1月9日号『改めて、我がフリ直そう』
貴重なお時間を割いてまで、
このような無駄文に目を通してくださいまして、本当にありがとうございます。
『人の振り見て我が振り直せ』とはよく言われる言葉ですし、
いつも心に秘めておかないと、成功ばかりに目が行き続けてしまう事により、
人は増長したり驕る事が多くなり、忠告も何も聞かないようになってしまう。
『謙虚』という言葉に付随する相応しい表現の1つだと考えられます。
しかし人生の年輪を積み上げていく毎に、人は徐々に融通がきかなくなってくるものです。
自分の積み上げてきたモノに絶対の自信を持っていたり、
そして「若造が何を言ってるんだ」という無意味な矜持が更に拍車をかけます。
いい大人の条件の1つには、どんな意見も自然体に受け取れるようになれる事ではないでしょうか。
今回は逸般人が改めて『謙虚さ』を自覚したワンシーンをお送りします。
方針としては、スチャラカ路線に持っていこうと思っております。
ご存知の方はご存知だと思いますが(この言葉が記録されている事に驚かされました)、
この逸般人、中年のオッサンのクセに191cmの長身を携えております。
はっきり申し上げまして、
この身長と付き合ってきた半生はいい事に恵まれる事は、ほぼありませんでした。
その苦悩の様子は、これまでの無駄文の中に『高身長だからこそのデメリット』シリーズとして、
何本か綴らせていただいておりますので、お手隙の際にご覧いただければと存じます。
(スチャラカ仕様ですので、ご安心ください)
そんな中、お正月用に買い込んだ食材がそろそろ付きかけている事もありまして、
年明け一発目の買い出しに出掛けました。
何店舗かを掛け持って目ざとい商品を確保するのが我が家のスタイルでして、
確か3店舗目に差し掛かった時の事でした。
冷凍されていた海鮮商品が手頃のお値段だった事に、若干浮かれ気味にレジに並んだ時の事…
突然、普段なら感じる事のない圧力を察知したのです。
「んっ?」と思って背中に目線を配ってみますと、碧眼の若者の上からの目線にぶつかりました。
別にここから、何らかのロマンスの方面に進む訳もなく、
金髪碧眼の若者は連れ立っていた友人と会話をしておりました。
思わず同様が隠せなくなった逸般人。
それもその筈、高身長生活の1つの特徴として「立ってる時の目線が合わない」があります。
立って話し合いをする時、逸般人の目線は基本的に下げなければ目線は交錯しません。
要するに「目線が同じ」だったり「目線で見下される」事に慣れていないのです。
上からの威圧感が相手に与える影響の大きさが、これほどあるとは思ってもみませんでした。
逆を言えば、逸般人はそれだけの大きな威圧感を、小柄な方々に押し付けていた事になるのです。
そりゃぁ萎縮もされますわなぁと頭を掻きながら、荷物を買い物袋に詰め始めたのです。
高身長なんだから、
他の方よりも一層の謙虚な気持ちを持ち続ける事に重きを置くのを改めて認識させられてしまいました。