11月22日号 『世間の常識 私の非常識』
貴重なお時間を割いてまで、
このような無駄文に目を通してくださいまして、本当にありがとうございます。
昔好きだったラジオ番組の中にあった1コーナーです。
自分の中では当たり前となっているモノが、世間では常識外れになっている。
こういった部分が多く出てきますと、
周りからは『浮世離れ』と指を差される傾向になるのかもしれません。
とはいえ、完全に世間と迎合できていると胸を張って言える方でも、
ズレている所が数カ所あるのが当然とも言えるわけで、
皆様にも思い当たる節はあると思います。
本日はそんな大きなズレに直面して頭を掻いている逸般人の様子をお届けしようと思います。
無論、スチャラカ仕立てにしかならない話題ですので、肩の力をお抜きください。
今はブームを通り過ぎてすっかり定着している印象がありますが、
日本で販売される『緑茶』の種類が豊富にあるのに目を見張ります。
国内はおろか、最近では海外で緑茶に惹かれて来日される方も少なくはないのだとか。
確かに若い頃は、合成着色料と甘味料をふんだんに使った炭酸飲料が好きだったのに、
年齢を重ねるとその炭酸飲料もきつくなっていき、
嗜好する飲料の種類も珈琲・紅茶へと変遷していきますが、
とどのつまり、緑茶に収まってしまうようです。
商談や会議・面談の場でも主役を張っているのはお茶であり、
これまでの人生経験上、それ以外が出されたという記憶が全くありません。
一言で緑茶といっても世界は広く、
ペットボトルの緑茶でも15種類程度存在するのだとか。
如何に日本人好みの味になる緑茶を開発できるかと躍起になり、
番組の合間に差し込まれるコマーシャルの数本かに1本はお茶の商品になるぐらい
鎬を削っている会社同士の争いも熾烈を極めているように感じます。
そんな緑茶ですが、この逸般人緑茶が苦手なのです。
缶珈琲レベルならものの数分で飲みきってしまい、
「あっちゃーもう終わりっすか…」と多少落胆するのですが、
茶碗やプラスチックコップで出される緑茶が出されれば有り難く頂戴するのですが、
一口つけただけで、それ以降全く飲もうと手が伸びる事はありません。
オフィスの中がクールビズという金看板の下で、
室内が妙に暑く感じられても何だか我慢してしまうのです。
そんな嗜好は父からの遺伝かもしれません。
それを証拠にこんな話題がありました。
頃合としては今の時期でしょうか、ボランティアを終えて帰ってきた父が残念そうに、
「俺は水もらうから、お前はこれを飲め」と言って託されたのが某大手の緑茶(未開封)。
お茶に関しては麦茶が限界となっている親子間で互いに苦笑いを浮かべます。
とりあえず、嬉しそうな表情をして受け取ったまではいいのですが、
そこから1日…2日…1ヶ月…年末…年明け…バレンタイン…と
その蓋が開けられる日は訪れないまま時間だけが闇雲に過ぎる始末。
結局開けたのは、「パックのカフェオレを詰めるから、空のペットボトルをくれ」と言われて、
慌てて飲み切った夏日になろうかという4月の末まで未開封のままでした。
消費期限は見事にギリギリ守られていたようで腐ってはいませんでしたが、
500mlを飲み切るのに相当苦々しい表情を浮かべたのは記憶に残っています。
世間で持て囃され定着していますが、逸般人…緑茶が苦手なのです。