12月27日号 『地味に堪える』
貴重なお時間を割いてまで、
このような無駄文に目を通してくださいまして、本当にありがとうございます。
昨日分を総括してみると、スチャラカと豪語しておきながらも、
中身は結構なシリアスさ加減で「これじゃ詐欺じゃないか…」と苦笑いを浮かべておりました。
今日こそスチャラカ路線に向かおうと思っていたのですが、
出てきた話題がどうこねくり回しても、シリアスな方面にしか向かわないので、
少し辛気臭いお話になると思いますが、お付き合いいただければと思います。
子供の頃は、ちょっと転んで大泣き。
注射をする前から大泣き。そしてチクッとした瞬間に更に大泣き。
ほんの少しだけの痛みでも泣いてしまう時代を送っている方は多いでしょう。
しかし年齢を重ねると、慣れによってか痛みへの耐性は備わっていくのか
事故などで打撲や骨折に見舞われて「痛い」とは言いますが、
痛みに対して『泣く』事は激減するでしょう。
大人になって泣く機会があるのは、外傷的なショックからくるモノではなく、
PTSDという言葉が定着しているように
その人の内面からくるモノ、つまりは精神的なショックの方堪えるように思えます。
その筆頭は、やはり身内の方がお亡くなりになるお通夜やお葬式となるでしょう。
失恋から中々立ち直れなくなるというのもその1つに挙げられるかもしれません。
今回はそんな「地味に堪える」話題がありましたのでご紹介しようと思います。
小学生の頃の通学路を久しぶりに通りました。
四半世紀もの時が流れますと、その周辺の一変します。
隣県に関西の大都市・大阪府が控えている奈良市内は
大阪の中心まで片道1時間で通勤できる利便性から「大阪のベッドタウン」と称されています。
昔は田園風景が広がり、秋には黄金色の幻想的な風景を湛えていたのですが
それもあっという間に埋め立てられ、新興住宅地として豪奢な建物が並びます。
少し前は、華やかさを競うわけでもないのに電飾が飾られておりました。
そんな中、歩みを進めていると、とある更地の前で足が止まってしまいました。
しばしの絶句の後で出てきた呟きが「嘘やろ、ここ取り壊されたん?」の一言。
私の幼い頃からそこに建っていた豪邸が取り壊され更地になっていたのです。
テニスコート約一面分の敷地に、レンガ造りのガッシリとした二階建ての建物で、
原風景が広がっていたこの周辺では、抜きん出て垢抜けた雰囲気を醸し出していました。
通学路から少し外れた所だったのですが、
見かける度に「うわぁ~すっげぇなぁ…」と憧れの眼差しを送っていた建物でした。
誰が住んでいるのかは知らなかったのですが、小学校時代を反芻する時に、
必ず思い出される建物が、今となっては跡形もなく
更地の目前までやってきても、冷たい風が吹き下ろしてくるだけで
記憶の中だけに存在する建物となってしまいました。
「あるべきモノが そこにはない」
確かに固定資産税が高いから、誰も住まないのなら取り壊した方がいいのは
理に適っている行動である事は確かです。
ですが、理より感情が優先されてしまうと、
思い出が失われていった残念感は地味に堪えてしまうのです。