11月11日号 『反面教師』
貴重なお時間を割いてまで、
このような無駄文に目を通してくださいまして、本当にありがとうございます。
いきなりですが、大辞泉先生の登場となりました。
反面教師とは…
『悪い見本として反省や戒めの材料となる物事・またそのような人』とあります。
引いてみて初めて知ったのが、この言葉を初めて使ったのが現代史にも名を刻む
故毛沢東氏だという一節が書かれておりました。
諸説の1つなのかもしれませんが、大辞泉レベルに記載がされているという事は、
概ね事実だと思いたい所です。
と、小難しい所からの導入となりましたが、もっと噛み砕いて言いますと、
とあるバラエティ番組で使われているこのフレーズです。
『俺みたいになるな!』
これを言いたいがため(+文字数稼ぎ)にここまで冗長な「むだぶん」となったわけで、
ここからが本題です。
「小説家になろう」のプラットフォームでのむだぶんはこれで155本目です。
トップページにはこの偏屈なオッサンと繋がってくれている方々の活動報告が
オンタイムで更新され続けています。
その中で、こういった活動報告が見られるようになりました。
『○○○○大賞 一次予選突破』
とても素晴らしい結果が輝いて見えました。
原稿用紙数百枚の世界だった小説作品の賞レースですが、
Webの進歩によりその間口は一気に大きく広げられたようで、
今では此方の方がトレンドじゃないかと思うほど、作品の応募が可能になりました。
先月のむだぶんをお読みになられた方ならご存知だと思いますが、
この逸般人もとある賞レースの内容に興味が向いたのか、
久しぶりに新作の作品を綴っていたのですが、惜しくも断念したというのは、
今月の頭の「むだぶん」でも綴っておりました。
その「むだぶん」はこのように綴って結ばれておりました。
『別のこのコンテストだけがコンテストではありませんし、
大まかな話の流れは見えてきているので、
とりあえず10万字以上を目標として、もう少し挑戦を続けてみようと思います』と。
今になって思えば、
10日前の逸般人を鈍器のようなモノで殴ってやりたい気持ちになってしまいます。
つまり、この宣言から10日経過したというのに、1文字も前に進んでおりませんでした。
何がそうさせたのかと振り返ってみると、1つの結論が導き出されたのです。
それは『気力』
今年お亡くなりになられたのですが、九重親方は千代の富士の四股名で
昭和の大横綱として、力強い相撲を続けておりました。
その引退会見の時に横綱が言った一言が強く印象に残ります。
『体力の限界!気力も無くなり、引退することになりました』
体力が衰えたとしても、そこは経験や知恵が補ってくれるので抗う事は出来ます。
しかし、気力がなくなるという事は、全てを放棄するにも近しい状態に陥ってしまいます。
これは何も鍛え上げられたアスリートに限られた事ではありません。
「やろう」という意思を気力で補わないと、あっという間にフェードアウトしてしまう。
『燃え尽き症候群』の典型的な一例がこういった流れを汲むものなのでしょう。
しかも執筆活動は、暗闇の中で腕にまとわりつく重い孤独を幾度も振り払わなければならない
壮絶な戦いを続けなければなりません。
逸般人が挑むには余りにも無謀な挑戦だった事が、
この反動からくる無気力感を以て改めて実感してしまうのです。
この「むだぶん」を読んでくださっている皆様の中には、
長編を続けて綴られている方や、果敢に賞レースに挑もうとされる方もいらっしゃると思います。
そんな皆様へ、差し出がましいですが逸般人からの言葉を差し上げようと思います。
そう、『俺みたいになるな!』と。