6月11日号 『丁寧に 丁寧に』
貴重なお時間を割いてまで、
このような無駄文に目を通してくださいまして、本当にありがとうございます。
今日は逸般人のちょっとした拘りについてのスチャラカ路線です。
最近では「丁寧」と書きますと、
世界でも有数の卓球の選手が出てくる事も多いですが、今回は字面の通りです。
昔読んだ本の中にこんな事が書かれていました。
『話して分かる人は、話さなくてもたいていわかっている。
話さなければわからない人、話してもたぶんわからない。
人とわかりあえるかどうかは、実は始めから大体決まっている。
それでも話さなければならない時がある。
そんな時は、言葉を選んで、丁寧に丁寧に話そう』
このフレーズが、逸般人の中に根付いているのです。
今やSNSが全盛期となり、利用頻度は人それぞれではあるものの、
何らかのプラットフォームでアカウントを所持している方は多いと思います。
今でこそ、映像配信が隆盛期を迎えつつあり、
文字媒体での発信は過渡期に差し掛かりつつある印象が否めませんが、
SNSの最大の魅力は「誰もが発信者になれる」点にあります。
私自身もmixiに関しては、そこそこな期間で無駄文を綴り続けてきましたし、
現在、3つのプラットフォームで無駄文を綴っている事自体に驚きを隠せないでいます。
その軸となっているのが、同じくSNSのTwitterです。
始めた当初は、
「別になうなう言うだけでのツールなんだから、多分飽きる」と思っていました。
ですが、宣伝広告という部分での利用を行う事によって、一気に世界は広がりました。
今では、中身のない無駄文をリツイートしてくださる方も増え、
その1つ1つが無駄文を続ける上での大きなモチベーションとなっています。
そこで呼び起こされた言葉が『丁寧に 丁寧に』でした。
『舌禍』という言葉がこの世界にはあります。
自分の言論が法律にふれたり他人を怒らせたりして受ける災い。
他人が言った悪口・中傷によって、言われた人が受ける災い。
二つの意味合いがありますが、あまりいい言葉ではありません。
炎上や誹謗中傷が飛び交うのがSNSやインターネットの弊害の1つでしょう。
他人の口を塞ぐ事はできませんが、自分の口から出る言葉は制御できるのです。
なので、インターネット上の言葉のやり取りには、丁寧な言葉を選ぶ事を最優先しています。
Twitterなどの繋がりはその場限りで無味乾燥の印象があります。
1つのコメントにリツイートされて、
それで終わりという繋がりの方が圧倒的に多く、
会った事のない方への距離感の取り方が難しい事は承知の上です。
そうであっても、出来得る限りは自分の言葉を使って返事を書く事を心掛けています。
そこから生まれた交流が新しい何かを産み出すかもしれません。
新たなインスピレーションを得られる好機が転がっているかもしれません。
顔も分からない方を想像して
「どうしたら面白く受け取ってくれるだろう・・・」と腕組みをして考える時間は、
時間という資産を消費してでも考える価値はあると私は信じているのです。
追記)こんな拘りを持っていると受けてしまう弊害・・・
同じ方に返信を返す時に似たような返事を返してしまうと、
「他に返す言葉はないのかよ!」とツッコミを入れてしまうのは秘密です(汗