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主従

 その後、麻生たちは謀反の疑いで厳しく処罰され、緋田地の国に再び平穏が戻った。

 危機は去ったが、勤めは無くなる訳ではない。珠保院は再び政務に専念する。平穏の忙しい日々が久しぶりに戻って来た。

 気付けば終わっていた夏の季節。暑さばかり感じて、せっかくの旬を落ち着いて楽しむ余裕もなかった。最近では、外からは涼しい風と共に鈴のような虫の音色が静かに聞こえる。

 休憩に入った珠保院のところへ左衛門が訪れたのは昼過ぎのことだった。

 すっかり厳しい暑さの日差しがなくなり、温かな陽気に包まれる濡れ縁に二人は並んで座り、様々な報告を彼から受けていた。


「そういえば、芳乃殿のことだけど――」


 珠保院は左衛門の元婚約者について話を切り出した。


「芳乃殿の体調が戻ったため、彼女の実家から迎えが来て帰っていったわ」

「そうですか」


 彼の反応はあっさりしたものだった。元婚約者に本当に情は持ち合わせていなかったらしい。

 仕方がないとはいえ、皆の前で晒す真似をすることはなかったのではと、彼を責める気持ちが無い訳ではなかった。そう考えながら彼のことを見つめていると、気まずそうに彼は表情を僅かに変えた。


「彼女には大変申し訳ないことをしました。まさかあんな質問を皆の前でするとは思ってもみませんでしたので」

「確かに、いきなり本心を聞かせて欲しいと尋ねてきた時は驚いたけど……」


 皆の前ではっきりと彼に芳乃は振られて、さぞかし彼女は同情されていた。


「彼女は大勢の前で騒いでいたので、変な憶測が噂になるのを避けたかったんです。それに、期待させては申し訳なかったので、二人きりでは会いたくなかったのです」

「そうだったの……」


 話を聞きながら、彼の心配が分かる気がしていた。沢山の家人たちに好奇の目で芳乃の騒ぎは見られていた。それが噂になれば、彼との仲も自然と知られることになるだろう。


「そういえば、以前途中だった話の続きを覚えていらっしゃいますか? 珠保院様……」


 彼から振られた話題を忘れられる訳がない。ずっと気にしていたが、話し合える機会が全然なかった。

 今も傍にサエがいるため、彼の口調は堅苦しいものになっている。麻生に自分たちの関係を疑われて以降、なるべく二人きりで会うのを避けていた。


「ええ、でも……」


 サエがいる方角をちらりと一瞥して、その会話は他人に聞かれたら不都合だということを暗に彼に伝えた。


「恐れながら」


 突然、その声を発したのは、サエだった。振り返って顔を部屋の入り口に向けると、そこで控えていた彼女は、こちらに身体を向けながら頭を下げていた。


「お聞きした会話は一切他言いたしません。お立場上、なかなか二人きりでお会いになれないのですから、私がいる時だけでも、ありのままでお話しくださいませ」


 真摯な彼女の申し出を聞いた途端、恥しさと動揺が襲ってきた。


「サエ、気付いていたの……?」

「はい、貴女様が生まれた時からお傍に仕えていましたから。お気持ちはよく分かっておりました。ですから、ずっと心を痛めていたのです。山千代君とお家のためとはいえ、ご自分の幸せを犠牲にされたことに」


