サンゴ
屋敷の倉庫にて酒を呑んでいた蛇と珠保院は目が合い、驚いて息を呑む。相手の反応が予測できず、ただ見守ることしかできない。傍にいた左衛門たちも同様に動かずにいた。
珠保院たちが凝視している中、蛇はぶるぶると震えて、その挙動は段々とおかしくなっていく。蛇は飲んでいた樽からいきなり落ちて床に移動したと思ったら、慌てて樽の陰に身を隠したのだ。それから「す、すまぬ」と低い姿勢で謝罪まで口にした。
「最近苦しくて、ろくに食べておらず、腹ペコだったのだ。そんな状態で目が覚めて、良い匂いに惹かれてやって来たら、ここで酒を発見してな。なにも考えられず、勝手に呑んでしまったのだ」
「まぁ!」
珠保院は思わず驚きの声を上げてしまう。あんなに凶暴な様子で暴れた相手だったので、目の前にいる蛇のしおらしい態度を全く予想していなかったからだ。
恐縮しながら怯えている蛇の様子から警戒を少し緩ませる。こちらに危害を加える気はないと感じたからだ。
「それでしたら、これからご飯を用意させましょう。お隠れにならず、どうぞこちらに姿を現して下さい」
「……誤解とはいえ、お主を殺そうとした自分を許してくれるのか?」
樽の陰から蛇が頭だけをこちらに向けて話しかけてきた。まるで人間を恐れているようである。丸くて赤い目は、つぶらな様子でこちらを見ていた。
「長きにわたり領地を守って下さった、佐和羅山に住まう神様に感謝こそすれ、恨むとはとんでもないことでございます。こちらこそ、無事に誤解が解けて嬉しゅうございます」
笑みを浮かべると、蛇の警戒が解けたのか、おずおずといった様子で珠保院の方へゆっくり近づいてきた。
「足は大丈夫か? 偶然お主の足を噛んだ時、血からお主の記憶に触れたのだ。それで、全て自分の早とちりだということが分かったのだ。本当に申し訳なかった」
蛇が足元で頭を下げている。記憶に触れたという蛇の言葉の意図を正しく掴めなかったが、歩み寄る蛇の様子から完全に和解できたことを感じた。
珠保院は心から嬉しくなり、目を細めて蛇を見つめた。
「いえ、傷は大したことはありませんでした。お気になさらないで下さい。なぜ誤解が生じたのか、詳しくは場所を変えてお話ししたいと存じます」
蛇と改めて話すために丁寧に案内を始めると、その後ろを素直に蛇が後をついてくる。その様子は、まるで蛇を従えているように見えた。
そのため、離れたところから様子を窺っていた家人たちは、みな揃って目玉が飛び出るかと思うくらい驚いた顔をしていた。
広間にて蛇をもてなすことになり、家人に指示して食事を用意してもらった。すでに昼餉の支度をしていたためか、あっという間に蛇の前に食べ物が並んでゆく。
「お口に合えばよろしいのですが、よろしかったらお召し上がりください」
「ありがたく頂くとしよう」
蛇の食欲は凄まじかった。次から次へと丸呑みして、口の中へなんでも吸い込むように食べていく。酒も好きなようで、先ほど口にしていた酒樽を珠保院が持ってこさせると、蛇は喜んで呑んでいた。あっという間にそれを空にしたため、さらに家人たちに追加を持って来てもらうことになった。次から次へと広間に食べ物を運び、さらに空になった膳を下げていく。慌ただしい足取りで家人たちが働いていた。
ようやくお腹が膨れたと、蛇が満足そうな様子を見せた時には、実に三十人分もの食料を一瞬にして平らげていた。空の酒樽も三個ほど転がっている。
皆が見守る中、蛇はご機嫌そうに床の上で休んでいた。
「すごい勢いでございましたね」
開いた口が塞がらないというのは、このことである。珠保院はご機嫌な様子で休んでいる蛇に話しかけた。
「酒なら、まだまだ飲めるぞ」
「まあ、お許しください。我が屋敷にある酒は底を尽いてしまいました」
(あとで厨の者たちに一言伝えておかないと――)
そう考えた時、思わず「あっ」と声を漏らした。
特別な意図なく、話の流れで自然に浮かんだ思考。その意味の重大さに気付いたのだ。
(後で調べてもらわなくては――)
そう真剣に考えていると、「そういえば――」と離れたところから蛇が話しかけてきた。
「お主に害意はないのは分かっているが、なぜ自分を討伐しようという話が出てきたのだ?」
さっそく相手が本題を振ってきたので、珠保院は蛇の傍に座ると、顔つきを改めて向き直った。
「私は政を任されているため、神様の暴動を治めなくてはなりませんでした。あの山に私どもがいたのは、それの調査のためで、偶然あの場所で家臣の一人が討伐を頑なに主張していたのです。さらに、私の名前を神様に告げたのも、同じ人物でした」
