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冴木

 左衛門は徒然と考えながら歩き続けていた。やがて人家の集落を抜けると、ひっそりとした農道に入る。


 鬱蒼と覆い茂った樹木の傍を通り抜けていく。多くの山や森を開拓した緋田地の国は、土地を切り拓く際に残されたのか、こうした林があちこちに点在している。緑は本当に豊かである。それらを何箇所か通り抜け、しばらく道なりに進むと、雑草が繁茂した場所に一軒の掘っ建て小屋がポツンとあった。その後ろには大きな山があるが、夜分の今はただ闇の中に全て包まれている。


 小屋は見るからに粗末で、豪雨の際には心もとなく心配な造りである。建具の隙間から室内の明かりが仄かに漏れていて、住人が在宅なのは見て取れた。


 左衛門は痛みの激しい板戸を軽く叩き、「夜分、失礼する。成田左衛門と申す。冴木様はおられますか」と聞きやすいようにゆっくりと声を掛ける。


 ずいぶん待たされた後、一人の男が家から出てきた。家主の冴木本人である。崩れた襦袢の着こなし、無精に生えている髭、さらに髪型も乱れている。最初は仏頂面をしていた彼だが、こちらの素性を思い出したのだろう。すぐに驚いた表情を浮かべる。


「成田様、こんなところでお会いするとは」


 胡散臭い恰好の彼だったが、この見かけからは全く想像ができないほど、彼の実力は素晴らしかった。

 左衛門と彼は既知の間柄であった。美都にいた際、彼の占術で世話になったからである。そのため、左衛門が故郷に戻ってきた後に、たまたま偶然彼のことを賑やかな通りで見かけた時は、奇妙な巡り合わせに本当に驚いたものだった。


「お久しぶりです。私も冴木様が緋田地にいるとは思ってもいませんでした」

「まあ、その話は置いておいて。こんな夜分に私めに何の御用で?」


 彼は戸惑いながらも、急な夜間の訪問を訝しげに対応する。


「申し訳ない。冴木様のお耳にも入っているとは思うが、このところ騒がせている大蛇の件なのです。そのため、至急相談に乗って頂きたいのです」


 そう説明しながら、深く頭を下げていた。


「明日にして頂けないか。もう妻と休むつもりだ」


 その声は明らかに迷惑そうだった。


「そこを頼みます。大事な方が大蛇に殺されそうなんです」


 必死になって頭を深く下げて懇願して、彼の心情に訴えていた。相手からしばらく返答はなかったが、やがて諦めたようなため息が自分の頭上から聞こえた。のっぴきならない事情を察してくれたのか、「分かった。中へ入られよ」と彼は渋々ながら引き受けてくれた。


 彼の家は見るからに狭く、ひんやりとした土間の上で生活していた。左衛門が下人と共に入ると、火の消えた囲炉裏が目に入る。さらに、その傍で茣蓙ござの上で寝ている女の姿が見えた。着物を体に掛けて、こちらに背を向けたまま横になっている。一つに束ねられた長い黒髪が、背中に流れていた。顔は見えないが、女は冴木の妻だと思われた。


 部屋の隅の一角には火皿があり、微かに異臭を放ちながら仄かに周囲を灯している。壁の周りには乱雑に日用品が置かれ、水瓶の傍に積み重ねられた食器は汚れたままである。

 左衛門は敷かれた茣蓙の上に座る。供の下人は部屋の隅の方で、控えめに立っていた。

 相手に促されるまま、大蛇が現れた様子や回数、そして佐和羅山での様子を詳しく話した。


「毒か……」


 全てを聞き終えた冴木は小さく呟く。


「はい、謎の声は毒と言っていました」


 彼は思案顔をしながら唸るように「うーん」と声を漏らした。


「でも、毒というより呪術だろうな、物の怪相手には。きっと供え物に仕込まれていたのだ。それが原因で荒神になってしまったのだろう」

「物の怪? 荒神? それは一体、どういうことですか?」


 相手の言葉の意味が全く分からず、思わず混乱して質問攻めにしてしまった。


「ああ、すまない。ちゃんと説明しよう。あの神として祀られている大蛇は、霊力を著しく宿した物の怪の類なのだ」

「神が物の怪なんですか?」


 人間に祀られている神と、突然日常に出没する物の怪は、全くの別物だと認識していたため、左衛門は彼の説明にすっかり困惑していた。


「そうだ。そもそも物の怪とは、我らとは異なる摂理の中にあり、普段はただ自然の中に潜んで人目に触れることがない。その物の怪の中でも、一定の場所に棲んでいるものは、その土地を縄張りとして自分の住処を守ろうとするので、土地を荒そうとする悪い物の怪を寄せ付けない」

