11月6日号 『男の料理の盲点』
貴重なお時間を割いてまで、
このような無駄文に目を通してくださいまして、本当にありがとうございます。
『鶏むね肉1枚(250g)酒 大さじ2 醤油 大さじ2 すりおろしショウガ 大さじ1/2
すりおろしニンニク 大さじ1/2 片栗粉 大さじ4』
某サイトで見つけました、『鳥の胸肉の唐揚げ』のレシピを
料理サイトの大手『cookpad』で検索した時に出てくる材料です。
Webの世界は便利なもので、分からなければ検索すれば何かしらのヒントは出てきますし、
個人のレシピを公開している事もあるでしょうから、
その家庭で育まれた「おばぁちゃんの知恵袋」的なテクニックも隠されています。
そのレシピ通りに過程を踏めば、美味しい料理が出来上がる事でしょう。
ですが、それは計量の為のツールを一通り全て揃えるのが必要最低条件で、
その多少で味は間違った方向へと歩みを進めてしまいかねません。
ですが、料理の知識もありませんしツールもない。
それでも1日は進みますし、料理をする時間は必ず訪れます。
そうなると金看板に頼らないとやっていけません。
適当・豪快・大雑把という男の料理の3箇条が立ち上がってきます。
『目分量』という免罪符を堂々と掲げながら、チャッチャと料理を行います。
そんな中、やはり盲点というものが顔を出してくるのです。
それが本当の料理の時ではなく、ふとした瞬間にこの盲点が現れた時のショックは、
それに向けての準備が行われていないのも相俟って、
「うわー、何もこんな時に…」と気分が若干落ち、結構引きずる事もあります。
今回のトラップは『珈琲』でした。
叔父の四十九日の引き出物として持ち帰ってきたものの中に白い箱がありました。
海苔の詰め合わせかなぁと思って開けてみると、某社のドリップコーヒーの詰め合わせでした。
日がなインスタント珈琲の日々である逸般人からすると、思わぬ恵みです。
若干本格的になれば、こちらもちょっと本格的に寄せたくなるもので、
普段はやりもしないのですが、マグカップをお湯で一度温めて準備を整えるのですが、
『むだぶん』をよくお読みくださっている方ならご存知だと思いますが、
逸般人の味覚は相変わらずのお子ちゃま仕様です。
ブラックコーヒーなんて飲めたようなものではないと思っています。
勿論、砂糖とミルクは入れないと珈琲はは味わえません。
しかし逸般人好みの容量というものは、逸般人の舌でしか知らないわけで、
それが数値化されているわけではありません。
致し方なく目分量で調整していくわけですが、
「これが理想!」という分量の見極めが全然できていないので、反動がやってくるのです。
それは珈琲の水面を一目見れば分かるのです。
茶色具合が濃い目に出ると「うわー、苦いわー。間違いなく苦いわー」とうんざり。
薄目に出てしまうと「うわー、入れすぎたわ。勿体ないって」とまたうんざり。
塩梅を知るためには、容量を計らないといけないのですが、
一発勝負への面白さが尾を引くのか、中々修正できないままでいます。
そして案の定、今日も失敗したのです。
懲りないといいますか、ここまで来ると阿呆の領域を無視しているんでしょうね。