10月28日号 『礼賛されすぎじゃね?』
貴重なお時間を割いてまで、
このような無駄文に目を通してくださいまして、本当にありがとうございます。
いきなりですが、大辞泉先生の登場です。
今回のテーマは『礼賛』
意味合いとしましては…
Ⅰ・素晴らしいものとして褒め称えること、またありがたく思うこと
Ⅱ・仏語。仏・法・僧の三宝を礼拝し、その功徳を称えること、またはその行事。
以上の2つの意味が含まれています。
学のない逸般人が仏語としての言葉の意味を存じ上げてはおりませんので、
今回は前者の意味を指します。
逸般人が『モノを捨てられない』性質であるのは、
これまでの「むだぶん」をご覧くださっている皆様にとっては、御存知の事でしょう。
如何に『断捨離』という言葉が定着し、
様々な人生啓発本やWebページにも捨てる事がどれほど大事な事かが書かれ、
捨てる事が礼賛されている風潮が目に付きます。
確かに一理あるとは思います。
狭い部屋を占拠している煎餅布団の上に、雑然と積まれている書籍を見ると、
「流石にこれはまずいよなぁ」とも思いますし、
『身辺はあえて単純明快にしろ。何事も単純であれ、悩むな、絞れ』とは
坂の上の雲の登場人物・秋山好古の科白にもあります。
その一方で、こう言ったむだぶんを綴る際にこういったケースによく陥るのです。
ふと、話題に出来そうなフレーズが頭の抽斗から出てきました。
何処かで読んだという記憶があるのに、それが小説だったかビジネス書だったか
または何かの漫画だったかが、中々に出てこない。
1冊の書物の文章内容の全てを、完全に丸暗記出来る記憶力に乏しい以上、
「あれ?この言葉って、どっかで見たような…」と対象の書籍を捜索します。
そこで全てを捨て去ってしまった場合、結局そのきっかけを導き出す事ができないまま
無碍に時間を費やしてしまい、モヤモヤとした感覚だけが残ります。
更に、その言葉が書かれていた場所を特定する事で、
その前後を改めて読み直せる機会が得られます。
当然、そのフレーズだけを思い出したとしてもその前後の文章まで
芋蔓式に思い出せるという確証はありません。
その前後のページを読み返す事で、印象の残ったフレーズの他に、
昔は全く響かずにスルーしてしまった言葉であっても、
年齢を重ねてきた事で、心に響く言葉へと進化し定着をする。
その偶然はモノを捨てることを奨める断捨離には得られない面白さが隠されています。
何も溜め込んでしまう事を奨めようとしているわけではありませんが、
「極端から極端へ」ではなく、バランスが大事のようにも思えてくるのです。