向き合う
「どうしてそれをもっと早く話してくれなかったんだ!」
珠保院の話を聞き終わるや否や、左衛門は怒りに震えながら大声で叫んでいた。
「家族と俺のためだと!? ふざけるな! 人の気も知らないで……!」
「ごめんなさい。あの時は、それが正しかったと思っていたの。でも、そのせいで貴方がずっと苦しむ姿を見て、間違っていたことに気付いたの」
激昂する彼に対して、頭を下げてひたすら謝ることしかできなかった。
「そうだ。そうやって説明してくれれば、俺は傷つく必要はなかったのに……!」
「本当にごめんなさい」
別れてから既に長い年月が過ぎ去っていた。何故もっと早く自分の過ちに気付かなかったのだろう。恐ろしいほどの後悔が襲ってきていた。
「それに、勝手に俺の幸せを考えないでくれ! 家族についてだって、何も言わないから、既に納得しているものだと思っていた!」
彼の叱責によって、いかに浅慮だったのかと思い知るしかなかった。
「それに、今さらそれを知ってどうするんだ? 俺がお前のことを許すとでも思っているのか?」
激しい憎しみの感情を露わにして、左衛門が膝を引きずって間近に迫っていた。素早い動きで片腕を取られて、いきなり抱き寄せられる。
「左衛門殿!」
感情的な相手に何をされるのか。いつものように身体を求められると身構えていた。
麻生に疑いの目を向けられている以上、このような接触は非常にまずかった。慌てて制止するが、彼は離す気配も見せなかった。
彼はしばらく黙ったまま、珠保院のことを硬く抱きしめていた。彼と密着している状況に否応なしに緊張が高まる。
「許してほしかったら、還俗すればいい。そして、今度こそ俺とやり直してくれ」
耳元に掛かる吐息と小さな呟き。すぐにはその言葉を信じられなかった。
「え……?」
彼の要求に驚いて、顔をなんとか上げて相手の顔を見つめた。
彼の目は真剣そのもの。まるで駆け落ちを口にした時と同じように。瞳の奥に揺れる情熱を感じた。
「左衛門殿は私のことを嫌っていたのではないの……?」
まだ信じられなかった。彼から求められるこの現状を。
「憎んではいた。でも、嫌いにはなれなかった。だから、苦しかったんだ」
「嘘……!」
目を丸くしている珠保院を彼は苦笑する。
「嘘をついてどうする。それに、お前の方は俺のことを今はどう思っているんだ?」
「私は……」
直球で尋ねられて、思わず躊躇った。彼とは二度と道を歩めない。だから、誤魔化した方がいいのかと一瞬判断が揺れた。でも、真摯に向き合おうと誓ったことをすぐに思い出していた。
「私も貴方のことを大事に想っております。でも、今は山千代君のことをお守りしなくてはなりません。だから、還俗はできません。今回、正直にお話したのも、貴方と和解して密会を止めたかったからなのです。前回の評定で麻生殿に貴方との関係を疑われていました」
考えを変える気はないと、固い口調で言い切ると、彼の表情が苦しげに歪んだ。
「また山千代君のためか! どうしてあの子のためにお前が犠牲になるんだ!?」
「犠牲ではありません。私は誓ったのです。沙紀が亡くなる時、あの子を任せて欲しいと」
山千代の母は沙紀だ。彼女は赤子を無事に産んだ後、体調が激変して亡くなっていた。血が止まらず、助かる見込みがなかった彼女に美朱が掛けられる言葉はそれしかなかった。
「故人との誓いは、守らなければなりません。それに、山千代君は我が子のように大事に想っております」
「俺のことは大事ではないのか!?」
「大事です。だから、私以外の方と結ばれて欲しかった。私とはどう考えても幸せになれないから」
「勝手なことを言うな! 俺はお前以外いらないというのに!」
悲痛な叫びに心打たれないわけなかった。
なんて幸せな言葉なんだろう。彼の気持ちが嬉しくて堪え切れず泣きそうになった。それでも、彼の言葉に応えられない。やっとの思いで堪えて、口を開いた。
「ごめんなさい。どうか、私のことは忘れて下さい」
そう言って彼の気持ちを切り捨てなければならなかった。
彼の表情が絶望に染まる。目が動揺し、僅かに開いた唇が震えていた。
その直後、部屋の外から人の気配を感じて、珠保院たちは出入り口に顔を向ける。
その瞬間、彼の力が緩んだので、その隙に彼から離れて距離を取った。
「お話の途中、失礼いたします。麻生様がお方様にお目通りを願いたいとおいでになりました」
閉じられた襖戸の向こうから、他の女中が麻生の来訪を告げる。
事前に麻生から面会の前触れがあり、既にその約束の刻限になっていたようだ。そのため、彼との約束を後回しにすることはできなかった。申し訳ないが、彼との会話を打ち切らなければならなかった。
「話の途中で申し訳ありません。これから人と会う約束があったのです。左衛門殿、この話はまた後ほど」
珠保院は誠心誠意謝って彼に挨拶する。彼はうつむいて目を逸らしたまま、何も答えてくれなかった。申し訳ないが、これ以上彼に時間を取ることができなかったため、そのまま部屋を出て女中のサエに目配せをする。心にしこりを残しつつも、彼女を従えて部屋を後にした。




