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左衛門の策

 佐和羅山から戻ってきた次の日の朝。いつもの談話する部屋に珠保院は腰を下ろしていた。それに面して男三人が下座に真面目な顔をして坐している。奥から角衛門、加藤、そして縁側のほうに左衛門が並んでいた。それぞれ体格が異なる三人。珠保院の目の前に凹凸のある眺めが広がっている。


 部屋の障子戸は全て開け放たれていて、手入れが行き届いた庭の玉砂利が視界に入っている。隣との仕切りとなっている襖も開けているため、生ぬるい外気が撫でるように通り抜けていた。

 人払いをしていたため、周囲には他に誰もいなかった。

 今日はどんよりとした曇り空。厳しい夏の日差しは直接当たっていないものの、蒸し暑さはあまり変わらない。


 一同は左衛門が仕入れた情報を聞いて、唖然としていた。冴木という過去に美都で術師として働いていた知人が彼にはいたらしい。その人に相談して分かったことは、この大蛇の騒動が誰かによって謀られていたことだ。


「しかし、よくやった、左衛門!」


 兄の角衛門が膝を叩き、大いに褒め称えていた。なにしろ、慮庵から紹介された与黄は、まだ消息不明だったからである。状況を判断できる知識がない現状、専門家の存在はとてつもなく有難かった。


「やはり、誰かが供物に細工した可能性が高かったんですね」


 珠保院の言葉に、昨日山にいなかった兄だけが怪訝な表情を浮かべる。


「昨日、大蛇が口にしていたのです。『毒の入った食べ物を置いた』と。その言葉がずっと今まで引っ掛かっていたのですが、左衛門殿のお蔭で、それを確かめることができました」

「なるほど」


 兄は説明を聞いて深く頷いている。やっと納得できたようだ。


「大蛇は呪術が仕掛けられたお供え物を食べて苦しんでいたのだな」


 珠保院を見つめながら兄は話を簡潔にまとめたので、それに応えるように小さく首肯した。


「でも一体、誰が……」


 珠保院が呟くと、皆の表情は示し合わせたように一斉に暗く曇った。


「恐らく、領内を不穏にしようと誰かが企んでいるのでしょうが……」


 加藤が濃い顔を顰めながら言葉を濁す。それに反応して兄が口を開いた。


「物の怪を犯行に利用したことから、犯人はそれに明るい者に違いない。国内の者では、我々と同じような知識しか持ち得ていないだろう。そうなると、国外の者の仕業である可能性も出てくる。今のところ検討がつかないな」


 兄は腕を組みながら「全く、もう」と低く唸っていた。それに対して「確かに――」と珠保院も呟く。


「兄上のおっしゃる通り、自分たちの考えの及ばないところで事態が動いているのかもしれませんね。ただ、国内では私や幼い殿に不満を持つ者は多いです。このような事態は彼らにつけ入る隙を与え、領内は大蛇どころではなくなってしまいます。なんとか、両方上手く治めなくてはなりませんね」


 深刻に意見を述べると、皆は同じように気まずい表情を浮かべる。無言の肯定を確かにしていた。

 夫が急逝した時、実は跡継ぎ問題が起きていた。直系の跡継ぎはまだ幼く、元服は当分先の話だった。そんな子供が自身で国を治められるわけがない。そもそも子供は病気に弱く、健やかに成長する保証はどこにもない。恐らく誰しもが不安だった。


 その文句を言っていた筆頭が麻生だったが、表立って主張しないだけで、他の親族も彼の考えにこっそり同意していた素振りを見せていた。

 話がこじれかけた直前、先々代である慮庵が、山千代の後見として正妻だった美朱をすすんで指名したのだ。そのご威光のお蔭で、他の親戚たちが黙って従っただけだった。

 珠保院たちが責任を追及されて退く羽目になれば、他の者が喜んで成り代わり、治政を牛耳ることになるだろう。


「現状、犯人の企みは上手くいき、荒神によって領内は騒然となった」


 兄の重い呟きを皆は畏まって引き続き聞き入る。


「しかも、大蛇が珠保院様を襲うと予告してしまった以上、麻生殿の言う通り、もう討伐しか手段はなくなった」

「仕方がございません。珠保院様のお命には代えられませんから」


 加藤も沈痛な面持ちで相槌を打つ。彼の眉間に皺が寄り、濃くて太い眉が八の字になっていた。

 残念ながら犯人の思惑通りに事は進んでいる。誰もが苦渋の表情で現状を受け止めている中、「恐れながら」と左衛門が慎重に口を挟む。


「この一件、私に任せて頂けませんか。策が一つございます」


 皆の視線が彼に一瞬にして集まった。端正な彼の表情は冷静で、落ち着いて思索しているように見えた。


「左衛門、申してみよ」


 兄が命じると、彼は詳細を皆に説明し始める。それを全て聞き終えると、真っ先に珠保院が賛同した。


「その案に乗りたいと思います。元はと言えば、大蛇が毒を盛られて苦しんでいるのは、我々人間の争いごとに巻き込まれたせいとも言えます」


 表情を硬くして真剣に話しても、兄と加藤は「しかし……」とまだ決断を渋っていた。


「珠保院様の身に万が一のことがあれば……」


 先ほどと同じように不安そうな加藤の言葉を遮るように口を開く。


「どの道、何も手立てを講じなければ、私は補佐を退かなければならなくなり、山千代君のお立場を守ることができなくなります。それに……この地を守っていた土地神を討てば、目の前の危機は去りますが、長年禍から守ってきた者を失い、いずれ領内は荒れることになりましょう」


 この最後の台詞が決定打となり、躊躇していた二人の男の表情が変化する。土地神の役割を彼らは教わったばかりである。そのため、自分の意図をすぐに察してくれたのだ。


「左衛門殿の考え通り、私は大蛇を助けたいと思います」


 その迷いのない言葉に対して、下座にいた男三人は無言でしっかりと頷いた。

 ひとまず自分たちの方針が固まり、一安心することができた。


「そういえば、遺体の調査の方はどうなっていますか?」


 珠保院が尋ねると、すかさず加藤が反応する。


「さっそく検死に回しております。また、身元の確認作業の指示も既に出しております」

「そうですか。よろしくお願いします」


 その後、三人は連れ立って退室していった。

 その場に一人残った珠保院は座ったまま、考えながら庭を眺めていた。


(左衛門殿のおかげで希望の光が見え始めた。でも、一体なぜ――?)


 自分を恨んでいた彼が、自ら積極的に事件に協力してくれるとは露にも思ってもみなかった。そのため、彼の行動に戸惑いを覚えずにはいられなかった。



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