救助の決定
珠保院は領主の名のもとに主要な家臣たちを広間に集めて、緊急の評定を開いた。いつものように領主の山千代の挨拶から始まり、すぐに彼の君から主導権を託された。
目の前に座る家臣たちの視線を一身に集めている。それに気圧されないように姿勢を正して密かに腹に力を込めていた。
「さて大蛇についてですが、毒によって苦しんでいるため、暴れていることが分かりました。どうやら誰かが勝手に置いた供物に仕込まれていたようでした。そのため、山千代君は代々領地を守っていた大蛇を討つのは忍びないと考えられ、討伐ではなく救助の決定を下されました。よって、その準備に取り掛かって頂きます」
珠保院が領主の下知を全て伝えると、動揺の声が伝播するように広間に響いていく。
「恐れながら!」
最初に勢いよく口を開いたのは、予想通り麻生であった。体格の良い彼の姿は、大勢の中にいても比較的見つけやすい。彼は不信を露わにした顔をしていた。いや、彼だけではない。他の家臣たちの多くも、戸惑いの表情を浮かべていた。
「あの化け物は珠保院殿を襲うと申しておりましたぞ! 敵意を持つ者を助けられるとは思いませぬ。討伐しか手はないかと!」
はっきりとした彼の反対姿勢。それに同意するように頷く家臣たちの数は多い。
「いいえ、お待ちください。そもそも大蛇が私を狙うようになったのは、勘違いしているのが原因です。毒を仕込んだのは私の命によるものだと。故に誤解が解ければ、問題ないと考えております」
「しかし、相手が聞く耳を持つとは思えませぬ!」
珠保院の説明にすかさず麻生によって反論された。それも想定の範囲であり、事前にその回答をしっかりと用意していた。
「確かに興奮状態を何とか落ち着かせなくてはなりません。そこで、皆様に思い出して頂きたいのです。毎回大蛇は時間が経てば力尽きるように消えていたことを」
珠保院に確信をもって指摘されて、皆は追想を始めたのか、目線が僅かに上にさまよう。やがて、納得するように小さく何度も首肯していた。その様子を見て自信がつき、さらに彼らに説明を続ける。
「それまで時間稼ぎをすれば、大蛇は疲れて動けなくなります。それから説得を試みようと考えております」
「時間稼ぎなど笑止! その前に我々が攻撃せねば、珠保院殿が丸呑みされてしまいますぞ!」
声を上げて馬鹿にする麻生に呆気にとられて、珠保院だけではなく他の者まで一斉に口を閉ざしていた。誰しもが言い過ぎだと感じたのだろう。周囲が静まり返って冷たい視線を彼に送る中、一人の男が機敏に立ち上がっていた。
「口が過ぎますぞ、麻生殿!」
この場に同席していた兄の角衛門が、鋭い口調で彼を見下ろしながら一喝していた。その突然の気迫に押されたのか、一瞬麻生が怯んで口を窄める。
「そもそも、大蛇に珠保院様の名を告げたのは麻生殿だと聞いておりますぞ!」
兄がさらに苦々しく抗議すれば、それをはじめて耳にした他の家臣たちが非難の目を麻生へ刺すように向ける。その視線に彼はすぐに気づいて、決まりが悪そうに慌てて顔を伏せた。
その様子を見て溜飲が下がったのだろう。兄はやれやれと言わんばかりの顔をして腰を下ろしていた。
反対派がやっと静まったので、珠保院は再び口を開く。
「あの山に住む大蛇をなぜ我らが代々神として祀ってきたのか、皆様に思い出して頂きたく存じます。あの大蛇は昔話として残るほど長年我らを手助けして下さいました。それなのに、あの大蛇が苦しんでいる時に切り捨てて良いのでしょうか」
全てを口には出さずとも、気持ちは十分伝わったのか、家臣たちは揃って神妙な表情を浮かべていた。中にはばつが悪そうな者もいた。
「我ら緋田地の民は、恩知らずではありません。それを今回知らしめようではありませんか!」
飛ばした檄に家臣たちは畏まった顔つきでしっかりと首肯する。
皆の説得に成功できた。安堵の念が胸に温かく沁みわたる。こっそりとため息を吐いた。
「策は既に講じております。それに従って動いて頂きます」
「ははあ、承知仕りました!」
家臣たちは深く頭を下げて承諾の意を明確に示してくれた。ところが、麻生を見れば、彼だけが鋭い目つきで上座を睨み、憎らしげに口元を醜く歪めていた。
(まだ諦めないつもりなのね)
不穏な彼に気を付けて行動しなければと心に固く留めていた。
それから、その作戦の準備で領主の屋敷は一気に忙しくなった。大蛇が現れてから既に四日は経過している。ほぼ七日の周期で暴れていた大蛇が次に出現する日まで二、三日しかない。事前に作戦に適した人材を集めて、予行演習をしっかりと行う必要があった。事前に申し合わせをして、万が一のことがないように努めていた。
その慌ただしい打ち合わせの最中、女中のサエより珠保院たちへ急ぎの報告があった。
「お話の最中、失礼します」
その時、領主の屋敷の一室にいたのは、珠保院と角衛門、そして左衛門の三人。そのため、作業は一時中断されてしまう。
珠保院たちは部屋の出入り口で、坐して頭を下げている彼女に視線を送る。
「許す、申せ」
声を掛けると、サエはゆっくりと白髪交じりの頭を上げる。
「行き倒れた方がいらっしゃるとのことです……」
「行き倒れですって?」
女中の一報に思わず戸惑ってしまった。わざわざ自分たちに相談するような案件ではないからである。
サエは細かい采配を全て任せられるほど信頼していた人物だ。内密の話をする時には、いつも彼女を傍に控えさせていたくらいである。そんな彼女が、忙しい人間の足を引っ張るような真似をするはずがなかった。
意図を探るように彼女を怪訝な目で見ると、相手は困ったように左衛門を一瞥しながら言葉を続ける。
「実は……、その方は芳乃様と名乗り、左衛門様の元婚約者だと仰せなのです」
それを耳にした瞬間、時間が急に止まった気がした。心臓が止まるかと思うほど驚き、何も考えられず呆然とした。