2月19日号 『瞬間最大の後悔』
貴重なお時間を割いてまで、
このような無駄文に目を通してくださいまして、本当にありがとうございます。
『Life is a series of choices.(人生とは選択の連続だ)』
この言葉を名言にした偉人はWilliam |Shakespeare。
偉人が語るとその言葉自体も重々しく感じられるモノとなりますが、
この言葉に触れるにつれ感じるのは、結局、人間の一生は膨大な後悔共にあるのだと。
なるべくその後悔が小さく済むように選択を繰り返しても
その選択をしなかったIfについて回る後悔は、必ずやってくるものだと考えるのです。
今回はそんな後悔についての考えを語ろうと思います。
と、文章から伝わる重みからするとシリアス路線を滲ませたのですが、
ここからは一気にスチャラカ路線に切り替えようと思います。
半生から見ると、超短期のスパンだと考えられる1日間であっても、
選択の場には必ず後悔が付きまといます。
ですが、その後悔がどんな形状でどんな痛みを伴ってくるかは、
実際に直面してみないとわかりません。
そりゃそうです、先に立たないのが後悔なのですから。
様々に降りかかってくる後悔の山ですが、
今回は逸般人が感じる『瞬間最大の後悔』の様子をお届けしようと思います。
それは食事中に起こります。
年齢的な事を考えると、
そろそろ『腹八分目』を意識した食べ方や
食生活の偏りを改善する栄養バランスに意識を置くべきですが、
ヤセの大食いを踏襲しているのか、
ガツガツ行けるならガツガツしたいという若気の至りが残っています。
今日も今日とて、秋刀魚の塩焼きと茶碗蒸しを相手に大振りの茶碗にご飯を二杯。
腹八分目を軽々と無視する暴食っぷりを披露していたのですが、
ふと本能がこう告げるのです。
「なぁ…大概にしないと、またやっちゃうよ?」
一応その声に耳を傾けるのですが、よそってしまったご飯は食べ切らないと
お米に失礼じゃないかと思ってか、中々箸は止まってくれません。
そんな警告を無視し続けると、身体からあるシグナルが送られてくるのです。
咀嚼を繰り返しているうちに突如、何処か間違った所を噛み切ったかのような感覚。
口内炎の発症です。
「あー、またやっちゃったかぁ…」と憂鬱になってしまう瞬間です。
普段の後悔の場合、訪れたとしても瞬間的なモノが多いですし、
血液型からくる切り替えの早さで、さっさと忘れてしまいがちなのですが、
口内炎となれば、完治まで1週間ほどかかりますから、
それまで意識を運ばないようにする生活は億劫な気分になりますし、
うっかりアツアツな料理や辛い料理を頼んでしまうと、
「しまった口内炎やった!」と思った所で後の祭り。
料理を味わうなんて二の次三の次。
傷口に味が染み込んで悶絶しないように細心の注意を払わなければなりません。
地味に堪える後悔は、まさに口内炎の右に出る者はいないと
口内炎を抱える度に思えてしまうのです。