「そういえば、おぬしの他に人間がいたな。そいつが討伐をしたがっていたのか。その会話を断片的に耳にしたため、自分は勘違いをしてしまったのだな。しかし、なぜお主の名前をあの者は告げたのだ?」
「あの者は私を敵視しておりましたので、自分の保身のために私の名前を咄嗟に出してしまったのでしょう。また、討伐を主張したのも、手柄を自分のものにして、私を排斥する理由にしたかったのでしょう」
「ふむ、お主には敵がいるということか。自分が食べたお供え物に毒が仕込まれていたのも、もしかして、そのいざこざが原因か?」
蛇に指摘されて、思わず息を呑んだ。
犯人の動機を蛇に言われるまで思い当たってなかった。そして、気付いた途端、背筋に冷たい感触が走っていた。
(私を敵視する者ならば、その候補は絞れるわ)
蛇と話していると、新しい真実を知らされている気がする。改めて土地神として長年祀られていた蛇に畏敬の念を抱いた。
「もしかしたら、恐らくそうかもしれません。神様を巻き込んでしまう結果となってしまい、色々とご迷惑をお掛けしました。現在、毒を盛った犯人を捜している最中でございます」
謝りながら頭を下げると、蛇は軽く頭を振った。
「いや……、お主が謝ることではない。色々と事情は分かった。人間にも悪い奴はいるのだな」
それから蛇はしばらく口を閉ざした。
「自分も巻き込まれたことだ。お主には助けてもらった恩がある。色々と自分も手助けすることにしよう」
「まあ、神様! お言葉、誠に感謝いたします……!」
相手の申し出に手を合わせて感激すると、蛇は目を細める。
「いやいや、そんなに喜ばれると嬉しいものだな。それにだ。うむ、その神様という呼び方はいかんな」
「なにかお気に障りましたか?」
内心何か自分の言動に失礼でもあったのかと慌てる。
「自分の名前は神様ではないからな。他の人間どもが勝手に呼び始めたものだ。だから、どうもしっくりとこないのだ」
「では、なんとお呼びすればよいですか?」
「自分に名前はない。お主が決めてくれ」
急に名前を考えてほしいと言われて、心底戸惑った。今のところ、山の神様以外の認識を持っていなかったからだ。求められるままに名前を考え始めて、じっと蛇の顔を見つめる。
(白い鱗に、赤い目――。そう、この目はまるで血のように濃く、心の臓が思わず締め付けられるくらいに印象的で美しい)
この目と同じように輝く赤い宝石を見たことがあった。
「そう、サンゴです。サンゴではいかがですか?」
「サンゴとはなんだ?」
「とても綺麗な宝石のことです」
「宝石?」
蛇は不思議そうに首をひねっていた。どうやら宝石を知らないらしい。そう思って、それもそうだと、すぐに納得する。山の中で暮らしていれば、宝石の類は全然必要ないからだ。
「とても価値のあるものです。貴方様の目は紅い珊瑚のように美しいから、お似合いかと思いました」
「価値があるとは、どのくらいだ?」
蛇に問われたものの、相手が理解しやすい説明がすぐに浮かばず、少し悩んだ。
「そうですね……。先ほどお召し上がりになった食事よりも高価かもしれません」
「なるほど! それは貴重だ! 気に入った。今から自分のことをそう呼んでくれ」
どうやら相手は納得してくれたらしい。とても嬉しそうな声で叫んでいた。
「はい、サンゴ様」
「うむ、苦しゅうない」
蛇はご機嫌そうに目を細めたので、まるで微笑んでいるように見えた。和やかな雰囲気になったところで、広間の入り口から人の近づく音がした。
「遅くなり、申し訳ない。――けれども、どうやら私の出番はなさそうですな」
登場したのは冴木だ。領主の屋敷に滞在している間、彼は持参した狩衣を身に着けている。蛇と珠保院が近くで寛いでいる姿を見て、彼は微笑んだ。
「お元気そうで良かったです。これなら、佐和羅山に現れた物の怪を追い払えそうですな」
冴木の言葉に蛇がびくりと身体を動かして反応する。
「物の怪が現れた? 自分がいない間にけしからん。こうしてはおれん。急ぎ山へ帰って追い出さなくては。すまんが、また礼を言いに来るので、今は失礼する」
蛇は話しかけながら出口に移動すると、あっという間に小さな白い小鳥に姿を変えた。蛇の後を追って出口に近づくのは珠保院だけではない。加藤も左衛門も駆け寄る。三人が見守る中、その鳥は空に向かって飛び立ってゆく。それは真っ直ぐに佐和羅山の方角へ向かう。
鳥の姿となったサンゴが豆粒のように小さくなって見えなくなるまで、戸口に立って空を静かに見上げていた。




