真夏の夜の悪夢
唐突だけど、僕が体験した悲しいお話を語ろう。
あれは確か、二十歳を過ぎた夏の日の夜のことだった。
その日は雨だったと記憶している。
東京から実家に帰ってきたぼくは最寄駅で下車し、夜闇の中を、重たいキャリーケースを引きずりながら家路を急いでいた。
そんな折のことである。
唐突に堪え難い便意が僕を襲った。
経験から察するに、それは明らかに虎尻の中で軟便が暴れている時に感じるものだ。
僕は身悶え、息も絶え絶えになって家路を急いだ。
しかし、いくら懸命に歩みを進めても一向に家は見えてこない。
むしろどんどん遠ざかっていくような心地さえする。
気が付けばまともに立っていられなくなっていた。
いつもなら軽々と引けるはずのキャリーケースがやけに重たく感じる。
這々の体でそれでも進む。
進む。進む。
しかしながら大した進捗はない。むしろお尻の疼きは着実に悪化の一途を辿っているようだ。
もうダメだ。
そう思った時、僕の視界に手頃な空き地が飛び込んできた。
都合のいいことに、人目を遮蔽出来る茂み付きだ。
それはさながら楽園に思えた。
何の変哲も無い空間だが、少なくともその時はそう感じた。
僕は幽鬼の如く虚ろな眼差しを楽園に向け、覚束ない足取りでゆらゆらと、我ともなくそちらに歩み寄る。
半ば茫然自失としながら楽園の中心で暫し佇んでいると、突如としてこれまでの人生の情景が、まるで走馬灯のように脳裏に去来した。
それは僕の脱糞の歴史だった。
噛まずに食べた納豆がそのまま出てきたこと。
下痢気味だったにも関わらず、それを自覚せず、放屁を試みるや否や無残にもパンツにシミを拵えてしまったこと。
ソレを慌てて風呂場に持ち込み、自分の手で洗ったこと。
そして、家族にバレないようにソレをそのまま洗濯機に放り込んだこと。
ありとあらゆる汚物語が脳裏を駆け抜ける。
野に放つか、パンツに放つか。
答えはとうに出ている。
僕は徐にズボンとパンツに手を掛けた、その時。
「ニャー」
茂みの向こうから一匹の小さな黒猫が不安そうな顔を覗かせている。
「そうか、ここはお前の......」
不本意ではあるが、僕はこれから野良猫の住処にマーキングを施すことになるらしい。
「許せ、猫」
そして、僕は野糞をした。
背負っていたリュックのどこを探しても紙は見当たらなかった。
降りしきる雨が僕の頬を伝って落ちた。
僕は後処理を一通り終え、お尻に残る確かな違和感を引きずりながら再び家路についた。
普段からよく腹黒いと、蓋を開けてみればどうだ。
僕の腹の内はこんなにも茶色い。
これから暫くあの汚物は空き地を占拠し続けるのだろう。
しかし、それも束の間のことだ。
やがてバクテリアに分解され、肥やしとなってあの空き地の草木を育んでいくに違いない。
そうなればあの猫も幾分か居心地が良くなるだろう。
そうやって世界は流転していく。そうやって生命は紡がれていく。
それだけのことだ。
この夜の出来事が夢であってくれたらと今でも思う。