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プロローグ

 浄ヶ原じょうがはら市民公園は東西に三百メートル、南北に三百メートル、総面積九ヘクタールの都市公園である。公園の北側には三階建ての図書館。西側には遊具広場。東側は子供たちが遊べるよう広範囲に芝生が敷かれ、南側には植樹が施された小さなビオトープが設けられている。

彼女の屋台はその公園の南端、来園者を出迎えるように佇む巨大な日時計のオブジェのすぐ隣に佇んでいた。

「しっかし、なんでここの飯は、食べるだけで身体が軽くなるんだろうな?」

「不思議ですよね。飲み込むとすぐに身体の疲れが消えてしまいます」

深夜の公園。屋台の料理に舌鼓みを打つのは、人間の手をした二足歩行の牛と、単眼の青年。二人とも仕事帰りなのか、牛はスーツ、単眼の青年はペンキで汚れたツナギを着ていた。

二人ともこの屋台の常連で、ここで何度も相席する内に顔見知りの間柄になっていた。

「おっ」

不意に単眼の青年が驚く。

「どうしました?」

牛が小首を傾げ、耳をパタパタと揺らしながら尋ねる。

「実は一週間前。看板にペンキ塗ってる時に、梯子を踏み外して転んで、歯が折れたんだ」

「それは災難でしたね」

「それが今、生えてきた」

唇を抓んで八重歯を見せる。その部分だけ、他の歯と光沢が違っていた。

「相変わらずすごいですねここの料理」

「ろくろ首の奴、ここのうどん食ってむち打ちが治ったらしいぞ」

「怪我したら医者よりコッチに来た方が良いんじゃないでしょうか?」

「これで美味ければ文句ないんだがな」

「僕はこの不味さに、疲労回復の秘密があると思うんです」

そんな二人の前に、ビールの注がれた紙コップが勢いよく置かれる。

「絶対違ぇから」

私服の上から市松模様のエプロンを掛け、同じく市松模様の三角巾で髪を纏めた小柄な少女が、不機嫌さをにじませた声で否定する。

彼女の名は皆本巡みなもと めぐる。この屋台の店主である。

整った顔立ち。十九歳とは思えぬ華奢で小柄な体形。一見すると庇護欲を掻き立てられる容姿の持ち主なのだが、肉食獣のような鋭い眼光と、品位を欠く言葉使いがそれを著しく阻害していた。

「時間的に、そろそろラストオーダーだけど、何かあるか?」

時刻は夜の十一時。公園の前を通る者はもう殆どいない。

「終電も近いですし。僕はそろそろ行きます。いくらですか巡さん?」

「そうか、じゃあこっちも。お会計」

「牛鬼さんは三千二百円、一つ目坊さんは四千百円」

答えると二人は同時にサイフを出し、ぴったりの額を出してから、別々の方向へ帰って行った。

「毎度ありー」

去っていく客の背に手を振った後、調理台の下から本を一冊出す。

「っかしな、この本通りの味付けなんだけど。やっぱ化生けしょうは人間と味覚が違うのか?」

付箋がびっしりと貼られた掌サイズの料理本を眺め、考え込む。

「とりあえず、今日はもう撤収するか」

市松模様の三角巾を外して一息つく。一房だけ白髪の混じったセミロングの黒髪が外気に放り出される。

「また白髪増えてねぇか?」

頭頂部から前髪方向に伸びる白髪の束を摘まむ。この色、メッシュとして染めているわけではなく、彼女の地毛である。

「およよ、今日はもう終わっちゃったかんじ?」

暖簾を片付けようと表に出た時、妙齢の女性に話しかけられた。女性は灰色のレディーススーツの上から、和装の長羽織を羽織るという少し珍しい着こなし方をしていた。長羽織は、朱色に染められた本絹が使われ、袖には白い牡丹の刺繍があしらわれており、着物の知識が無い者でも、一目で高価な品だとわかった。

