加藤の調査報告
一人自室にいた珠保院は大蛇の騒動の調査のことを集中的に考えていた。救助のことで手一杯で全て後回しになっていたからだ。大蛇をあんなにも苦しめた犯人は、まず術者に依頼したはずである。次にお供え物を用意して人知れず山に運んだ。その証拠を押さえることができれば、犯人を特定でき、捕えることが十分可能になる。そこで調査のために加藤と左衛門の両名を屋敷に緊急で呼び出した。
二人が訪れたのは翌日の早めの午前だ。彼らと密談するため、女中に部屋へ案内させた。最近、顔を見合わせる領主の屋敷の一室である。
「実は珠保院様、遺体の身元が判明しました」
開口一番に加藤から山の中で見つかった腐乱死体について報告される。珠保院の目の前に座っていた彼の表情は、いつにも増して真剣である。
「それはご苦労様でした。それで、誰だったのですか?」
遺体の損傷が特に激しかったため、最悪の場合も事前に考えていた。そのこともあり、珠保院は朗報のように嬉しく感じていた。
「与黄という、庶民でございました」
「え、与黄というと、まさか……」
死人の名前を聞いて、思わず驚嘆してしまった。加藤から視線を横に動かし、彼の隣に座っていた左衛門を見れば、目が合った途端に彼は深刻そうな顔で頷いた。
ひたすら雨が続いているため、室内は常にじめじめと湿気っている。そんな空気と同じような陰湿な話が着実に進んでいく。
遺体の身元は、今回の大蛇騒動で慮庵から紹介された人物だった。
「領民を相手に医者まがいなことをしていた男です。年の頃は中年くらいでしょうか」
探していた人物が、よりによって死んでいたとは。道理で見つからなかったはずである。残念な結果ではあるが、彼の行方が分かっただけでもありがたかった。
「あんなに烏によって荒らされていたのに、よくぞお調べになられましたね」
手放しの珠保院の賛辞に加藤は照れたように笑みを浮かべる。大柄で体つきが逞しい彼がいるだけで、横にいる左衛門が小さく見える。
「いやいや、実は遺体の傍にあった黒塗りの木箱が手がかりとなったのです」
「そういえば、そんなものが置かれてましたね」
その相槌に加藤は頷く。
「そこに名前が書かれていたので、左衛門殿が領民に問い回ったところ、持ち主があっさりと特定できたのです。さらに遺体が身に着けていた衣服の特徴も与黄の普段着と証言は一致しておりました」
「なるほど」
分かりやすい遺留品の数々にむしろ呆気にとられるばかりである。
「近所に住む者が与黄の姿を見なくなったのは、ちょうど遺体発見の一週間前ほど。大蛇の騒動が領民たちの間で持ちきりになった時でした。噂を耳にした与黄が慌てて出かけた後、誰も姿を見てないそうです」
「つまり、二回目に大蛇が出現した後に与黄は姿を消したということですね」
この言葉に頷いて反応したのは左衛門だ。彼は与黄の自宅周辺の聞き込みを何度も行っていた。彼は珠保院の目を見つめながら口を開く。
「大蛇が二回目に現れた一週間ほど前。つまり、一回目の時ですか。その時から与黄は具合を悪くしていたらしく、家で寝込んでいたと近所の者から聞いております」
「具合が悪いのに、無理をして出かけたということは、よほどの用件だったのでしょうね」
ますます与黄の行動が大蛇に関わっているように感じずにいられなかった。
「また、遺体の腐敗具合から、死後一週間ほど経過していると仮定できます」
「なるほど。確かに状況から遺体の身元は与黄と確定して問題ないですね」
大蛇の出現と同時期の与黄の失踪。さらに騒ぎの渦中にあった佐和羅山で見つかった彼の遺体。彼が大蛇と関与している筋が濃厚である。
「また、殺された与黄は一ケ月ほど前から急に羽振りが良くなったそうです。滞っていた家賃の支払いを済ませたり、小料理屋で景気よく振る舞っていたりしていたのを店の客が目撃しております」
「つまり、彼はどこかで大金を稼いでいたということですか?」
「その通りでございます。また、死因についてですが――」
