11月15日号 『3 years after』
貴重なお時間を割いてまで、
このような無駄文に目を通してくださいまして、本当にありがとうございます。
3年という年月は、ある意味の区切りのような言葉なのでしょう。
学歴的でも人格形成でも重要な中学・高校の期間は3年ですし(留年・退学・高専等を除く)、
昔からの諺にある『石の上にも3年』として使われますし、
入社3年目が転職への選択の基準になると言われます。
歌謡曲にも『3年目の浮気』という曲がヒットしているように、
人生史の中で、3年というキーワードがどれだけその人にとっての
重要な期間であるかを指し示しているように思えてきます。
そんな3年が今回のキーワードです。
昨日は余りにも重かったので、今日は何が何でもスチャラカになっていくと思います。
今になって思えば、何時これを手に入れたのかすら朧げになっています。
如何にも怪しさが漂っているとある市場で見かけたのを覚えています。
惹かれたのは50円で叩き売られていた設定価格。
手に取ってみるとぎっしり詰められているのか、そこそこな重みでした。
何か裏があるんだろうと思い、裏面を確認してみると、
推察通り、少々消費期限が過ぎています。
当初は買う予定がなかったのですが、
壊滅的といってもいいほどの調味料レパートリーの少なさで、
決まりきった味で満足していた事もありましたし、
「加工食品だから腐る事はないでしょ」という軽い気持ちで購入を決意しました。
我が家の調味料界のニューカマーの名は『コチュジャン』。
まぁ、季節が巡れば温かいモノを欲しがる時期もやってきますしし、
意外と消費されるペースも早まるんじゃないかと思っていたのです。
それからほぼ3年以上に月日が流れました。
2013年8月に消費期限が切れていたコチュジャン、2016年11月現在未だに健在で、
中々に問屋は卸してくれません。
理由の第一として燦然と輝いているのは、哀しいかなレパートリーの決定的な欠如。
利用する機会が「鍋」に限られる以上、
「激辛歓迎」という志向の持ち主なら遠慮なく減っていくはずですが、
根本的にマイルド志向の我々では、利用する容量は微々たるモノです。
それに並列して輝いているのが、使い勝手の微妙な悪さ。
元々消費期限の切れかかっているモノを購入しましたから、
常温保存にすると加工食品とは言え腐ってしまいかねません。
そこで、冷蔵庫で保管するのですが、
長期間に亘って保存をし続けると、調味料の水分が飛んでしまい、
さて、そろそろ使おうかなぁと思って取り出してみますと、
見事にスプーンが突き刺さらないほど固くなってしまうのです。
「ちょっとでいいから…」とお箸で適量を取り出そうとすると、
力を入れすぎて折れて犠牲になったお箸が何本も続出してしまう始末。
それほど乾燥しているので、上手く宥めて適量使うようにしても、
今度は水の中に溶け出してくれません。
そうなるとどうなるか…具材にコチュジャンを塗りつける感じで鍋を作ります。
さぁ食べようと思って、鍋に箸を伸ばしても唐辛子っぽい辛味は全く感じられません。
「あれ?おっかしいなぁ…」と食べ進めているうちに、
コチュジャンがべっとりくっついた食材を引き当ててしまい、
「か、からっ!辛い辛い辛い!」と思わず悶絶してしまう、
天然ロシアンルーレット的なお鍋が完成するのです。
どうにかしながらも減らす事に骨を折り徐々に減っている感覚はあるのですが、
今日改めて、コチュジャンの蓋を開けてみると、
3年以上時が過ぎているというのに、まだ半分残っているのです。
単純計算であと3年以上は我が家の冷蔵庫の一部を占拠する計算に、
3年という月日の長さに首を竦めてしまうのです。