「悪いねタトさん。今日はもう終わりだよ」

タトと呼ばれた女性。背は百七十センチと女性にしてはやや高く。引き締まった腰回りに、すらりと長い足は、女性アスリートを思わせる。

「そんな連れないコト言わないでよー」

うっすらと口紅の引かれた唇を尖らせ、うなじの位置で一つに束ねられた長い黒髪を揺らしながら、暖簾をくぐり、椅子に腰かける。

「残り物でも良いから食べたいなー」

細長い整った眉を下げ、琥珀色の瞳を細めた。

「日替わりメニューならちょっと残ってるけど、それで良いか?」

「全然オッケー。今日は何だったの?」

「汁物は豚汁、麺類はうどん、焼き物はやきとりチキンステーキ、炒め物はほうれん草とベーコンのバターだった」

「残ってるの全部ちょーだい。昼飯以降、何も食べてないのよ」

「豚汁一杯分とチキンステーキ一枚しか残ってないけど?」

「じゃあそれで」

「あいよー」

二つあるコンロ。それぞれに鍋とフライパンを設置して火を着ける。

「タトさんが忙しいなんて珍しいな」

「もうすぐ農業祭でしょ? 警備員の配置についての会議に参加させられちゃってね。出たくなかったんだけど」

「神仏連の支部長が、欠席する方が無理だろ」

鍋に残っていた豚汁をすべて器に注ぎ、鶏肉を皿に盛りつけて差し出す。

タトは差し出された料理を口いっぱいに頬張ると一気に飲み込んだ。

「味わう気ゼロかよ」

「やっぱり巡ちゃんのごはんには癒されるわ。味付けが個性的だけど」

「ほっとけ」

「で。最近、身体の具合はどう?」

「まぁまぁだよ。今週はまだ立ち眩みも、不整脈もない」

「結構結構」

頷きながら、自前のハンカチで口元を拭いた。

「私の事を気遣うなら、とっとと金払って帰れ。こっちはさっさと寝てぇんだ」

「じゃぁ手短に用件を済ませようかしら」

「なんだよ? 飯食いに来ただけじゃないのか?」

食事をしに来ただけかと思ったら、どうやら違うらしい。

「巡ちゃんが作る料理、化生達から何て言われているか知ってる?」

「『食べると元気になる』って良く言われてるな」

どういう理屈かは不明だが、彼女の作る料理を食べた人外の者は、たちどころに体力が回復し、軽度の怪我ならその場で完治してしまう。

「巡ちゃんの料理には、化生の力そのものを底上げする効果があるみたいなのよ」

「本当かよ?」

「私も化生だからわかるのよ。巡ちゃんの料理には、私達を強くする何かがあるって。私以外の化生は気付いてないみたいだけど」

「んな事言われてもな」

食材は業務用スーパーから、調理器具は金物屋から、レシピは本屋で買った料理本から、屋台は知り合いの建具屋に適当な資材で格安で作って貰った。特別な事など、何一つしていない。

「実は今日。ウチの本営から『浄ヶ原市にどこかに、化生に力を与える者が居るという通報を受けた。何か知らないか?』って尋ねられてね」

巡の事を指しているだとすぐに分かった。

「なんて答えたんだ?」

「『知りません。調査してみます』って答えたわ。しないけど」

巡を突き出す気など毛頭なかった。

「上に背いてまで隠す事か?」

「もしも巡ちゃんの力が神仏連のお偉いさん達に知られたら大変よぉ。謎の研究所に連れていかれて剥製にされちゃうかも?」

「できるもんならやってみろよ」

「冗談じゃなくて本当にやるわよ。本部のオッサン共は。だから、ほとぼりが冷めるまで大人しくしてて欲しいのよ。私が上手い事やっとくからさ」

「断る。化生を管理するための組織が、人間の商売に口出しすんな」

全日本神仏習合連盟。神仏連しんぶつれんと略されるこの組織は、化生の管理を政府から一任されている公益財団法人である。この国の全ての神社と寺が加盟し構成された組織で、神社と寺からの納金で運営されている。各市町村に支部となる建物がある。

業務の内容は様々で、化生がその地域で安心して生活できるよう支援と管理。警察では手に負えない凶悪な化生の捕縛と収容。化生絡みのトラブル・現象の相談窓口、等。化生に関わる一切を請け負う。

「そうね。じゃあ神仏連の浄ヶ原市の支部長の日疋タト(ひあし たと)として、市内の化生達に『この屋台の料理から、化生にとって有害な物質が使われている恐れがあり、検査の結果が出るまで利用、及び屋台の存在の口外を控えるよう』って通知を出そうかしら? うん、それが良いわ。そうしましょう」

「ふざけんな馬鹿!」



人と妖怪、互いの存在を認め合い、共に歩むと決めてから八百年経った現代社会。これはそんな世の中で屋台を営む少女の物語。

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