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血の記憶

 左衛門は珠保院を見送った後、部屋の中で一人きりになった。

 やっと彼女と心が通じ合えた気がしたが、頑なにこちらの望みを断られてしまった。


「何が俺のことが大事だ。結局、俺の話を聞いてくれなかったじゃないか」


 口から出てくる恨み言を止められなかった。こんなにも彼女のことが好きだと伝えているのに、彼女は自分との道を選んでくれなかった。

 絶望という名の拳を振り上げて、畳にそれを叩きつけた。痛みが少しだけ自分を冷静にさせてくれる。


「彼女は忙しいのだな」


 見知らぬ声が部屋の中から聞こえ、身体が飛び上がるかと思うくらい驚いた。その声が発せられた方を見ると、白く細長い身体をくねらせて近づいてきている蛇に気付いた。いつの間に部屋に入ってきたのか。左衛門は今まで一人きりだと思い込んでいた。

 蛇と目が合った時、顔が少し引きつってしまった。物の怪、しかも土地神という恐れ多い存在を前にして、落ち着けという話が無理だろう。


「い、いらっしゃったんですね。気付かず申し訳ございません」


 取り繕うように話しかけると、蛇はピタリと止まった。


「いや、いないほうがいいと思って、姿を見えなくしていたんだ。突然現れて驚かせてしまったようですまないな」


 蛇の穏やかな様子を見て、徐々に安心することができた。


「いえいえ、滅相もございません。それにせっかくお越し頂いたのに、申し訳ございません。この度の騒動で田畑に被害が出ているため、その対応に珠保院様が追われているのです」

「被害、か……」


 蛇はそう呟くと、落ち込むように頭を下げた。まるで心を痛めているみたいに。


「こちらこそ申し訳ない」


 蛇の突然の謝罪に驚いた。


「一体、何を謝られているのですか?」

「いや、毒を仕込まれたとはいえ、大きな躯体で蛇が田畑を思いっきり荒らしてしまっただろう? それに、自分の不在が原因で他所から悪い物の怪がやって来てしまった。それによって、元気だった作物を多く枯らされてしまい、最悪な状況だ」


 申し訳なさそうに話す蛇を見下ろしながら、この生き物の人間への優しさが十分に伝わってきていた。


「だから、自分の窮地を救ってもらったお礼に何かお役に立てれることがあれば、何なりと言ってほしいと彼女に伝えて欲しい」


 左衛門を見上げる赤い目が、とても美しく輝いていた。思い遣りに溢れた眼差しは、物の怪でも人間でも変わりはなかった。

 この尊い存在を守れて良かったと心から感じた。彼女の決断が正しかったことを今さらながら思い知った。

 気付けば左衛門は床に両手をつき、蛇に向かって深く頭を下げていた。畏敬の念によって自然と身体が動いていたのだ。


「……ありがたきお言葉、心より感謝いたします。そのように珠保院様にお伝え申し上げます」

「うむ、よろしく頼む」


 蛇の返事を聞き、ゆっくりと頭を上げた。

 蛇は嬉しそうに目を細めて、左衛門を見上げていた。その仕草が可愛く見える。物の怪とは言え、話して分かり合えるのは、とてもありがたかった。


「ところで、サンゴ様。何か珠保院様に御用がおありだったのでは? 私でよろしければ、ご用件を承ります」

「いや、用はもう終わっている。だた、彼女の様子が気になってな。どうか、お主には彼女の力になってほしい。先ほど、何か行き違いがあったようだが、お主のことをなによりも大事に彼女は思っているぞ」

