追い打ち
珠保院は左衛門との会話を中断した後、屋敷の広間にて麻生とその家来たちと面会した。
挨拶の口上を終わらせた後、既に座って待っていた麻生は相変わらず太めの太々しい態度で上座にいる珠保院のことを真正面から見つめている。最初から敵意を隠そうとしなかった。
彼らの用件はやはり暴動の被害についてだった。
「佐和羅山の被害は目を覆わんばかりでございます。領民たちが丹精込めて育てた作物が台無しになり、今後の暮らしが立ちゆきませぬ。珠保院様はどうなさるおつもりか!」
彼の剣幕は凄まじい。下座で大人しく床に手をついて頭を下げているものの、その彼の眼光には憎悪に似た鋭さがある。
一方的に非を責める彼が腹立たしく、負けずに珠保院も口を開く。
「救済について、もちろん殿もお考えです。麻生殿の心配はご無用かと」
「簡単に救済と仰せられになられますが、その財源はどうなさるおつもりか! 今年は長雨の影響で領内は不作でしょう。それに先代たちのせいで、現在かなり懐事情が厳しいのでは?」
痛いところを的確に突いてくる彼に思わず渋面した。それに内心驚きでいっぱいだった。
何故、そんなことを知っているのかと。
「当家の金勘定まで麻生殿が知っているはずないでしょうに」
思わず非難を口に出していた。
珠保院が彼らの信頼を得るために、二年もの歳月と実績が必要だった。口だけで何も手出ししなかった麻生が同じようにそれを為し得たとは思えなかった。
きっと口からでまかせに決まっている。
平静を装うこちらの姿を見て、彼は人の悪い笑みを浮かべる。
「色々なお話を窺えば、おのずと分かることもございます」
彼はもっともらしい事を言って、情報源をうまく誤魔化した。彼の指摘は正しいが、だからといって彼に言われる筋合いはない。そんなことは珠保院が重々承知している。
(全く――。相変わらず口ばかり、よく動くのね)
内心彼を皮肉りながら、必死に冷静を努める。
「救済の財源については今のところ調整中です。麻生殿、心配なのは分かりますが、少々口が過ぎるかと」
答えをはぐらかしながら嫌味を言えば、「それは申し訳ございませぬ」と彼は口先に謝罪を述べていた。その表情は言葉とは裏腹に、悪びれた様子すら見せない。
「けれども、領内の一大事でございますから、家臣一同心配しております。また、領民を不安にさせないためにも、早く補償内容を伝えなければなりませぬ。明日の評定までにお考えを是非お聞かせ頂きたく存じます」
「ええ、それはもちろん予定しております。今日のご用件は、これでお済みですか?」
言外に早く帰れと匂わせて話を打ち切ると、相手は気味の悪い笑みを浮かべる。
「これにて失礼いたします。お忙しい中、お時間頂き、感謝致します」
彼が頭を下げると、それに倣って彼の家来たちも叩頭する。それを珠保院は動揺を隠して見守っていた。
作法に従い先に立ち上がるが、まるで彼らから逃げるような心地だった。
広間を後にする際、後味の悪さに思わずちらりと視線を広間にいる客たちに投げつける。視界の隅に入ったのは、腕に布を巻いている延方だ。今日も存在感なく、麻生の後ろに控えている。
その彼の顔色は、俯いているから分かりにくいが、土色のように黒ずんでいる。目は生気がなくなったみたいに淀んでいた。
翌日、珠保院は大蛇の騒動について調査に携わっていた者たちを呼び寄せた。
晴れて明るい日差しが入り込む談話室にいるのは、兄の角衛門、加藤、左衛門。そして最後に協力者の冴木である。
主に調査に関わった主要な人物たちが集まっていた。
上座にいる珠保院と男たちは対面し、横二列に並んで座っている。さほど広くない部屋の中の熱気が、さらに多くなっている気がした。
部屋の周囲は人払いをしているため、物音もなく静かだ。外から微かに虫の鳴き声が聞こえるだけだったので、室内の会話は中断することなく進む。
「左衛門から全て聞いたぞ。麻生の仕業だったとはな」
目の前にいる兄の声に皆が黙って耳を傾けていた。それに兄の横に座っていた加藤が反応して口を開く。
「確かに、誰よりも早く大蛇討伐の手筈を整えておりました。しかも、大蛇という手強そうな物の怪相手だというのに、討伐を強く主張していました。奴らなりに切り札を隠し持ち、勝算があったのでしょう」
彼の説明に一番後ろにいた左衛門まで頷いている。
「それに加え、あの方は後継問題に最後まで異を唱えていましたね」
後ろから聞こえる義弟の言葉を聞きながら、角衛門も頷いている。兄は腕を組みながら、「全く、もう――」と悪態をつく。