 サエの心痛な面持ちを見つめながら、自分の理解者がいたことを嬉しく思っていた。

 沙紀はサエの娘だった。サエは乳母として仕えてくれた後、実家で女中として働いていた。だから、山千代自身は知らないが、サエと彼の君は血縁関係にあった。


「ありがとう、サエ。でも、犠牲とは思ったことはないわ。山千代君のことは我が子のように愛しく思っております」

「それは失礼を申しました。ありがたきお言葉、感謝いたします」


 サエが恐縮して頭を再び下げてしまった。


「いいえ、いいの。婚家に留まる限り、誰とも結ばれないことは事実だし」


 と、慌てて付け加えた。その言葉を聞き、サエは姿勢を正し、こちらに穏やかな笑みを浮かべた。

 彼女に微笑み、それから隣にいる彼と見つめ合った。


「兄上から聞いたわ。貴方の縁組を進める気だって」


 その言葉に彼の顔つきが強張る。


「でも、俺はその気はない」

「家同士の繋がりだと、言っていたわ。そうなれば、左衛門殿のお気持ちは聞いてはもらえない。だから、もう私のことを忘れて欲しいの」

「美朱」


 昔の名前を呼ばれて、思わず固まってしまった。どうして今さらその名前を呼ぶのかと、怪訝に思って彼を見つめた。


「なんでも勝手に決めてしまうのは、良くないことだと思うぞ。駆け落ちの時と同じだと、思わないのか?」


 昔の自分の過ちを話題に出されて、思わず口を閉ざした。

 確かに彼の言う通りだった。また勝手に自分の中で答えを決めつけてしまっていた。


「ごめんなさい。でも、それしか方法がないと思って……」

「サンゴ様は言っていた。お前のことを支えてやってほしいと。それで俺はやっと気付いたんだ。自分のことしか考えてなかった愚かな自分自身に」

「え?」


 突然の彼の謝罪に戸惑いながらも、それは違うと強く感じていた。


「左衛門殿は何も悪くはなかったわ!」

「いいや、駆け落ちをして実家がどうなるのか、俺はそこまで深く考えてなかった。でも、輿入れを言い渡された当事者のお前にとっては全然違った。苦しんでも当然の状況だったのに、俺は自分のことで精一杯で、お前の気持ちを全然考えてなかった。だから、お前の苦しみに全然気付けなかった」

「でも、私が何も言わなかったのだから、気付かなくても仕方がなかったわ……」


 その返答に彼は首を力なく振る。


「それでも、お前の態度が急変した時に、何も察することができなかった。それどころか、自分は愚かにもお前を責めるだけだった。辛い立場にあったお前を。ずっと酷い仕打ちをして本当にすまなかった」


 彼の心からの謝罪を聞きながら、涙が溢れて仕方がなかった。まさか、彼にこんな風に自分のことを受け止めて貰えるとは思ってもみなかった。ただ自分だけが悪いのだと、その良心の呵責に苦しんできたのに、彼のお蔭でようやく救われた気がした。

 頬を伝う雫を彼が伸ばした手で拭き取ってくれた。


「だから、これからはお前を支えたいと思ったんだ。二人で一緒にこれからのことを考えよう」


 穏やかな目で彼は見つめながら、彼のもう片方の手が優しく珠保院の肩に触れた。


(そうだ、彼の言う通りだ)


