糾弾
「体調不良者が続出ですって……?」
場所はいつもの談話室。珠保院の驚嘆に左衛門が重々しく頷く。
「はい、昨日の作戦に参加していた者の多くは熱を出しております」
領主の屋敷に参上した者たちから報告を受けている最中である。
絶え間ない雨音に周囲は包まれている。日が差し込まず、とても陰鬱な雰囲気が漂う。
目の前には左衛門と冴木の二人。彼らと畳の上で面会していた。女中のサエが出入り口の傍で静かに控える中、深刻な話は進む。
「実は、珠保院様と私が去った後、冴木様が義兄上に申したそうです。”この雨はわずかながら瘴気を含んでいる”と。そのため、撤去作業を中断して、早めに戻ったそうです。ですが、雨に当たった者のほとんどが体調不良を訴えているそうです」
「なんと恐ろしいこと……」
全く予期しなかった悪い報告に驚き、それ以上言葉を続けられなかった。目の前にいる左衛門の様子もあまり芳しくないように見えた。空が黒く分厚い雲に覆われていて、部屋が薄暗いこともあるが、彼の顔色は普段と比べて血色が悪かった。
「他に被害は? 領民たちには異常は?」
狼狽しながら矢継ぎ早に質問をすると、左衛門はすぐに首を横に振る。
「佐和羅山の付近にいた者だけのようです」
その言葉を聞いて、被害は狭い範囲で起こったことが分かり、ようやく落ち着くことができた。
「そうでしたか。……でも、なぜこのような事態が起こったのでしょうか?」
そう質問しながら、視線を隣に移動して冴木に向けていた。
「今回の一件で土地神としての力が弱まってしまい、他の物の怪が領内に近づいてきたのでしょう。恐らく、それが今回の原因かと」
「他の物の怪……?」
害を及ぼす見知らぬ存在が領内に入ってきた。それを知り、さらに途方もない想いに襲われる。
(一体、どんな物の怪なのかしら?)
そう考えた瞬間、ふと思い出したことがあった。
「そういえば、昨日山の中に大きな人影らしきものを見た気がしたけど、あれがそうだったのかしら……?」
「はい、私も同じものを目撃しました。土地神である蛇の影響が弱くなった隙をついて、ろくでもないものが来たのかもしれません」
冴木の言葉のお蔭で、以前目撃したものが気のせいではなかったことを知った。
以前、左衛門から又聞きした土地神の役割を再び思い出していた。土地神は自分の縄張りを守るため、他の物の怪を寄せ付けないと。
「解決策はあるのでしょうか?」
「蛇に元気になって、追い払ってもらうのが一番かと」
「その蛇は、今はどのような状態ですか?」
「寝ております。回復するのにも時間が掛かりましょう。しばらくそのままにしておくのが良いかと思います」
「そう、それまでは待つしかないのですね。……しかし、あそこまで弱った蛇が無事に悪い物の怪を追い払うことができるのでしょうか?」
不安のあまりに表情を曇らせながら尋ねると、彼は安心させるためなのか穏やかな笑みを浮かべる。
「それはご心配無用かと。土地神なら大丈夫でしょう」
そう断言した彼のお蔭で、懸念がすっかり霧散する。
「そう、それを聞いて安心しました。ひとまず報告ご苦労でございました。両人とも無理はなさらぬように」
その珠保院の言葉に二人は無言で頷いた。
次の日に報告のために珠保院は主君の名で臨時の評定を開いたが、状況は残念ながら思わしくなかった。蛇の暴動は無事に収まったものの、新たな課題ができたからである。
空には暗雲が居座り、一向に雨は止まずに降り続いている。佐和羅山にて、辛うじて大蛇に荒らされずに済んだ作物は、瘴気を含んだ雨によって元気を失い、だんだんと萎れ始めている。植物の緑の色素が薄れて枯れ葉のように少しずつ変色しているらしい。
