8月26日号 『発掘』
貴重なお時間を割いてまで、
このような無駄文に目を通してくださいまして、本当にありがとうございます。
昨日、「小説家になろう」の『活動報告』の欄に、
ホームページを装飾するためのhtmlタグが一部使えるという話に触れ、
「おー、こんなタグもあったよなぁ・・・」とノスタルジックに浸ると共に、
「お、おや?これは憶えていた筈なんだよなぁ・・・」と慌てるシーンも。
思い起こしてみれば、たどたどしい指でホームページを組んでいたのは、
干支が一回り以上巡った20代前半の頃のお話でした。
打ち慣れているなら忘れないでしょうが、
折を見ての確認ばかりになりますとやはり忘れてしまうものです。
今でこそWebの技術が発達しており、
『ググれ』というネットスラングが浸透し、私自身も検索に頼る機会が多いのは事実です。
しかし、これは私の私感なのですが、
検索で出てきた言葉や内容は、結局コピー&ペーストを利用しても、
結局はその場限りの知識で、すぐに忘れてしまうように思えます。
頭の引き出しに収納して馴染ませるには、
表面上だけではなく、何度も繰り返して使う。
アナログですが「書き落とす」のが地味ながらも重要なのでしょう。
閑話休題・・・
リファレンスを発掘した際に、発掘現場(雑多な書籍等を放り込んであるダンボール箱)から
新たな書籍が掘り出されてきました。
著者は知る人ぞ知る名アナウンサー、杉本清さん。
長年競馬に親しんでいる方なら知らない方はいらっしゃらないでしょう。
『競馬』というギャンブル=悪というイメージの強い世界に、
杉本節と呼ばれた実況スタイルで、芸術性へと昇華させた第一人者です。
「それいけテンポイント!ムチなどいらぬ!押せ!」
「菊の季節の桜が満開!」
「後ろからは何にも来ない!後ろからは何にも来ない!後ろからは何にも来ない!」
一見、最も公平性が求められるはずのスポーツ実況で、
私的な感情が入り混じったものが認められた典型的な一例になると思います。
『杉本節』で調べて一度聴いてみてください。
時代が遠のきましたが、この実況は今でも聴衆者を惹きつけるでしょう。
その著書ですから、色々な名実況の伏線が散りばめられており、
ファンなら堪らない一冊なのですが、
その中で競馬とは関係ないのですが、こんな一文があります。
『有力馬の場合にはコメントのネタに困ることはなかったが、
そうでない馬の場合は何をネタにしていいのか思い浮かばず、
どうしてもコメントが短めになってしまう。
個性のある馬でないと、なかなか言葉が出てこない。
某調教師には、こんなことを言われた。
『杉本さんに長めのコメントを付けてもらえるような馬を作らんとあかんな。
どうでもいいような馬は、簡単に終わってしまうもんな』』
これを自分に置き換えるとこうなります。
『○○さんに長めのコメント(感想・レビュー)を
付けてもらえるような作品をつくらんとあかんな。
どうでもいいような作品は、リツイートだけで終わってしまうもんな』
面白い作品を読むにしろ創るにしろ、心掛けていたい言葉ですね。