 自分一人の力では、麻生を追いつめることができなかった。最後に左衛門の策略があったお蔭だった。

 あの時、延方は呪いによって追い詰められていた。彼の心理状況と罪悪感を利用すれば、自分から尻尾を出すのでは、と彼は読んだのだ。

 そのためには、冴木の協力が必要だったが、失敗した時の危険は大きい。そのため、彼は承諾を酷く躊躇ったらしい。その彼を左衛門はかなり強引に説得したと聞いていた。


「珠保院様が失脚すれば、残念ながら冴木様への報酬を払えなくなります。また、珠保院様に協力していた冴木様は、麻生殿に追い出される恐れがあります」


 そんなことを彼は口にしたらしい。それを聞いた時、彼の策略としたたかさに思わず舌を巻いた。

 目の前でこちらの答えをひたすら待っている彼に珠保院は微笑んだ。


「ありがとう、左衛門殿。でも、これからどうしたらいいのか、私には分からないわ」


 彼の縁組を止める術を全然思いつかなかった。


「だから、俺に良い案がある」

「え?」


 目を見開いて相手を見れば、彼は悪戯に目を輝かせていた。

 左衛門は珠保院の耳元でその内容を囁く。それを聞いて心底驚き、思わず彼の顔を食い入るように見つめてしまった。


「本気なの……?」


 息を凝らして、そう相手に真意を尋ねれば、彼は迷いのない瞳ですぐに頷いていた。


「だから、山千代君が元服した際には、今度こそ俺と一緒になってくれ」


 彼は突然の求婚に喜びで感極まり、両手で口元を覆ってしまった。彼は一途な目で注視している。

 予想外なことばかりが続き、混乱したみたいに頭の中が展開についていけなかった。頭は真っ白になりながらも、何度も頭を動かして頷き、気持ちを何とか伝えていた。


「本当にいいの……?」


 不安そうに見上げれば、いきなり彼は抱きしめてきた。


「左衛門殿!」


 サエが居る前で! 咎めるように小声で名前を呼んでも、彼は全然お構いなしだった。


「美朱、大好きだ」


 そんな彼の嬉しそうな言葉に思わず騙されそうになる。惚れた弱みにすっかり付け込まれて、彼にされるがままだった。

 いつだって、彼の突拍子の無い策略には、全く敵わない。


(左衛門殿が明日いなくなる――。私も自分の問題と対峙しなくては)



 その後、彼と惜しみつつも別れてサエを従えて自室に戻った。これから慮庵の住まいを訪ねるために。

 以前会った後、彼は体調をさらに崩してしまい、しばらく寝込んでいると聞いていた。元々持病があることはつい最近知ったばかりだったので、舅の容体が気になっていた。

 珠保院が女中のサエを従えて慮庵の住まいを訪ねた時、下人の男が表で薪を元気に割っていた。慣れた手つきで斧を振り上げている最中に自分たちの訪問にすぐに気付き、彼は慌てて作業を止めて礼をとる。


「あの、お越し頂いて誠に申し訳ございませんが、主人である慮庵様は只今臥せっておいでですので……」


 顔に火傷の痕がある下人が恐縮しながら面会の遠慮を申し出ていた。それに珠保院は鷹揚に頷く。


「そうだったの。慮庵様の見舞いは会わずとも構いませんとも。ご機嫌の良いときに言付けをお願いできればと。あと実は、七兵衛に尋ねたいことが一つあって」

「私にですか? 何でございましょうか……?」


 きょとんとした表情を彼は見せた。


「麻生殿に策を教えたのは貴方だった?」


 その単刀直入な質問を下人が耳にした途端、彼の顔が明らかに強張った。


「――なんのことでしょうか?」


 先ほどまでの穏やかな口調がすっかり無くなり、警戒心丸出しの硬い口調で逆に聞き返してきた。


(やはり、そうなのね)


 彼の態度の変化によって、自分の推理が正しかったと確信を掴んでいた。

 麻生の謀略について、珠保院は途中から違和感を覚えていた。

 そう、思い出す。佐和羅山で調査を行った際の麻生の醜態を。姿なき大蛇が現れた時、みっともないくらいに彼は慌てふためいていた。さらに彼は自身の保身のために珠保院の名まで出す始末であった。

 しかし、その一方で、こちらを窮地に立たせるほどの策略を巧みに操っていた。土地神を呪術によって苦しめるという、物の怪に関する貴重な情報すら、巧みに手に入れて。どこで入手したのかと感心するほどだった。

 違和感はそれだけではない。与黄を殺した後の雑な隠ぺい方法。知恵が回るものなら、死体の身元がばれないように工夫くらいしただろう。

 巧妙な犯人の人物像に、とうてい麻生は結びつかない。そのため、彼が全て考えて悪事を行ったとは、到底思えなかった。


 他に策士がいるのでは――。そう考えるきっかけになった。


 決定的だったのは、行方家の財政事情について、麻生が不自然なほど詳し過ぎたことだ。

 慮庵の元を訪ねる麻生を珠保院自身も目撃もしていたことから、この下人が犯人に色々な策略を施したのではないかと疑いを持ったのだ。


(そう――、彼が私を追いつめた張本人とも言える。)