そう言ったきり、彼から言葉が続いてこなかった。相手が言い淀んだことに気付き、思わず顔を曇らせる。
「もしかして、烏によって荒らされて、分からなかったのですか?」
残念そうに尋ねると、加藤は「いえいえ」と手を振り慌てて否定した。
「誤解させて申し訳ございません。ちょっと思い出して気分が悪くなったもので――」
彼は顔を顰めるので、濃い眉がちょうど八の字を描いていた。その彼の顔色の悪さを見て、彼に同情を禁じえなかった。
「そうだったのね。辛いお勤めご苦労でした」
「お言葉、痛み入ります。……実は、初めは私も無理かと思っていたのですが、与黄は仰向けに倒れていたので、背中側までは荒らされていなかったのです。それによって、袈裟懸けに切られた切り傷と刺し傷と、切られた着物を確認することができました」
「そうですか! つまり、彼は何者かに背後から襲われて殺されたということだったんですね?」
「はい、何らかの揉め事に巻き込まれた可能性が高いと思われます。あと、これらの他に気になる傷も確認されました」
「気になる、とは?」
加藤の言葉に珠保院は首を傾げる。
「はい、細い針のようなもので刺された小さな傷が背中に幾つかあったのです」
「それは……確かに奇妙ですね」
原因不明の傷の報告を聞いて、口を閉ざして考え込む。すると、「恐れながら」と左衛門が発言の許可を求めてきた。すぐに彼に目配せする。
「与黄が大金を稼いだことから、時期的に大蛇の暴動への関与が疑われるかと」
誰しもが思い浮かべる推測を彼が当然のように口にする。しかし、完全に同意できなかった。
「確かに可能性は非常に高いと思われます。でも残念ながら、まだ断言はできません。大蛇の相談相手として慮庵様が推挙されるほど、その道に詳しい人物。仕事柄、恨みを多く買っている人物だとしたら、偶然この時期に殺害されただけかもしれません」
慎重に意見を述べると、加藤が口を開いて反応する。
「いや、実は……与黄は他人から恨まれるような人物ではなかったのです」
「と、いいますと?」
「はい、与黄の人柄について話を聞いて回ったところ、彼は貧しい者をただで診てあげたり、自分が採って作った薬などを無料であげたりしていたようです。そのため、近所の者は与黄のことを慕っていて、行方不明になっていることを心配しておりました」
「そうでしたか。それならば、そのような善良な人物がそもそも土地神の討伐に手を貸すこと自体、おかしな話ですね」
「言われてみれば、おかしい状況ですね……」
珠保院の指摘に男二人は口を閉ざした。
「それに何故、与黄は殺されたのでしょう? 貰った報酬を躊躇いもなく使っていた様子から、双方に折り合いはついていたと思われます」
「それは、確かに謎ですね」
さらに続けた疑問にも誰も納得のいく答えを出せなかった。
「あと、死体の処理が雑なのも気になります」
「雑と言いますと?」
加藤が不思議そうに聞き返す。
「なぜ犯人はあそこに死体と所持品を捨てたのか、不思議に思ったのです」
与黄の殺害について僅かながら引っ掛かりを覚えていた。登山の経路上からすぐに見つかるところに死体は遺棄されていたからだ。さらに身元を特定できるような被害者の所持品を傍に捨てるなど、いい加減にも程があった。
「確かに、おっしゃる通りですね。あのような目立つ場所に置かなくても良かったはずです」
左衛門も頷きながら言葉を続ける。
「我々を巧みに陥れる頭脳がありながら、遺体の処理は雑といいますか……杜撰としか言いようがありませんね」
人知れず大蛇を暴れさせ、珠保院たちを罠に嵌めた狡猾さを微塵も感じさせない。まるで、予想外に殺害してしまった犯人が、慌てて人気のないところに死体を投げ捨てた印象を受けていた。
「本当に疑問だらけですね。でも、術者である与黄がちょうど大蛇の騒動の際に殺された。それは時期的に怪しいのは確かです。それに、与黄が事件に関わっていたのなら、犯人は国内の者であると見て間違いないでしょう。国外の者の仕業なら自国の者を使うはずです。この国で術者を探すのは大変でしょうから」
