7月16日号『疑心』
貴重なお時間を割いてまで、
このような無駄文に目を通してくださいまして、本当にありがとうございます。
何だかんだ言いつつも、時代劇に触れられる数少ない機会の1つとして、
『真田丸』には目が留まってしまいます。
脚本が三谷幸喜さんの作品という事もあってか、
所々に表れるコメディタッチな部分も相俟って、
面白い作品になっていると個人的には思っています。
前回はそれが秀逸に表れていました。
産まれた拾(後の秀頼)の影に怯えた、関白豊臣秀長。
太閤であり叔父である秀吉に対しての不信感は募り、
良かれと思って打った手が全て仇となり、
益々悪い方へ悪い方へと思惑は広がっていく一方へと傾きます。
これは秀長でなくても、人間なら誰しもが嵌り込んでしまう罠。
本人に確認してみればいいものの、聞く事も出来ずに、
自分の中にある悪循環な思い込みだけが独り歩きしては膨張し、
そして耐え切れなくなってしまう。
私自身もそんな経験を持っていましたので、
秀長の一憂ごとに、その気持ちの弱い部分に同調してしまい、
聚楽第を出奔する関白の気持ちにも理解ができるような気がします。
前回の放送のタイトルが【疑心】
それを今回のタイトルに持ってくる事にしました。
そして、時刻は今日へと移ります。
「なろう」のプラットフォームでの「むだぶん」も一カ月を越え、
ようやく身体がそのペースに慣れてきたような感覚があります。
とはいえ、mixiでの連続更新記録が約800日で途絶えたボーンヘッドを犯しているので、
まだ油断を許さない心持でいる事に重きを置いているつもりです。
Twitterで更新履歴をツイートして固定ツイートにする事で、
様々な皆様に目を通していただけているようで、
この方法を御紹介してくださった方には改めて感謝をしなければなりません。
まぁ、それはリプライを通して行うので、此処では申し上げませんが……
とはいえ、様々な皆様からリツイートを頂戴しているおかげもあってか、
目を通してくださる方の数は増えているようです。
中には、300を越えよとうとしていた日もあり、
「え?何がそうさせたの?」と確認をしてみると、
見事にスッカスカの中身のむだぶんが綴られており、
「これが300近くも伸びたの?」と驚かされる事も度々あります。
そんな中で、逸般人に先程の【疑心】が襲いかかってくるのです。
確かに数字上のPVや閲覧数は上り調子の傾向が窺い知れるのですが、
この数字の信憑性に疑問符を打ちたくなる瞬間があるのです。
なろうの世界にはPVとユニークアクセスがあるというのは、
作品を書かれる方ならご承知置きの事と思います。
どちらも数が伸びているのは嬉しい事なのですが、
やはり気掛かりになるのは『ユニークアクセス』の方です。
同じ人(同一端末) からのアクセスは1日1回のみカウントします。
ページを移動した場合も同一端末と確認されればカウントしません。
『実際の読者数』に近い計測方法ですとありますので、目が留まります。
結局「むだぶん」は「むだぶん」にしかなりません。
小説作品のように読者を惹き込ませる魅力は欠片もありませんし、
内容自体も短いので、1度目を通されると終わりと言うのは承知しているのです。
そして、PVとユニークアクセスの差が大きくなれななるほど、
「この差は一体何なんだろう」と思ってしまうのです。
反響としていただけるのはリツイートのみ。
手応えは感じられるようになったものの、それが確信に変わってくる事はないのです。
「面白かった」の一言をこれほど渇望している状態は
昨今になかったような感じがあります。
そうした些細な事で自分の立ち位置を探ろうとしている。
逸般人は本当は疑心に駆られた小さな人間なのかもしれませんね(苦笑
とはいえ、
「じゃぁ、今から一大スペクタクル巨編でも書けますか?
毎日更新で、一話が5000字以上で、伏線をバリバリ忍ばせて」と要求されても
難しそうなので、
身の丈にあった「むだぶん」を綴り続けるしかないんですけどね(汗




