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矛盾する感情

 その後、怪異は何も起きず、調査隊は怪我一つなく安全に山を下りることができた。

 一日中歩き続けた左衛門はじわじわと病むような疲れを足に感じていた。このまま家で休めたら、どんなに楽だっただろう。重くてだるい身体にむち打つ。視線を向けた先には周囲を見回している珠保院がいた。

 探索を強行したにも関わらず、彼女は明確な成果を出せなかった。それに対して、麻生が苛立った様子ですぐに噛みついていた。


「結局、化け物を煽っただけで調査は終わりましたな。もし大蛇に襲撃されたら、どのように対処されるおつもりで?」


 山の中で不気味な声に脅された際、すぐさま彼女を名指ししたことなど棚に上げて、彼は偉そうに皮肉を投げつける。

 あまりの彼の態度に我慢がならず、思わず左衛門が反論しようと二人の間に入った矢先だ。


「まあ、しかし」


 と、麻生はチラリとこちらを見て警戒しながら、すらすらと言葉を続ける。


「殿のご命令とあれば、珠保院様のために拙者の力をお貸し致す所存。では、失礼仕つかまつる」


 登山で疲れているはずなのに、麻生はよほど自分の有利な状況が嬉しいのか。彼は余裕の笑みを浮かべ、機嫌よく去って行った。


「なぜ、言われたままにしておいたのですか?」


 彼女は麻生の言動を全然非難しなかった。それを左衛門はかなり怪訝に感じていた。彼のせいで命を狙われる羽目になったというのに。思わず憤り、張本人に強く言い返そうとしたくらいだ。だが、寸前のところでその機会を失い、苦々しく彼の後姿を睨み付けるだけだったが。


「見苦しい言い訳を聞くだけ時間の無駄だわ。それに、相手を責めても状況は変わらない」


 心底呆れた感じの彼女の説明を聞いても、全く腑に落ちなかった。彼女は焦りもせず困りもせず、気味が悪いほど落ち着きすぎていた。


 夕焼けで赤く染められた山勢は、まるで陽を隠すように沈めてゆく。徐々に辺りは暗くなり、一日の終わりを告げる。次に大蛇が出現するまで、無情にも刻々と時が過ぎてゆく。

 無事の帰還により、珠保院は自身の面目を無事に保った。しかし、問題は依然として山積みのまま。それどころか、より深刻になったとも言える。あの怒りの声の主は、状況から察するに大蛇であることは明白であった。

 大蛇が彼女を狙うために集落にも出現する恐れが出てきた以上、次の打つ手を早急に考えなくてはならない。


「どうするつもりですか? 命を狙われては、兵を挙げるしかなくなりました」

「うん」


 そう切羽詰まって尋ねても、彼女の反応はあまりにも鈍い。疲れているのだろうか。確かに左衛門も疲労困憊だった。それにしても、無表情で彼女の考えが全く読めない。焦るべき当の本人が落ち着きすぎていて、逆にこちらが焦燥のあまりに居ても立ってもいられなくなる。


「明朝、兄上に相談しようと思っているわ」

「そうではなく……」


 彼女の態度がおかしいと言いかけたが、一行が屋敷に移動することになり、会話はやむを得ず中断することになった。


(彼女に文句を言ってどうするつもりだったのだ。まるで彼女を必死になって心配しているみたいではないか)