大蛇を鎮めれば、問題は完全に解決するはず。珠保院の言葉を信じ、誠実に従ってくれた一同だったが、ますます悪くなる状況に徐々に不信を抱くようになった。麻生だけではなく、他の家臣や領民からも少しずつ不満の声が上がり始めていた。
佐和羅山にて雨に打たれた者たちも、同じように体調を崩したらしい。話が違うと眉を顰めて家臣たちは不審な態度を見せ始めていた。
「大蛇が珠保院様を広範囲にわたる田畑を追いかけたのが原因で、さらに被害が増えました。大蛇を助けるために田畑を犠牲にした方法は、領民たちに負担を強いる結果となっております。珠保院様はどのように責任を取られるつもりであらせられるか?」
不満を抱く家臣たちの筆頭として、麻生が噛みつくような勢いで非難してきた。
「まだ起こった問題に対して対処している最中でございます。責任を問われる段階ではございません」
「のんきなことを! 珠保院様の提案により、大蛇を鎮めたにも関わらず、さらに状況は急速に悪化するばかり。領民たちの不安は一気に膨れ上がっております」
珠保院はいつものように麻生をやり過ごそうとしたが、彼の追及の手はなかなか厳しい。分の悪い状況だったが、相手の言い分に負けるものかと口を開く。
「確かに被害は酷いものです。領地を守っていた大蛇が弱まり、その加護が薄まってしまいました。それによって、他の物の怪が領内に侵入して害を為すようになったのです。それは意図的に大蛇に毒を盛って攻撃した誰かの仕業であり、その犯人を捕らえるのが私の仕事です。その者に全ての責任を問うつもりです」
「誰かの仕業ですと? 証拠でもあるのですか?」
厭味ったらしい口調でわざと尋ねてくるので、不快のあまり思わず眉間に皺が寄る。まるでお前には捕まえることができないと、彼がわざわざ馬鹿にしているようであった。
「……それは今調べている最中です」
苦々しく答えると、麻生が途端に嘲笑を浮かべる。
「またもや最中ですか。いつまで我々は待てばよろしいのですか? 一ケ月後、いや一年後でしょうか? 実りの季節はもうすぐでございます。珠保院様、それまでには解決をお約束して頂けますか?」
「確かに収穫時期までは騒ぎを収めなくてはなりません」
麻生はその言葉にすぐさまほくそ笑む。
「今のお言葉、確かにお聞きしましたぞ。それまでに問題が解決しなければ――、珠保院様に改めて責任について問わせて頂きたいと存じます」
言質を取ったと言わんばかりに彼は自信満々な態度を見せる。被害を憂うどころか逆に嬉しそうな彼の態度に心底嫌気がさす。わざと彼から視線を逸らすと、「それはそうと、珠保院様」と別の話題をいきなり彼から振られた。
「なにか?」
「先日のご活躍の際、成田殿とずいぶん親密なご様子でしたな」
言われた内容に驚いて麻生を見れば、彼は品のない笑みを浮かべていた。
「なにをおっしゃりたいのですか? 成田殿には怪我をして助けてもらっていただけですが。変な勘繰りをして事実と異なる噂を立てられては困ります」
険の籠った目で睨みつけると、彼は誤魔化すようにニヤニヤと賤しく笑っていた。
「いやぁ、珠保院様もまだお若くいらっしゃるのに勿体ない。還俗されて再び嫁がれる道もあるのではと思っただけです」
「ご心配は無用でございます」
突然左衛門の名前を出されて内心穏やかではなかった。自分たちの関係を勘付かれては一大事だ。表面的には平静を装って素気無く返答する。さっさと失礼な会話を終わらせた。それでもまだ心臓が激しく鼓動している。頭の中が真っ白になって、すぐには元通り落ち着いて考えることができなかった。
眉を顰めて麻生とその家来たちを睨むように見つめると、ふと腕に怪我をした者と目が合った。視線が重なった瞬間、その者は泣きそうな顔をして慌てて顔を伏せる。
(なにかしら――?)
その家来の困ったような様子に戸惑いを覚える。鑢でなぞったような、ざらざらとした感触が胸中を過ぎっていた。