 白を切ろうとする彼を思わず睨み付ける。


「麻生殿は、鉄の買い付けの損失についてまでご存じだった。当家にとって、あの恥ずかしい失敗話はごく限られた者しか知らないはずなのに」


 過去に珠保院が慮庵に文句を言いに行った時、目の前にいる七兵衛も一緒にいた。彼も舅の傍でしっかりと聞いて知っていた。


「た、たぶん私以外にもご存じの方が……」

「それに、術者についても、麻生殿はどこで知ったのかしら? 慮庵様は誰にも言ってないと仰せだった。慮庵様ではないから、傍にいて何もかも知っている貴方しかいない。いかがですか?」

「それは――」


 下人は完全に沈黙した。話が全然進まなくなり、ほとほと困り果てたところ、「おぉい!」と室内から弱々しい呼び声がした。

 それに反応して、下人が慌てて家の中に入っていく。それについて行き、出入り付近で彼らの様子を静かに窺うと、中で布団を敷いて慮庵が一人横になっている姿が見えた。


「珠保院殿に中へ入って貰え」


 掠れた小さな声で舅が下人に指示していた。

 遠慮がちに彼に案内されて、舅の枕元に足早に珠保院は一人跪いた。


「お騒がせして申し訳ございません。お加減はいかがですか?」


 改めて舅に非礼を詫びると、「構わん」と舅は寝たままだが、いつも通り素っ気なく答える。


「こんな格好で済まないな。腹に悪いできものがあるみたいでな。ここ数日、特に痛みが酷い。儂はもう長くはないだろう」


 深刻な病状を聞いて、何も言葉を返せなかった。薄々気付いていたが、本人から事実を告げられると、その重みは全く違っていた。

 そんな珠保院に相手はお構いなしに、「それにしても――」と語り続ける。


「あいつのせいで迷惑を掛けたようだな、すまない」

「やはり、慮庵様も疑われていたのですね」


 その舅の言葉で全てを悟った。


「ああ、先ほど珠保院殿があいつに説明した通りのことを儂も考えていた。なあ、何故麻生に肩入れしたのだ?」


 慮庵が部屋の隅にいた七兵衛に問いかけると、彼は縮こまりながら土間の上で土下座していた。


「申し訳ございませんでした。お、お許しを……!」


 今にも殺されそうなほど怯えている下人だが、この者がしでかした罪は重い。麻生に手を貸し、こちらを陥れようとしたのだから。


「そんなことで許されるとお思いか。ちゃんと理由を述べなさい」


 怒りに満ちた珠保院が厳しく追及する。すると、彼はようやく覚悟を決めたのか、頭を少しだけ上げて、「実は――」と絞り出すように語りだした。


「わたくしめは慮庵様しか頼れる方がおりません。身内もなく、老いぼれの上にこの顔では他に雇ってくれる人はおりません。だから、慮庵様が重いご病気になられたと知り、先行きがとても不安だったのです。そんなとき、麻生様が声を掛けてくださったのです」

「それで庇護を条件に彼に肩入れしたと」


 思わす漏れた冷淡な声に下人は肩を震わせた。


「申し訳ございません。気にかけて下さった麻生様に頼まれたら断り切れず――。珠保院様に後になって私のことを気遣ってもらい、本当に大変なことをしてしまったと、後悔しました――」

「すまない、儂が悪かったのだろう」


 下人の声と重なるように慮庵が弱々しく声で真っ向から庇う。正直珠保院は驚いて舅の顔を見つめた。気難しい彼なら、そんな優しいことをするとは思えなかったからだ。


「しもべを愚行に走らせたのは儂の責任だ。今までこいつには大事なことを言わずにいた。随分儂に尽くしてくれたのにな。しもべの不始末は、主である儂が責を負うべきだろう」


 慮庵の言葉に戸惑わずにはいわれなかった。下人も同じだったのか、同様の表情を浮かべて見上げている。


「なぜ庇うのです? それに言わなかった大事なこととは何ですか?」

「礼だ。こいつの働きに報いる気はあったのだが、遺書だけ書いて何も本人には言ってなかったんだ。だから、こいつを不安にさせて今回の過ちを犯させてしまったんだ。ほんとうに、大事なことは言わないと駄目だったな」