「え?」


 戸惑う左衛門を蛇が見つめて答えを待っていた。その視線から逃れるように目を伏せてしまった。


「それは、どうでしょうか……」


 そう呟いた左衛門の声は小さく、掠れていた。

 結局、彼女には捨てられたので、その蛇の言葉を素直に信じることはできなかった。


「サンゴ様とは出会ったばかりでございます。いつ、そのような珠保院様のご本心をお聞きになられたのですか?」


 穏やかに尋ねてはいるが、内心激しく荒れそうになっていた。適当なことを言わないでほしい。そう苛立っていた。


「彼女からは聞いてはおらぬ。以前、彼女の足に噛みついた時に見えたのだ。彼女の記憶が」

「……記憶が見えた?」


 にわかに信じがたい内容だったにも関わらず、蛇は頭を動かして堂々と頷いた。


「自分は食べたものを取り込む能力を持っている。あの時に彼女の血を少し飲んだので、彼女の記憶が流れ込んできたのだ」


 その説明を聞いた後、蔵での会話を思い出していた。


「そういえば、私どもが倉でサンゴ様を発見した時に、そのようなことを仰せになられていましたね。それで、貴方様は珠保院様の何をお知りになられたのですか?」


 災いの長雨を止めた蛇の不思議な力。それがあったからこそ、この発言に耳を傾けようと思えた。そうでなかったら、最初から聞く気もなかった。真っ直ぐに眼差しを向けていると、蛇も同じように向き合っている。


「自分が見たのは、自分を助けようと動いてくれた彼女の記憶と、お主のことだ」

「……私ですか?」


 首を傾げると、蛇はさらに言葉を続ける。


「お主、左衛門と言ったな。しかし、以前は別の名前だったろう? 佐助」


 その名を聞いた直後、思わず息を呑んだ。動悸がして胸がざわつく。今まで半信半疑だった蛇の言葉。それを信じるしか選択は残っていなかった。


「どうして、それを――。いや、本当にご覧になられたのですね」


 そう言いながら目を伏せる。蛇の不思議な力を信じた今、蛇が知っている彼女の話を聞きたかった。


「彼女の魂に寄り添うようにお主の存在を感じた。彼女にとってお主がそれほど大事なのだろう。だから、思ったのだ。恐らく自分と同じように誤解が生じているのではないかと」


 蛇の言葉に素直に頷く他なかった。


「……確かに、誤解が生じておりました」


 確かに彼女によって左衛門は誤解させられていた。


「どうか、彼女を支えてやってほしい。彼女が抱えているものはとても重い。自分を殺してまで、その責務を果たそうとしている」

「自分を殺してまで……?」

「うむ、彼女の本心はお主のことを望んでいる。でも、自分の置かれた立場では、それは無理だと悟ってもいる。だから、その想いを殺すしかなかったのだ」


 穏やかに話す蛇の声が左衛門の身に刺さる気がした。


「他人のためにそこまで尽せる者はいない。そんな彼女だからこそ、自分も助けて貰えたのだろうな。彼女は優しい人間だ。自分のことよりも他人を思いやれるほどの」


 蛇の言葉、一つ一つに衝撃が走っていた。

 何故気付くことができなかったのか。蛇の話を聞きながら後悔する自分がいた。

 そうだ、彼女が自分を裏切るはずがなかったのに。何故、こんなにも大切なことを忘れていたのだろう。だからこそ、二人で手と手を取り合って生きていこうと誓っていたのに。


(そうだ、彼女は心を殺していた――)


 その蛇の言葉にすぐに心当たりがあった。彼女から感じていた違和感の数々。

 駆け落ちした時に左衛門を庇っていた彼女の表情からは感情が欠如していた。蛇に命を狙われた時も。剣を捨てた時も。とても辛かっただろうに、その気持ちを出すまいと堪えていた。

 彼女の辛い場面を何度も目撃していたのに。何も察することができなかった。

 それどころか、何も疑わずに彼女を非難するだけだった。彼女の思惑を疑いもせず。

 冴木とも駆け落ちの話をしていた時、失敗して実家に迷惑を掛けずに済んだと話も出ていた。当事者の彼女はさぞかし気に病んでいただろう。


 気付く機会は幾らでもあった。それなのに今まで自分の痛みしか目を向けてなかった。

 その愚かさにうっすらと気付き始めた途端、口を開いたまま言葉を失っていた。

 大事なことを何も伝えてくれなかった彼女と、何も気付かなかった自分。

 互いにあった問題にやっと気付くことができた。この目の前にいる蛇のお蔭で。これから進むべき道を選び、もう何も迷いはなかった。


「はい、その通りでした」

「うむ、その眼差しを見れば、もう大丈夫そうだな」


 蛇は満足げにそう言うと、姿を鳥に変える。言葉を失って呆然と見ている左衛門の前で、「それでは、さらばだ」と別れを告げられた。


「サンゴ様?」


 驚いて声を掛けても鳥は立ち止まらず、細い足を素早く動かして部屋を走り、開いた戸から飛び立つ。

 土地神は里の上空を羽ばたき、ここから小さく見える佐和羅山の方角に消えていった。



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