11月21日号 『反対側から眺める』
貴重なお時間を割いてまで、
このような無駄文に目を通してくださいまして、本当にありがとうございます。
違った目線でモノを見る事が新たなモノを見つけられるいい機会です。
そこで大切だと思うのは、
違った目線が決して「クリティカル(批判的)」に寄り過ぎない事。
それをやりすぎると、ただの粗探しになってしまい、
その物事の良い所まで全て否定してしまう論調へと誘導されてしまいます。
例えば、以前他の方の小説作品を読んで感想を送る時、
その中では、素敵な所は手放しで褒める事を大事にしています。
一方で普通なら書きにくい「悪かった点」を最低でも1つ書く事を心掛けています。
全てが完璧な作品ならば、その作品は既に書籍化され、
瞬く間にベストセラーになっているでしょう。
「良い所:3点 悪い所:1点」これが個人的なバランスの取り方だと感じます。
素敵だと思えた所は手放しで褒めた後で、悪いと思えた所を指摘すると、
その忠告はすんなり受け入れやすくなるんじゃないかというのが逸般人の持論です。
今回はそんな違った目線が面白いモノを生み出したスチャラカ路線です。
『ロールプレイングゲーム』をプレイされた方は多いと思います。
何処かの田舎の村の少年が、何かの切っ掛けで世界を救う旅に出ます。
様々なモンスターと渡り合って経験値とお金を稼ぎ、
強力な武器や防具を揃えたり、魔法を覚えて冒険を進めながら、
その街々の事件を解決したり、旅の所々で仲間との出会いと別れを繰り返しながら、
青年と仲間達は成長します。
そして諸悪の根源というボスを倒して、世界を混沌から救い出し、
少年達はその世界の勇者として、後の世に語り継がれる存在になるのです。
そんなRPGの醍醐味といえば、やはりダンジョンへの冒険でしょう。
1マスのドット絵や1箇所の洞穴から、これほど広くて幾重の階層が続くと、
軽く地震が起これば、すぐに崩落してしまうんじゃという疑念を抱いてしまいます。
冒険や物語が後半に差し掛かれば掛かるほど、パズルの要素を含んでいたり、
とある通路がループしていたりと、迷路は複雑な構造になっています。
私達の世代なら『ロンタルギアの洞窟』・『ネクロゴンドの洞窟』と聞けば、
ゲーム作品の最難関というイメージを持ちますし、
私よりも若い世代の方にも印象的なダンジョンがあるでしょう。
今回は冒険者側の目線ではなく、ボス目線で見てみようと思います。
ダンジョンの奥で冒険者がやってくるのを待っています。
ですが、こちらから洞窟の前に立って冒険者を待ち構えていれば、
洞窟の中にある宝箱も取られて利用される事はありませんし、
レベル上げの場所を提供しないで済むので、戦い方も若干楽になるでしょう。
それなのにダンジョン最深部で悠然と待ち構えて、
「よくぞここまでたどり着いた。勇者どもよ…」と上から目線の台詞を言い放ちます。
その仮説を、「ひょっとして手下に造らせたダンジョンの最深部から、
入口に向かうまでに道に迷ってしまって、出会えないから待ち伏せるしかなかった」としたら…
先程申し上げました「よくぞここまでたどり着いた勇者どもよ…」は建前で、
本音は「やっときた!待ってたよぉぉ!さぁ僕と戦ってよぉぉ!」と涙目で迫ってきたら、
おどろおどろしいラスボスにもちょっと可愛気が見えてきます。
若干倒し甲斐がなくなるのは、実際のボスの強さで勘弁してあげたくもなります。
世のロールプレイングゲームの盛り上がりの影には、
「はやくこないかなぁ…」とのの字を書いている大魔王の我慢強さもあるのかもしれませんね。