25年10月1日号『先行投資、高い』
貴重なお時間を割いて、
無駄文に目を通してくださいまして、
誠にありがとうございます。
分かり切っていたことなのに
それをやらなかった
此方の不手際ではあるんです。
4月から話題を振り撒いてきた
大阪万博も今月で終わります。
終わりが見えてきますと
駆け込み需要が生じるのは
1970年の大阪万博と同じで、
9月の半ばあたりから
予約を入れようと挑戦しましたが、
一分の隙もなく取れない。
一瞬、空きがあるように見えて
慌ててタップしてももう遅い。
一昔前のMMOの世界で
新機能が実装された直後、
中々ログインできなかったのを
回線が弱いからだと
ネット環境の弱さを嘆く
動きがありましたが、
20年も経過すればその差も
小さくなってきているはずですし、
あとは意欲の差が
いかに大きかったかを痛感します。
国際的な催しは
金輪際招致することはないとも
言われている以上、
今回が生涯最後の万博になる
可能性も否めないとなると……
と、今更言っても仕方ありませんね。
閑話休題……
できないできないと嘆いたとて
それでは進歩は見られません。
1歩でも1ミリでも新しいことに
挑戦しようとする意欲がなければ
これからの半生、
一気に老け込んでしまいかねません。
これまでの無駄文でも
お話ししてきたと思いますが、
逸般人にとってのそれが読書でした。
以前、引きこもっていた期間に
何とかしなくちゃと
自己啓発やメンタルヘルスに関する
書籍を古本屋で買い漁ったことも
多々あったのですが、
何度パラパラと捲ります。
ひらがな・カタカナは読めます。
ある程度の漢字も読めます。
文章も目で追えます。
ところが、僅か数行読んだ所で
「あれ?何処読んでた?」と
目線が迷子になって
数行、場合によっては
数ページ前に戻って読み直す。
そうしているうちに
ただでさえ落ち込んでいた
集中力が切れて読めなくなった。
無駄文がオンタイムへと
一向に追いつかないのは
ろくにインプットしないまま、
アウトプットしようとして
話題を掘り出すのに
長い時間を要するからでしょう。
調べてみますと、
どうやらディスレクシアとやらに
思い当たる節がありますが、
かと言って、
放棄するのも考えモノですし、
そこに進む老眼が加わりますと、
重要書類すら読めないと放置して
後々取り返しがつかないことに
ならないように、
少しずつ読書の習慣を
取り戻さなくてはなりません。
今回手にしたのが
精神科医の先生が上梓された
本の読み方を指南する書籍。
その中で紹介されているのが
電子書籍で読む。
確かに嵩張らない・
本に線を引いたりするのに
気後れすることはなく
内容を覚えるにはうってつけと
次々とメリットが挙がる度に
真似したい気持ちになりますが、
そこの立ちはだかる先行投資。
端末1台数万円。
ここに書籍のデータ代が加わると
中古の220円で窮する立場では
手を出せる代物ではない。
それならショック療法で
無理にでも読む習慣を
植え付けるぐらいしか
好転する材料が見当たらず、
重い腰を上げて書籍と向き合います。




