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12月31日号『それでも やはり のこるもの』

貴重なお時間を割いてまで,


このような無駄文に目を通してくださいまして、本当にありがとうございます。



従来ならば、歳末のご挨拶ということで、


手短なご挨拶で終わらせるのが本来の「むだぶん」の定例なのですが、


少し感じる事がありましたので、無駄文で締めさせていただこうと思います。


路線で申し上げますと、残念ではありますがシリアス路線のお話になりそうです。



本当に歳末がやってまいりました。


2016年も残すは3時間と少々。


隣から漏れ聴こえてくる音は殴り合いや締め合いの応酬に轟く歓声だったり、


棒状のモノで何かを叩く音であったり、我が家では到底かかる機会の少ない演歌だったり、


チャンネル権を掌握している父も、色々とウロチョロしている模様です。


御節用の煮物などもお重に詰める用意も既に整っており、


そろそろお蕎麦の準備に心が持って行かれそうな頃合になってきました。


街もすっかり年越し仕様になっているようで、


大型ショッピングモールの入口にも「閉店時間の変更のお知らせ」が張り出され、


数時間でもお正月特有の静寂感がこの世界を包み込もうとしています。



皆様もお感じになられているかもしれませんが、


毎年大晦日になった瞬間から、急に意識する事があるのです。


それがこの「今年ももう終わりだなぁ」といった感覚。


時計の短針が30度傾いていく事に、


「○○年(今年で言えば2016年)の○○時も終わっちゃったんだなぁ…」と


いつにもない寂寥感を肌で感じてしまいます。


冷静になって考えてみれば、1年の中で「○○月○○日」はたった1日しかありません。


明日は元日ですが、明日が終われば次の元日は来年まで巡ってはきません。


それなのに何故大晦日だけの特別感があるのか…


逸般人が思うに、それは「後悔」の産物がそうさせるんじゃないかと思うのです。


人間どんな満ち足りた1年間を駆け抜けていったとしても、


「後悔」が全くなかった1年なんて存在しません。


そう感じないのであれば、得られた充実感があまりにも大きな実りのあったモノで、


それに隠れて「後悔」の破片が目立たなくなっているからでしょう。


その「充実」が見当たらないと、後悔の破片だけが(うずたか)く積み上がっていき、


それが「何もいい事がなかった」1年の総括として残ってしまう。


そういった後味の悪さがその感情を引きずらせるのだろうと思うのです。


かくいう逸般人の年男も10数分で終わりです。


次の年男になる歳は2028年とアラフィフ一直線に向かいます。


20代~30代半ばのこの15数年強も大事ですが、


それを低空飛行と後悔だけで終わらせてしまった以上、


ここからの干支一回りはもっと重要になってきます。


次の干支が巡ってくるまでに、なるべく軽い後悔で済むように人生を歩まなければなりません。


皆様は決して逸般人と同じ道を決して歩まれませんように祈念しながら、


長々とした歳末のご挨拶へと替えさせていただきます。


あと10分、良いお年をお迎えくださいませ。

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