10月30日号 『隠された闇』
貴重なお時間を割いてまで、
このような無駄文に目を通してくださいまして、本当にありがとうございます。
ここ数年の流行が一気に定着へと傾いているのか、
今年もHalloweenの季節が話題となっているようですね。
元来は10月31日と日程は固定されているイベントではありますが、
クリスマスの前日をクリスマスイヴと称して楽しんでいるようで、
渋谷界隈では、仮装した方々でごった返しているという様子が、
テレビメディアや動画投稿サイトで公開されています。
これに対してのSNSメディアは批判的な論調が渦巻いているように映ります。
目に付いた意見は…、
「勝手に集まって乱痴気騒ぎをしたと思ったら、ゴミを放置して帰る。掃除する人が気の毒」
「本来のHalloweenの意味合いを知らない人が多すぎる」
「歩行者天国で規制をしている警察の方は血税。こんな為に税金を納めたくはない」
このあたりが代表的な意見として取り上げられているようです。
理解も示せるモノもある一方で、「うーん…」と首を捻ってしまう意見もあります。
それに対して思う事や意見は十人十色ですから、
散見される意見に対して真っ向から否定するつもりはありません。
ですが、意見に賛同するだけでは単なる思考停止に陥る一方です。
問題はそれぞれの意見を知った上で、自分の考えが述べられるかだと思います。
ここ数年の日本のHalloweenに対しては、その影に隠れているモノがあるように思えます。
それは「鬱屈」です。
景気が回復していると言っているのは、メディアがそう書き立てているだけで、
実際は相変わらず不景気の嵐が吹き荒れているといっても決して過言ではないように感じます。
お給料が据え置きやカットと徐々に迫って来る増税。
家計が苦しくなり、真綿でジワジワ首を締められるような閉塞感に
溜め息を零すお父さんやお母さんの姿を、
ずーっと見続けてきた子供達が成長して、今時の若者になったとしましょう。
すると、閉塞感が植えつけられた若者が現れます。
国民が支払わなければならない負債は嵩む、得られる報酬もタカが知れている。
「自助努力せよ」と言われても難しい現実と、将来に明るい展望が見えることはありません。
若者達に向けて責任感と鬱屈が溜め込まれていきます。
確かに鬱屈を解消する何かを持っているのなら、その重さも少々軽くなるかもしれません。
この逸般人もこういった「むだぶん」を殴り書く事が、
その鬱屈の一部を晴らす効果的な役目を担っているのでしょう。
一方で鬱屈とした気持ちを解消する手段を知らないとなると、
益々、刹那的な生き方を選ぶかもしれません。
その刹那がこういった面白いイベントを呼び水として爆発しているように思えるのです。
仮に私がそういった若者の立場に立って考えてみれば、
基本的に堅物なので批判的な意見に肩を持つだろうなぁと類推するのですが、
隠された闇を鑑みると、当然節度は守らないと…とは思うのですが、
乱痴気騒ぎもしたくなるのも、わからないではないなぁと感じてしまうのです。