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白い蛇

 角衛門は加藤と共に大蛇と珠保院の様子を仮設した見張り台から手に汗を握りながら見守っていた。今回の作戦では適任者ではなかったため、後援を任せられていた。

 万が一、策が失敗した時のため、他に麻生を含む家来たちが突撃部隊として隠れながら控えている。


 今のところ、作戦は上手く実行されている。珠保院を追いかける大蛇は、林の中に入って一時的に彼女の姿が見えなくなっても、新たに出現した彼女を相変わらず追いかけ続けている。騎手は馬を巧みに操り、俊敏な動きで蛇を翻弄して上手く逃げ続けている。わずかでも失敗できない緊迫した状況が続いていたが、次第に蛇の動きに切れが無くなり、開始した頃より間隔が開くようになっていた。


(どうやら大丈夫そうだな)


 順調な様子に胸を撫で下ろす。加藤に引き続き見張りを頼み、高台から下りた。

 今回の作戦に参加した人物は、全て珠保院と同じように小柄で騎馬の得意な者ばかり。

 身を隠せる林が所々ある場所を上手く利用して、ひたすら馬を走らせている。それを追いかけさせて蛇の体力を徐々に削ろうと試みていた。


 過去数回、大蛇は姿を現して暴れていたものの、一刻もしない内に再び姿を消していた。その時間内まで逃げきれれば、蛇は力尽きて殺されずに済むと読んでいた。


「蛇はこう口にしておりました。”お前のにおい、顔と姿も全て覚えたぞ”と。逆にこれを利用すれば良いと私は考えました」


 左衛門の台詞を思い出す。あの時、彼が何を企んでいるのか全く分からなかった。角衛門と同様に隣にいた加藤も解せない表情を浮かべ、彼の話をうまく呑みこんでいなかった。


 そんな自分たちを彼は聡明な顔つきで見つめながら続きを語った。


「珠保院様の匂いは、特徴的です。毎日欠かさず先代のために線香を焚かれていますので」


 確かに彼の言う通り、尼である妹は抹香の匂いをいつも纏っていた。


「そして、珠保院様と同じ召し物に匂いをつけ、体型が似たような者を探せば、同じ見た目と匂いで相手を騙せるかと」

「もしや――、替え玉を用意する気か? しかし、顔を覚えられたのであれば、無理だろう」


 すぐに彼の意図を察して反論していた。すると、彼もあらかじめ指摘されることを分かっていたのか、「確かに、おっしゃる通りです」とそれをすぐに肯定した。


「ただ、途中でなら交代できると思いました」

「途中?」

「そうです。最初に本物の珠保院様が現れれば、途中ですり替わっても、特徴さえ同じなら、それが本物だと思い込むのではと考えたのです。さらに笠をかぶれば、顔で見分けがつきにくくなりますので。また、土地の利もあります。幸い、あの山の付近には林など、一時的に身を隠せる場所が多くあります。そこで交代して、蛇の囮になれば良いと思いました。そうすれば、蛇だけが疲弊していきます」


 麻生の討伐を採用すれば、珠保院の地位は揺らいでしまう。さらに、土地神の保護と、彼女の身の安全を考えれば、身代わりの案を採用するしかなかった。領内を不穏にするのだけは、何としても避けたかった。


(それにしても、左衛門の読み通りに事は運んでいる。まったく、義弟の知略には感心するばかりだ)


 左衛門の才覚には昔から一目置いていた。今回の件もそうだが、過去にも彼の策略によって翻弄されたことがあった。

 そう、美朱と佐助の二人が家出をした時である。家出する二日前くらいだっただろうか。彼は美都ではなく緋田地の隣国について様々な質問を突然角衛門にしてきたのだ。


「どこの街道を通ればよいのですか?」

「歩いてどのくらい掛かりますか?」


 あの時は「何故そんな質問を?」としか疑問に思わなかった。

 ところが、二人が失踪した後、父から探すように厳しく命じられた時、迷わずそこに捜索の手を伸ばしていた。あの沢山の質問によって信じ込むように彼によって仕掛けられていたからだ。

 案の定、懸命に探したにも関わらず、二人は一向に見つからなかった。


(もう一体、二人はどこへ隠れているのだ――?)


