兵庫県宝塚市 『名湯 宝乃湯』
私用で兵庫県へ赴いた時のことを記す。八月某日。それはもう酷暑ここに極まれりといった具合の夏日だった。
昼過ぎに芦屋近辺で雑事を済ませた僕は自宅へ帰る途中、ある場所へ立ち寄った。ここは兵庫。兵庫といえば温泉である。無類の温泉好きである僕としてはこのまま手ぶらで帰るわけにもいくまい。
兵庫には有馬、城崎、湯村、有馬、そして有馬や城崎などといった著名な温泉地が割拠しており、それ故、全国有数の温泉県の一角として広く認識されている。ここで湯に浸からずして何が温泉愛好家か。しかしながらみなさんお察しの通り、僕は兵庫の温泉については有馬、城崎、湯村以外に何ら知識を持ち合わせておらず、また、持ち合わせていたとしても非常に曖昧なものなのでここで敢えて記すこともないだろう。無理なものは無理なのである。忘却の彼方へ葬り去られていると見てまず間違いない。温泉愛好家を名乗っておきながらこの体たらくでは先が思いやられる。それは追々解決する問題として、話を次に進める。
有馬温泉といえば江戸時代あたりに作成された「温泉番付」においても西の大関に君臨していることで有名なスポットである。泉質は鉄分ミネラル豊富で、一般的に湯は黄金色だと言われているが、僕は黄土色だと思う。仮に黄金色なのだとすれば、味噌汁も黄金色と言わねばなるまい。流石にそれは勘弁願いたい。みそ汁はもっと庶民的で、親しみ深いものであるべきだからだ。
車に限って言えば、京都からのアクセスは頗る良好。それ故、京都の学生が温泉道を邁進する過程で最初に行き当たる関門となっている。そういうわけで大型連休中は多くの若人がここを訪れる。
城崎温泉も同様、温泉番付に名を連ねており、有馬に次いで関脇の座に名前がある。温泉街全体の趣は全国屈指であり、かの志賀直哉もここを舞台に小説を一本書いている。ここも同様に、大型連休中はそれなりの数の若者があちこち逍遥している。先程から大関、関脇と書いているが、悲しいことに相撲に関する見識はあまり持ち合わせていない。大関、関脇といったものがどれほど偉大なものなのかは分かっているようで、実はあまりよく分かっていないし、何よりも何故、横綱が無いのかが不思議で堪らない。なんでも横綱は後になって新しく設けられた、比較的新しい階級なのだそうだ。自分の無知ぶりに辟易するばかりだが、まあその辺はご愛嬌ということで生暖かく看過していただきたい。
西の一二を争う両雄を抱える兵庫県を西の温泉王者と見てまず間違いはないだろう。もっとも、温泉番付が作成された時代が時代なので、それをそのまま現代の温泉事情に反映させるのは些か強引である感が否めない。そこは留意していただきたい。
そして湯村温泉。ここは有馬、城崎に比べるとやや鄙びているものの、泉質は間違いなく本物である。透明度は高いものの、ニオイあり、トロみありで、そこらの水道水とは一線を画している。湯村はNHKドラマ「夢千代日記」の舞台にもなっている。もちろん僕は見たことが無いので子細は各自調べておくように。
さて、これだけざっくりと温泉地の説明をしておきながら、しかし、僕がこの日訪れた温泉地はこのいずれでもない。じゃあこれまで書いてきたのは一体何だったんだと言われれば、何でも無かったと答えざるを得ない。ここまで読んでもらって申し訳ないけれど、人生有意義なことばかりではない。が、確と肝に銘じておいて欲しい。いずれ役に立つ時が来る。来なくともそれが人生というものだ。
結局僕が足を運んだのはスーパー銭湯である。読者の中にはこれだけ書き連ねておいて結局スーパー銭湯かよ、と思われた方ももちろんいるだろう。しかし、心配には及ばない。僕が訪れたのはスーパー銭湯でも、飛び切り上等なスーパー銭湯なのである。
名を「名湯 宝乃湯」。
宝塚市のJR中山寺駅から徒歩10分ほどのところにそれはある。駐車場には噴泉地があり、コポコポと小気味の良い音を立てながら湯が湧出している。とりわけ面白いのはその吹き出し口周辺で、温泉成分が凝固して、ジェンガを無造作にぶちまけたような趣を演出している。これを見ただけで期待は大いに膨らむことであろう。
中は非常に清潔な装いで、寝転ぶスペースもある。この辺は特に面白いところはないので割愛させていただく。
さてさて。いよいよ浴場について触れさせていただこう。浴場の扉を開けると右手に大きな湯船、左手に足湯っぽいものがある。屋内である。これらはいずれも水道水で、特に記述することはない。
次に露天風呂。外にはひのき風呂炭酸泉、岩風呂、つぼ風呂、そして、源泉風呂がある。源泉風呂以外は同様に温泉ではないだろうからこれまた割愛させていただく。
それでは本命の源泉風呂。これがなんとも印象深い。色は黄土色ないし黄金色で、硫黄のニオイが立ちこめており、味はかなり塩っぱい。おまけに源泉掛け流し。加温はしてあるもののパーフェクトと言ってもいい。全くもって上等の極みである。
とりわけ異様なのは湯船で、表面はまるで鍾乳石のようにつるつるしている。うっかりしてると足を滑らせて転倒しかねない。これは温泉成分が湯船縁に堆積して形成されたものらしく、地獄に温泉があるとすればおそらくこんな感じだろう。それほどにこの湯船は奇怪さを極めている。湯船の中はというと、湯がかなり黄濁しているためどうなっているのか皆目見当が付かない。が、その底の知れなさが実に良い。まるで泥に身を沈めているような心地がして妙に愉快である。通常お風呂の目的は体を綺麗にして疲れを取るのが第一と言えるが、お風呂に浸かって体を汚すというのは支離滅裂で、入浴という概念を根底から覆してしまっていると言える。
湯快千万!
足元が不明瞭なので歩く際は躓かないように要注意だ。余談だが和歌山県の花山温泉も同様の趣の湯と湯船を有していたような気がする。泉質は近いのであろう。
宝乃湯のお湯は有馬高槻断層帯から湧いているもので、有馬温泉の湯と同じ泉質だという。これには少し驚愕した。なるほど。確かに似ている。スーパー銭湯でまさか有馬と同じ湯に浸かれるとは、いやはや、なかなか感慨深いものがある。先程書いた有馬の情報も少しは役に立つかもしれない。
そこでふと有馬温泉の公衆浴場、金の湯が思い出される。あそこは確かにいい湯が湧いていたのだが、源泉掛け流しではなかったはずだ。それに湯船もそれほど奇抜ではない。湯船の重要性はこの際さておくとしても、そう思うと、源泉掛け流しで有馬の金の湯と同じ湯ならば、もしかしたら宝乃湯の方が贅沢なのではないかという気がしてくる。もっとも、温泉というのは湯が全てではない。持論ではあるが温泉というのは大地を浴びることと言っても過言ではない。湯に浸かるということはその場にある空気に浸かるということでもある。一概に泉質だけで優劣を決めてしまうのはやや早計といえる。そもそも温泉というものは優劣で判断してしまえるほど一枚岩な存在ではないはずだ。そういった基準で温泉を品定めしてしまうのはまだまだ未熟な証拠であろう。己の不甲斐無さを痛感するばかりである。
と色々書いたが、今回僕が訪れた「名湯 宝乃湯」は非常に満足のできる温泉であった。機会があれば訪れてみて欲しい。入浴料は大人750円子供350円とちょうどいい値段設定である。極上の温泉体験が待っていること請け合いである。