「我らを陥れるような策を弄するとは。あの者を見くびっていたようだ」
「それが一番意外でした」
兄の言葉に思わず珠保院も感想を漏らした。
「確かに、そのせいで完全に油断してしまっていたな。あいつめ、不手際をなかなか出さない我々に業を煮やしたのだろう。全くもう」
兄は苦々しく悔しそうに呟く。加藤も同じように渋面で頷きながら、「土地神である大蛇を暴れさせるなど、酷い話でございます」と手段を選ばぬやり方を非難していた。
物の怪や土地神などについて、珠保院たちが全くの素人であることを犯人は逆手に取り、計略を企み実行した。そして現状、完全に後手に回り、追い詰められていた。
「一体、麻生殿はどこから物の怪や術者の情報を手に入れたのかしら?」
「全く、どこかで聞きつけたのであろう」
珠保院の疑問に兄が恨めしそうに反応したが、麻生の情報源に全く見当がつかなかった。
珠保院がしばらく悩んでいる最中、黙って話を聞いていた冴木と目が合った。彼は後ろで左衛門の横に大人しく座っていた。わざわざ彼に来てもらったことを思い出し、慌てて口を開く。
「ところで今日、冴木様にお越し頂いたのは、呪いについてお聞きしたからです」
用件をすぐに話すと、彼はぼんやりとした顔つきを改めて真剣になった。
「呪いとは、また物騒ですね。いかがなされましたか?」
延方久義の腕の傷と痣について彼にさっそく詳しく説明した。すると、彼の眉間に深い皺が寄り、細い目つきがますます鋭くなった。
「恐らく、呪われたとしたのなら、傷をつけられた時に念を込められたのでしょうね」
「念とは、呪術の類のものですか?」
質問を続けると、彼はすぐに首肯した。
「そうです。誰にでも使える呪術の一つです」
「誰にでも使えるとは、素人の私でも、ということですか?」
問いに彼は再び頷く。
「その通りです。強い気持ちを込めて、相手に念ずるのです。その想いや素質により、相手への影響力は異なりますが」
「では、念を込めたのが術者であれば、その力は――」
全てを言い終わる前に彼は察してくれたのか、その眼差しはさらに鋭いものになった。
「大変恐ろしいものかと。その延方という方が幻として痣を見て苦しんでいるくらいですから、よほど酷い恨みを持たれたのでしょう」
「なるほど」
冴木の念についての説明が終わった直後、「恐れながら珠保院様」と左衛門が畳に手をついて発言の許しを求めてきた。
「どうされました?」
「状況により、延方が与黄を殺める際に恨みの念をつけられた可能性が考えられます」
彼と同じ考えを珠保院も抱いていたので、すんなりと頷いた。
「ええ、そういう推測も立てられます。……でも残念ながら、これも確かな証拠が何もありません」
今まで収集した話をもとに事件を推理していた。状況的に麻生が犯人説は濃厚だったが、それを裏付けるものが乏しかった。
「確かに。証拠といえば、お供え物を準備したと思われる買い付けがあるだけですね」
珠保院の言葉に今度は加藤が反応した。
与黄は殺されて死人に口なし。今のところ、犯行の際の目撃証言も得ていない。
「それもいくらでも言い逃れされる恐れがあります。誰かが白状すれば別ですが、そう簡単に口を割るとは思えません」
麻生に弱みがない以上、彼が真実を話すとは思えない。それと同時に延方の様子を思い出す。彼の顔色は非常に悪かったが、それでも彼は麻生に従っていた。彼らの主従関係が脆かったならば、とっくに延方は自分たちに泣きついてもいいはずである。裏切れない何かがあるのだろうか。
勝利を確信できず、不安ばかり残る。けれども、領民に対する補償を決定するために評定は先送りにはできない。雲行きが怪しいまま、明日を迎えなければならなかった。
視線を彷徨わせるように目の前にいる男たちの顔を見つめる。すると、左衛門のところで視線が留まった。
昨日、不快にさせてしまったにも関わらず、彼はこうして珠保院を助けるために参じてくれた。たとえそれが、ただの勤めであっても。
結局、時間が取れず、話し合いはできないままだった。
彼は珠保院の視線に気づくと、口元に微笑を浮かべる。その彼の目はとても穏やかで、何かを決意した強い力を宿していた。
彼の優しい笑みに励まされ、自然とこちらも笑みが零れた。
まるで仲が良かった頃のように思い遣りを感じる様子だった。
以前とは異なる彼の態度の理由は分からない。けれども、希望の光ように嬉しく感じていた。
(すべてが終わったら、彼と今度こそしっかりと話し合いたい)
そう心に誓っていた。