 酷い焦りが出てきた時、偶然思いもよらぬ話を同郷の者から教えてもらった。美都で佐助にそっくりな人物を見かけたというのだ。さらに運よく美朱からも居場所を知らせる手紙が届いていた。

 そこで美都へ駆け付け、二人を必死に探したところ、すぐに見つけることができた。

 先に見つけた佐助を捕えようとしたが、彼の抵抗は凄まじかった。大人の男二人掛かりで押さえつけて紐で縛り、「美朱、逃げろ!」と叫び続ける彼の口に布を巻いて黙らせるしかなかった。それから妹の美朱が住んでいた場所に駆け付けた時、彼女は無駄な抵抗はせず、素直に命に従ってくれた。


「お役目なのは分かるけどねぇ。お武家さんも無粋なことをするねぇ」


 二人の住処は、貧しい庶民が多い住む粗末な長屋住宅が並ぶところだった。そこの住人たちは責めるような目線を遠巻きにこちらに向けていた。どうやら二人は姉弟だと分からなくするため、周囲には駆け落ちしてきたと説明していたらしい。

 物々しい自分たちのやり取りが注目されていたので、美朱の従順な態度にひどく安堵したのを覚えている。


 彼女はなによりも佐助の身を心配していた。「私が逃亡に巻き込んでしまっただけなんです」と、彼女はそのことばかり口にして、彼の情状酌量を訴えていた。

 年が近かったため、幼い頃から仲が良かった二人。彼らが家出したと聞いた時、何も不思議に思わなかった。姉想いの佐助なら、彼女に手を貸すのは当然だと感じていた。


 二人が家出する一ケ月前ほど。まだ暑さの残る頃、遊んでほしいとねだる幼い家族の面倒をみるのに疲れたのか、美朱は自室の畳の上で無防備にうたた寝をしていた。廊下を歩いていたら、わずかに開いていた障子戸から彼女の姿をたまたま見つけたのだ。

 風邪を引いてはいけないと声を掛けようとした時、彼女の傍に膝をついて座っていた佐助を目撃して思い止まった。彼は美朱の身体に何か上着を掛けていた。それから頬に垂れていた彼女の髪を指で静かに動かしていた。美朱の若い顔の肌が露わとなる。佐助は身動きせず、寝ている彼女の顔を見下ろしていた。その深い眼差しには、溢れんばかりに慈しみが宿っていて、口元には嬉しそうな笑みが浮かんでいた。


(美朱が広雅様を嫌っていたのは、家の者なら誰だって知っていた)


 乳兄弟が酷い目に遭わされた時、彼女は酷く憤慨して、それを父親に窘められていた。 苦労を背負うだけの輿入れを家族は心から歓迎していたわけではない。しかし、主君の命に背くことは許されない。武家の者である以上、それは己の命よりも優先しなければならないことである。どんな私情があろうとも、主命に反するものは切り捨てるしかないのだ。また、体面を重んじる武士は、醜聞を表に出す訳にはいかない。二人の家出は内密に処理されて、表向きは遊学扱いにされた。それから美朱の嫁入りが正式に決まった後、処分のつもりだったのか、亡き父は元服したばかりの左衛門を遠くの美都へ遣わして実質故郷から追放していた。普段は優しい父にしては珍しく厳しい口調で角衛門に命じていた。「若様がご健勝な限り、左衛門を二度とこの地に戻すな」と――。


 やがて月日が流れて、美都で暮らす左衛門に婿養子の縁組の話が舞い込んだ。相手は左衛門の上司で家柄も良く、当家にとってまたとない良縁だった。しかし、いざ結納というところで主君の急逝があり、残念ながら破談にするしかなくなった。

 珠保院が補佐になった以上、当家で山千代を擁護することになった。そのため、忠実な家来が一人でも多く必要だった。


 義弟に便りで領主の死を伝えた時、葬儀の出席を許していた。父と主君の死による恩赦ともいえた。それから自分の下で働いてもらっている。


(だが、なぜ一年も経った今、その相手の女性がお忍びで訪ねてきたのだ?)