珠保院の結論に二人は同意して頷いていた。
「そうですね。それを前提に調査を進めるべきかと思います」
加藤が今後の方針について提案してきたので、「はい、引き続きよろしくお願いします」と丁寧に頼んだ。
珠保院の知る限り、術者は二人。そのうちの一人である与黄は、状況に不可解な点は多いが、関与の疑いが濃厚だ。そして、もう一人の術者は左衛門の知り合いである冴木。彼は協力的であるが、呪術に関しては全くの弱腰だ。しかも、彼に金銭的な余裕があるようには見えなかったと聞いている。彼が関わっている可能性はとても低いと思われる。
「犯人を捕まえるための証拠を揃えたいのだけど、何か手はないでしょうか?」
困り果てて仲間に助けを求めても、目の前の二人は同じように弱った顔を浮かべていた。そのため、些細なことでも徹底的に調べることにした。
「お供え物を運び込まれた際に誰か目撃してないか、念のため付近の住人に聞き込みもしてもらえないでしょうか」
命を受けた二人は珠保院を見つめながら、同時に頷く。
現状でできる限りの指示を出したが、芳しくない捜査の現状に思わずため息をつきそうになる。けれども、彼らの目の前だったので、慌てて堪えた。それを誤魔化すために、別の話題を出そうと口を開く。
「冴木様が見守っている蛇は、依然として眠り続けているみたいですね」
「五日も経っているのに、まだ目覚めないのですか……」
「ええ。あれから雨は降り続いていますし、作物への影響をこれ以上増やしたくないので、そろそろ起きて欲しい頃なのですが――」
そう話している最中、空気を切り裂くような女性の甲高い悲鳴がこの部屋にまで聞こえてきた。何事かと驚き、ぎょっとした表情を浮かべた自分たちは互いに顔を見合わせ、すぐに立ち上がる。
戸を開いて廊下に出ると、席を外させていた女中が慌てて珠保院たちの元に駆け寄ってきた。
「大変でございます! 厨に、へ、蛇が……!」
若い女中はまさに恐慌状態といった風体で、珠保院を前にして礼をとるのも忘れるくらいの有様である。
「行きましょう」
そう背後にいる二人に声を掛ける。それから、報告に来た女中にも「そこの者、冴木様を急ぎ厨に呼びなさい」と声を掛けて、自身も屋敷の厨房へ向かう。今いる場所は主人の山千代がいる母屋なので、目的地に向かうために一旦外へ出た。
敷地の一角に調理を行う厨がある。ほとんどの床が土間となっている。大勢の食事を用意する必要があるので、その場所には竈や調理台などが沢山設置されていた。
そこに到着すると、異様な光景が広がっていた。明らかに昼餉の支度途中なのに、人の気配が全くない。まな板の上に切りかけの野菜や肉などが包丁と共に置かれたまま。竈に置かれた鍋からは、蒸気が勢いよく吹き出ている。誰も見張っていないため、今にも吹きこぼれそうである。
そして、人の姿は全く見えないのに水音が絶え間なく不気味に響いている。その音がどこからするのかと、気配を殺しながら自分たちは慎重に歩みを進める。どうやら調理場ではなく、食料などを貯蔵する倉庫から聞こえるようである。
僅かに開いている扉から顔を覗かせると、驚くべき光景が広がっていた。
山で暴れた時の巨大さはないが、大人の背丈と同じ長さもある白い蛇が酒樽に頭から突っ込み、じゃぶじゃぶと音を立てて、とても卑しい呑み方をしている。
『プハー!』
息が苦しかったのか、蛇は勢いよく頭を上げて、深呼吸をしていた。それから、ボチャン!と軽快に水音を立てて、また蛇は頭を酒の中に飛び込むように入れていた。
「いかがなさいますか?」
左衛門が近づいて、そっと耳打ちする。
「下手に刺激しないほうが良いかもしれません。冴木様が到着するまで待つとしましょう」
珠保院の返答に二人は無言で頷く。その時、蛇がいきなり顔を上げて、扉の方を振り返る。
赤い二つの目が真っ直ぐにこちらの姿を捉える。お互いの視線がちょうどピタリとぶつかった。