「つまり、それが土地神ということですか?」


 冴木は真剣な表情でしっかり頷く。


「そうだ、その圧倒的な力によって土地を守る物の怪を土地神と呼び、人間にとってはありがたい存在となっている。その一方で、逆に害を為すものは荒神と称している」

「そして今回、お供え物を食べた土地神が、仕込まれた毒によって暴れるようになり、荒神となったということですね?」


 言いながら、震えそうなくらい、とても驚愕していた。とても恐ろしい事実を知ったからだ。


「その通り。それにしても、大蛇に命を狙われるとは不運なことだ。力になれればいいのだが、私の専門は占術で、呪術に関しては所詮小手先の技しか持ち合わせてない。申し訳ないが、自力で何とか対処して頂くしかない」

「そんな……! 他に物の怪相手に頼れる方はいないのです! 何卒、お力添えを……!」


 まさか彼から断られるとは思ってもみなかった。慌てて地面に両手をつき、考え直してもらえるように頭を下げていた。しかし、相手からは快い返事は返ってこない。困ったようにため息が聞こえるばかりである。


「そもそも大蛇に敵意がある限り、私にはどうすることもできない。悪いがこれ以上の説得は無意味だ。今回はお引き取り願いたい」


 そう家主に強く言われ、無念にも諦めるしかなかった。目の前が真っ暗になるほど消沈して肩を落とすしかなかった。

 彼を頼れば、手立てが見つかると信じていたため、失意のほどは甚だしかった。そんな愕然としている左衛門に対して申し訳なさそうに相手は口を開く。


「土地神を苦しめるほどの呪術、その道の仕業に違いない。そこから調べるのも手だと思う」


 その言葉に思わず失笑しそうになった。この国では、肝心の専門家がなかなか見つからない現状を彼は知らないのだ。


「――そうなると、冴木様にも疑いが掛かるのでは?」


 こちらの苦労を知らない彼に苛立ってしまい、皮肉の一つをつい零してしまった。

 冴木は美都で方術専門の官人として長く勤めていた。物の怪にも、その仕事ゆえに非常に詳しい。それを踏まえての発言である。


「私が土地神に害を為しても何の意味がない。それに先ほども申した通り、呪術は得意ではない。まあ、依頼があれば引き受ける者がいるが、私なら危険を冒してまで金子を手に入れたいとは思わない」

「危険とは?」

「呪術は返されることもあるからだ。失敗すれば、放った攻撃は自分の身で受けなければならない。土地神のように相手が強いほど返される確率は高いから、よほど腕に自信がなければ引き受けられないだろう」

「そうなのですか……」


 会話が終わり、左衛門は下人に合図して帰ることになった。


「本日は急ぎだったため、手ぶらで失礼いたした。後日お礼に参ります」


 見送る彼に会釈して、やっと彼の住まいを後にした。来た道を戻って、下人と共に家路に向かう。

 冴木とは一度世話にはなったが親しく付き合っていなかったため、その人柄までは詳しく知らない。ただ、過去の占いについて、相当悪い結果であったにも関わらず、彼は包み隠さず伝えてくれた。そのことから、彼は正直な人物だと感じていた。ちなみに、その占いは、皮肉なことに当たっていた。


 彼の占いの腕は確かである。それなのに、安定した都での生活を捨ててまで、頼る者もいなさそうな田舎の領地で暮らしているのはなぜか。現在の冴木夫婦の暮らしぶりは、極貧に等しいものである。その理由を本人から全く聞いていなかった。



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