 彼女を恨んでいたはずの自分の言動が一番おかしかった。

 今の彼女の苦境は、自分がなによりも望んだはずだった。それなのに、彼女の命までも脅かされた時、かえって気を揉む羽目になっていた。




 闇夜にすっかり包まれた通りの中、浮かぶ明かりは一つ。空は雲によって厚く覆われていて、星すら見えない。

 暗いため馬が使えず、左衛門は下人の持つ行灯に光を頼りにひたすら徒歩で移動していた。二人は無言のまま、知った道を迷いなく進んでいく。


 夜道は日中よりも遥かに危険が増す。夜盗や物の怪などの魑魅魍魎が活発に動き出すからだ。田舎の領地とはいえ、それらに襲われる確率が全く無い訳ではない。


 不運にも左衛門にお供を命じられた下人は不安そうな表情を先ほどから浮かべていた。道は行き交う人に踏み固められているものの、その脇には雑草でびっしりと覆い茂っている。そこから物音が少しでもするたびに下人はびくっと肩を震わせて怯えている。一応、彼に貴重な魔よけの札を持たせてはいるが、大蛇の騒動が起こってから、領民たちは神経質気味になっている。最近、昼間でもあちこちで小さな物の怪の目撃が増えている。特に被害はないが、大蛇の騒動もあり、理由不明の変化に怯えるのも無理はない。


 しかし、もし危険に遭遇しても、腰に下げた太刀で躊躇いもせず敵を切り捨てる覚悟だ。

 歩きながら先程から頭の中で珠保院の言動を細かく思い出していた。あと三、四日で殺されるかもしれないというのに、彼女は不気味なほど落ち着いていた。しかも、あの時の彼女の無表情な様子をどこかで同じように見た気がして、ざわざわと自分の中の嫌な記憶と重なり、理由の分からない気持ち悪さに見舞われていた。


 美朱が領主の家に嫁入りすることが決まった時、二人で手を取り合って美都へ駆け落ちをした。その後、貧しいながらも幸せに暮らしていたはずだった。

 何も予兆もなく、彼女があっさりと裏切るまでは。

 彼女の突然の手の平の返しように、それまで信じていた何もかもを失った気がした。

 彼女が家事に不慣れでも、体調を崩しても、彼女に対して誠心誠意尽していたのに。

 実家から突然迎えが来て、左衛門たちは連れ帰された。それから彼女に一度も会ってない。彼女が内密に実家へ手紙を送ったこと。それから彼女が自分に会うことを絶対に望んでいないこと。それだけを義父から無情にも伝えられた。その後、左衛門だけが美都に遣わされて、そこで官吏として仕えることになった。


 彼女は領主の正妻として嫁いだ後、自分のことなどすっかり忘れ去ったのか、一度も便りを寄越さなかった。こちらは彼女の真意を確かめようと何度も必死になって手紙を送ったというのに。彼女から何も返事が届かず、歳月だけが過ぎ去るごとに、心の中の大切な何かがガリガリと削り取られていくようだった。それと共に増えていった淀んだ感情。


 領主が亡くなった時、彼女は過去のことを無かったことにしたかったのだろう。あの日、美都から駆け付けた自分との面会を彼女はあっさりと拒絶した。

 彼女の心変わりと非情な振る舞いを許すことなどできなかった。彼女によって、どれだけ苦しんできたのか。骨身に染みるまで思い知らせたかった。


(そうだ、思い出した)


 不可解だった彼女の落ち着きすぎた顔つき。

 義兄が隠れ家に来た時も、同じような顔をして彼女は義兄に謝っていた。


「佐助は私のために家出に付き合ってくれただけです。悪いのは、全て私なのです。もう逆らいませんから、どうかお許しください」


 泣くわけでもなく、悲しんでいた訳でもなく、無表情に近かった。淡々として、あらかじめ用意していた言葉を並べるような、まるで挨拶の口上のようだった。

 彼女は咄嗟に”家出”と口にして、駆け落ちの事実すらも上手く隠し通した。


(おのれ――)


 思い出すだけで、腸が煮え切るような怒りが全身を駆け巡る。思わずギリギリと歯を食いしばった。けれども、左衛門を苦しめるのは、憤怒の感情だけではなかった。それが消えないからこそ、彼女をさっさと忘れて完全に離れることができなかった。

 彼女に死なれては困る。未だに消えない激情が自分の中にある限り。

 だから左衛門は彼女を大蛇から守るため、ある人物の元に向かっている最中である。

 胸の内の不可解さにも、激しい苦しみを感じながら――。



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