しく声を掛ける。
「成田左衛門と申す。与黄の住まいを知らないか?」
「ああ、あそこの家がそうよ」
水場で食器を洗っていた女は、作業を中断して立ち上がると、見るからに安普請の木造でできた長屋住宅を指差した。小さい間口の同じような造りの玄関が、いくつも並んでいた。その一軒が彼の住まいらしい。
左衛門はさっそく古い戸を強く叩いて来訪を大げさに知らせたが、戸の奥から全く返事はなかった。耳を澄ませても、家の中から気配は何も感じない。肝心の家主が不在とは、なんとも不運なことである。彼がどこへ出かけたのか。誰か知るものはいないかと、先ほど家を教えてくれた女たちの方を振り返った。
彼女たちは興味津々な様子でこちらを見ていたので、再び目が合った。
「いつ帰ってくるか、知っているか?」
左衛門が近づきながら困ったように再び尋ねると、他の女が話したくてうずうずした様子で「そういえば」と立ち上がりながら口をすぐに開く。
「昨日、出かけていくのを見たけど、なんだか様子がおかしかったのよね」
「そうそう、いきなり慌てて出て行ったわよね」
着古した小袖を着た三人の女たちは、足早に自分の周りに集まっていた。
「おかしいとは?」
彼女たちに囲まれながら堂々と話に割り込んだ。
「大蛇の話、お武家さんも知っているよね?」
怯えた様子の女に無言で首肯する。
「昨日、うちらがその話で大騒ぎしていたら、たまたま家の中にいた与黄さんの耳にも入ったみたいで、びっくりしてうちらに根掘り葉掘り訊いて行ったのよ。そして、慌てて家の中に入ったと思ったら、飛び出すように出かけていったのよ」
聞きながら他の女たちも同意して激しく頷いていた。
「そうそう、顔色を変えて明らかにおかしかったわよね。それから姿をみていないから、たぶん戻ってないのかも」
「そうそう、今日は一度も見てないわ」
「一週間前くらいから、具合が悪いって、ずっと寝込んでいたのにね。何かあったのかしら?」
女たちは興奮気味に次々に自分の知っている話題に食らいつく。賑やかな様子はまるでさえずる小鳥のようだ。
彼女たちの話をまとめると、大蛇が二回目に現れた昨日、与黄は外出したまま戻っていないらしい。
「そうか、教えてくれて助かった。礼を言う」
言いながら左衛門は笑顔を浮かべる。すると、こちらの顔を見て頬を赤らめた女たちは慌てて、「あら、お礼なんて別にいいのよぅ」とはにかみながら謙遜していた。
その後、隣近所にも一軒ずつ丁寧に回りながら与黄のことを尋ね歩いた。
しかし結局、彼の行方を知る者はいなかった。何も情報を得られないまま、日はすっかり暮れようとしていた。傾いた陽の光が、空を赤く染め上げている。山の影にあともう少しで沈む頃だった。暗くなれば、もうこれ以上は身動きできない。
仕事としては、とても残念な結果だった。ただ、任務を真面目に遂行しようと、できる限りのことはしていた。
仕事に私情を挟まないと言った手前、指示にきわめて忠実だった。それ以上のことを自ら進んでするつもりは毛頭なかったが。そもそも他の者が任命されても、与黄が不在ならば何も情報は掴めなかっただろう。
今回は麻生の手腕のほうが少し上だった。討伐ともなれば、女子である彼女の出番は完全になくなる。実際に手柄を立てた麻生に彼女は大きな口は叩けなくなる。補佐としての面目を大きく失うだろう。それは彼女の自業自得だ。それどころか、その重すぎる責務から早く退けばいいと願っていた。
常に抹香に包まれ、墨染衣に身を包んだ彼女を見るたびに、その貞節を踏みにじり、めちゃくちゃに汚したくなる。
再会した当初、彼女を深く恨み、どんな手段を使ってでも苦しめようと思っていた。
裏切られた憎しみの炎は未だに胸の中でめらめらと燃え続けている。自分をあっさりと捨て去り、極上の生活を手に入れた彼女。それを失った時、彼女はどうなるのか。
そんな彼女に自分は何を望むのか――。
答えを明確に出さないまま、左衛門は真っ直ぐ彼女が待つ屋敷に急いで戻った。