 芳乃という女性がお付きを従えて領内を訪れたことは知っていた。到着したところで彼女の具合が悪くなり、今のところ領主の屋敷で世話になり療養していると連絡を受けていた。大蛇の件があり、彼女の対応は後回しになっているが、正直解せない話である。


「ご覧下され! 蛇がとうとう動かなくなりましたぞ!」


 加藤の声が頭上から響く。前方を見れば、彼の言葉通り、田んぼの中にいる大蛇は動いていない。予測していたよりも早く大蛇は力尽きたようだ。恐らく、体調の悪いまま全速力で珠保院たちをひたすら追いかけ続けたからに違いない。


「お手数ですが、頼みましたぞ」


 角衛門は傍に控えていた男に声を掛ける。彼は珠保院に依頼されて、今回の作戦に参加していた。彼の名前を冴木と聞いていた。


 彼が頷いた時、風がちょうど吹き抜け、彼の淡黄色の狩衣の袖が揺れた。黒い立烏帽子をかぶり、髭のない色白の顔は無表情で、前を真っ直ぐに見つめる双眸は細く鋭い。彼の足元には、一匹の小柄な狐が従っている。すすき色の毛並みをした狐は、落ち着いた黒い両目を角衛門に向けていた。その様子はとても知的で賢そうである。主人である冴木がゆっくり歩き出すと、狐も無言で後に続いていた。


 彼らの後を追うように、角衛門と加藤、麻生たちも大蛇に徐々に近づいていく。大蛇の異変を察知して、身を隠していた珠保院と左衛門も馬で近づいてきて合流していた。そして、ある一定の距離まで間を縮めた時、冴木によって突然制止させられる。


「大蛇を刺激したくないので、そこで見守っていてください。ここからは私たちが何とか致します」

「承知しました。よろしく頼みます」


 そう返事をした珠保院は冴木に全てを託していた。彼の落ち着いた丁寧な物腰は頼もしく、すっかり安心して任せることができた。

 皆が息を凝らして見守る中、引き続き冴木は静かに歩いて大蛇に近づく。その時、大蛇に異変が起きる。目の前で突然姿を消したのだ。


「大蛇が消えたぞ!」


 角衛門は彼の指示通り立ち止まって静かに観察していたが、驚きのあまり思わず声を上げてしまった。

 冴木の後ろにいた狐が急に走り出して、蛇がいた辺りの田んぼの中に入り込む。その姿は緑色の稲穂の中にすっぽりと消えた。やがて、狐が可愛らしい頭を上げて現れた時、口に何かを咥えていた。よく見れば、白い紐のようなものだ。ぴょこぴょこと元気に跳ねるように冴木の元へ戻ってきたとき、その紐の正体が判明する。


 ぐったりとしてピクリとも動かない白い一匹の蛇であった。ごく普通に存在する蛇と大きさは変わらない。その蛇は冴木の前の地面に狐によって優しく丁寧に置かれた。


「佐和羅の山に住まう大蛇よ。よくお聞きください。貴殿に毒を盛ったのは、貴殿が必死に追いかけた女性ではありません」


 冴木が見下ろしながら蛇に穏やかに話しかけると、『なんだと……?』と苦しそうな声が地面から聞こえてきた。


『我が尋ねた時、そう答えたではないか……うっ!』


 話しながら白い蛇は身体をびくりと震わせて苦痛に悶える。


「我々は貴殿を助けたいと願っています。説明する前に、まずは貴殿を苦しめる毒を取り除きませんか?」

『助けるだと……!? その言葉を信じろと?』


 蛇は不信感を露わにしていた。ところが、しばらく息を荒くしたまま無言でいると、『そういえば……』と今までの荒い語気とは打って変わり、蛇は静かに言葉を発し始める。


『殺そうと思えば、今すぐ我の止めをさせる状況であったな……。分かった其方そなたの言葉を信じよう』


 弱々しい蛇の了承の言葉が聞こえて、その場にいた皆の表情が一変して歓喜に変わる。

 左衛門の策が成功した瞬間だった。



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