革命
とある特務機関の中央管理室に、巨大モニターが設置されていた。職員たちは椅子に腰かけ、各々のパソコン画面とその巨大モニターとをせわしなく見比べている。広い部屋のなかでは、役員たちのひそひそといった話し声と、巨大モニターの音だけが聞こえてきている。
筈木孝は、この一般人の知る由もない組織・コンセプションに潜入していた。潜入理由は、自分自身の革命のためだった。
筈木孝は、この世界を変えなくてはならないと思っていた。そのためにはまず、みずからの住むこの日本国から変化させていかなくてはならない。
ターゲットは、上級階級の人間たちだ。彼らは、警察にも総理大臣にも裁くことのできない裕福な民たちだ。その民たちを天使と呼ぶ風潮がある。彼らを裁くことができないゆえに、彼らは天の使いなのであるという意味が込められているらしい。
天使たちの立場を、急降下させるためにひつようなものは戦争以外の何物でもなかった。だが、血をながすような戦争はおこなってはならなかった。それは筈木孝の思想もそううったえかけていることであった。
コンセプションは、天使たちによって動かされている組織だった。コンセプションとは、日本警察に属した組織のひとつであり、そのコンセプションの任務はおもに天使たちへの攻撃をふせぐことにあった。
コンセプションの組織には、たったひとりの兵士しかいなかった。定禅寺イリヤという、まだ十五歳のその少年がコンセプションのたったひとりだけの兵士である。
彼は魔法使いだった。
電気の魔法使いだ。
しかし彼は特殊な人間で、現実にはありえないふたつもの魔法を所持していた。
彼はテレポーターでもあったのだ。
テレポートと電気をあやつる定禅寺イリヤは、おさないころから世界を飛び回り、さまざまな任務を受けてきた。
コンセプションの任務を受けるようになったのはここ一年での話だった。
それまでは、まるで形のない人間であるかのように世界のあちこちを飛び回っていたという。
定禅寺イリヤをオペレートするのは、そのイリヤの妹であるライラと、それからもうひとりの少女・シャルナだった。
ライラとシャルナも魔法使いだった。彼女らの魔法は、ほかの職員らには内緒にされていたが、この一年間を通して観察していればなんとなくわかってくるものだ。ライラのほうはおそらく「未来予知」が可能である。それから筈木孝はいまだに疑問なのだがシャルナのほうはもしかすると「周波数」のようなものを視覚化していると思われる。とにかく彼女たちはそれらの魔法能力をイリヤへのオペレートとして活用しているのである。
彼女たちは、イリヤがこの日本に暮らすようになってからずっといっしょにいる。それは筈木孝がすでに調査していたことだった。
調査していた理由は、明確だ。
天使たちを敵にまわしたとき、最大の敵となるのはきっと、この定禅寺イリヤたちだと思っていたからだ。
だが、正直なところ筈木孝はイリヤを敵にまわしたくはなかった。
できることならば、彼には協力をねがいたかった。
けれど、そういった説得を試みることはけっしてありえないだろう。
だれにも、悟られてはいけないのだ。
この、革命は。
紫のゴーグルをかけた少年が夜道をすすんでいく映像が巨大スクリーンに映し出される。仙台駅前の夜道はおおくの人たちでごったがえしている。人ごみのなかを、イリヤはゴーグルとヘッドホンをかけながら立ち止まる。撮影しているのは飛行型ドローンである。ドローンはイリヤを正面から映し出していた。
「おにいちゃん、前方三〇メートル!!」
『わかった』
イリヤはヘッドホンのイヤホンから返答する。
「銃を持っている。人ごみのなかからでも、正確にあててくる」
シャルナが淡々といった口調で言った。
犯人は連続強姦殺人犯の男だ。素性や顔はすでに判明している。年齢三十二歳、独身、無職。名前は木田明夫。もと中学校の体育教師らしい。
『わかった』
三秒後、
『見えた』
とイリヤは言った。
ドローンが人ごみを映し出す。
だが木田明夫の姿は捉えられない。
中央管理室内ではいま、木田明夫がなぜ銃を所持しているのか、とざわついていた。一般人が銃を入手できるはずはないのだ。だが外国のとあるルートを使えば拳銃の入手はかんたんである。しかし職員たちにそれを説明するつもりはない。いま大事なことはイリヤが拳銃を相手にどういった戦いを見せるのか、だけだった。それ以外はどうでもよかった。
この場で、それを観察しなければならなかった。ほかの場所では、イリヤの戦闘を観察することなど不可能なことだからである。
これが、最後だった。このコンセプションに潜入しておく理由はこれが。
『一般人を巻きこまれる可能性がある』
「関係ないわ」
定禅寺ナギコが言った。彼女はコンセプションの総司令官だった。つまりイリヤの母親だ。
「対処しなさい」
『だけど……』
管理室に緊張が走る。
一般人を巻きこまれてもコンセプションに罪はない。
だがそれは人間としての倫理がゆるさない。
それゆえに職員たちはナギコにたいして嫌悪感をいだく。
もちろんイリヤもそのひとりである。
いやむしろイリヤはほかのだれよりも嫌な思いをいだいている可能性がある。
「やるのよ」
『……わかった』
突然、ぱんっというおおきな音が中央監視室にひびいた。モニター内では通りすがりの人たちが何事かと音の方向をいっせいに振りかえった。拳銃を片手に構えた男の姿を捉えると、通りすがりの人たちは悲鳴をあげて逃げ出した。男たちはちいさく声をあげて、女たちはおおきな声をあげて。
「つぎの弾丸が飛んでくるよ……!!」
ライラは焦った口調で言った。
ライラの未来予知には木田明夫の撃ち出す弾丸が見えていたようだが、それの軌道をイリヤへ伝え切るまでの時間はなかったようだ。弾丸を一発、撃ち、それからつぎの弾丸を撃ち出してくるまでのあいだの時間は。
イリヤは、立ち止まっていた。背後を振りかえった。通行人の老人がひとり、地面に倒れた。どうやら片足の太ももに弾丸があたったようだ。
『くそ……!!』
「やるしかない」
シャルナは言った。
「攻撃して、イリヤ。躊躇できない」
『……わかった』
イリヤは強く決意をかためたかのような口調で返答した。
つぎの瞬間、
ぱんっ。
木田明夫は二発目の弾丸を放った。
イリヤはテレポートした。
木田明夫の胸部に片手を触れて電撃を喰らわせる。
「うぶぶぶぶぶっぶぶぶぶぶぶぶっぶ」
木田明夫は痙攣をおこしたように痺れ、その場に倒れこむ。
さいわいにも、二発目の弾丸は夜空へ駆けていった。その後の弾丸の行方をべつの職員が調べたらしいが、その職員はのちにイリヤが弾丸を消し去ったことを聞かされてひどくおどろいたようである。
(弾丸を消し飛ばせるのか……)
後日、筈木孝はコンセプションを抜けた。
定禅寺イリヤは、相当に厄介な存在だが、しかし筈木孝はその革命のかんがえを捨て去ることなどいっさいかんがえなかった。革命はおこさなければならないものなのである。それはすべてこの国のための犠牲なのである。全国の天使たちへ殺害予告を出したのはそれから三か月後のことだった。その三か月のあいだ、ネットや口コミで、この国の格差への不満をかかえた市民たちがたくさん仲間となってくれた。筈木孝は、リーダーとして革命団に名前をつけることにした。【オリオン】。それが、革命団の名前となった。