 その彼の吐き出すような言葉が胸に突き刺さる。珠保院にも身に覚えがある後悔だった。左衛門とのことで、何も言わずに済ましてしまい、その結果相手を深く傷つけてしまった。

 下人を見下ろして、彼とのこれまでのやり取りを思い出す。最近まで名前すら知らなかった。ただの使用人――。そう考えて、彼のことを全く気にも留めてなかった。しかし、麻生は違ったのだろう。

 下人に何も情けを施さなかったのに、自分の味方にならなかった相手だけを責められるだろうか。下人に同情の余地があり、慮庵の言い分をあっさりと聞き流すことはできなくなっていた。


「分かりました。悪いのは、七兵衛を唆した麻生殿ということにしましょう。でも、何もお咎めはなしというわけにはいきません」

「それは、一体どういうことだ?」

「慮庵様が重宝されているなら、七兵衛はさぞかし有能なのでしょう?」


 そう答えると、慮庵は可笑しそうに笑った。その声に力はなかったが、とても愉快そうだった。


「引き抜きか。そうか、それなら儂がいなくなったら、安心して珠保院殿に仕えるといいぞ」

「は、はい」


 七兵衛は殊勝な態度で返事をしていた。今後彼がよそに情報を流すことはないだろう。

 これで今回の事件で気になっていた点が全て解消することができた。情報源を察した後、これ以上誰かに話されてはまずいと思い、すぐに対応しなくてはと考えていた。当初下人への怒りはあったが、彼を処罰しても今さら被害がなくなるわけでもない。優秀な人材を召し抱えられたと、前向きに考えたほうが得策だった。


「それでは長居はお体に差し障ると思いますので、これにて失礼します」


 相手の体調を気遣って、早々に退散しようと別れを口にする。それは本当に普段通りのことだった。

 ところが帰り際、敷居を跨ごうとした珠保院の背に舅の消えそうなほど小さな言葉が掛かった。


「今まですまなかったな」


 突然の謝罪に心当たりがなく、振り返って相手を見る。


「何を、ですか?」


 彼は布団の上で力なく、首だけをこちらに向けて見つめていた。


「愚息の嫁に選んでしまって」


 舅にしては珍しい歯切れの悪い謝罪。彼の目はいつもの覇気がなく、とても悲しく辛そうだった。それを認めた途端、じわじわと抉られるような衝撃が襲う。彼の言葉と表情が重く心にのしかかる。動揺して何も返事ができないまま、住いを後にしてしまった。


『大事なことは言わないと駄目だったな』


 慮案の後悔が入り混じった先ほどの台詞が脳裏をよぎる。きっと舅の謝罪は本音だったのだろう。

 舅のことを恨んだことはなかった。でも、夫と妻を放置した彼のことは快くは思ってはいなかった。

 それなのに、今更なにを――。と謝罪に対して不快に感じた自分がとても嫌だった。

 山千代が待つ屋敷に帰り、自室に戻ってからも、先ほどのやり取りが頭の中から全然離れなかった。それどころか、動揺が未だに治まらずにいた。

 先ほどの慮庵の言葉が何度も思い出される。泣きそうになるくらいに。

 そうだ。本当に今更だった。慮庵が領主に嫁ぐように命じなければ、左衛門と結ばれるはずだったのに。苦しい思いをしながら別れる破目になった。心が引き裂かれそうになるほど、辛い出来事だった。全ては武家に生まれた定めとして、何もかも諦めていた。そんな自分の気持ちを理解されているとは思ってもみなかった。


(そういえば、慮庵様も姑のことは嫌だったと言っていたわね)


 だからなのか、あの謝罪が舅の口から出てきたのは。彼も同じような苦しみを味わってきたのか。そう思うと、心のつかえが急になくなり、すとんと彼の謝罪を受け入れることができた。

 彼も自分と同じように生まれた血筋の責務に苦しんだ者同士だった。

 また、舅に会いに行こう。そして、自分も大事なことはちゃんと伝えていこう。そう前向きに思えるようになっていた。



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