10月25日号 『これじゃないんだよなぁ』
貴重なお時間を割いてまで、
このような無駄文に目を通してくださいまして、本当にありがとうございます。
昔はよく食べていたのに、最近はすっかり食べなくなったモノを
再現してみようと試行錯誤を繰り返しても、
結局その味に近づく事もできずに、忸怩たる思いを抱える事があります。
それもその筈、いくら材料を取り揃えたところで、
そのお店秘伝のノウハウを知らなければ、一向に近づけない聖域のような味なわけです。
以前、こんなお話をした覚えがあります。
某有名チェーン店の餃子をテイクアウトにした時の事でした。
包装していた発泡スチロールの器に、こんな事が書かれていました。
『当店自慢の餃子のタレのつくり方』
順序を守ればお店の味になると思い、材料を買い集めて調合し、
ワクワクしながら挑戦してみたのですが、結果は全く程遠い結果になってしまいました。
ノウハウの有無が雲泥のモノを作るものだと痛感し、
勝手に騙された感満載で餃子を口にしたというほろ苦い記憶があります。
今回も学生時代によく食べていた昔懐かしいモノに挑戦してみようと思ったのです。
挑戦の目標は『お好み焼き』。
これなら、仮に失敗しても結局はソースとマヨネーズと鰹節の味になるんだから、
食べられないモノとなってしまうリスクはほぼ皆無だと踏んだのです。
しかし、それでは金太郎飴のようなお好み焼きが出来上がって、あまり面白味がありません。
そこで、学生時代に食べたお好み焼きを再現してみる事にしたのです。
当時口にしていたお好み焼きを記憶の底から呼び起こしてみますと、
たっぷりの青葱と目玉焼きの白がイメージとして浮かび上がります。
他にも何か特徴があったよなぁと更に深く探ってみますと、
再現のしがいがある具材が掘り起こされて出てきました。
それは『蒸したジャガイモ』。
フワフワの生地の中に、ゴロっとしたホクホクのジャガイモが顔を出して、
いいアクセントの役割を担っていました。
それなら必要なモノは、蒸したジャガイモだと判明しているので
比較的容易に再現できるんだろうと思っていたのですが、
生半可な考えは軽々と打ち破られてしまったのです。
じゃがいもを蒸す際には、蒸籠のように蒸す専門の道具がありませんので、
ポテトサラダを作る要領と同じように、電子レンジに水を張り、
中に火が通るまで温めます。
出来上がって頃合になったじゃがいもを、鉄板に流した生地に数個埋め込んで、
後は、普通にお好み焼きを作る工程と大差はありません。
そして出来上がったお好み焼きも、
見た目は対して変わらずに美味しそうな姿をしています…してはいるのですが…
ワクワクしながら口に運んだ逸般人の表情はどうにも冴えません。
ものすごく抽象的な表現となってしまい、申し訳ないのですが、
どうやらじゃがいもの『ゴロッ』と感が見当たらないのです。
確かにじゃがいもを蒸す際に、
「早々に火が通した方がいいだろう」とじゃがいもの厚みを薄くしてしまったのか、
若干ボリューム感に欠ける印象の成果物ばかりが出来上がってしまったのです。
分厚くしすぎると、中まで火が通らずに生のままの食感が残る始末。
この『ちょうどいい塩梅』の厚みのじゃがいもを用意するにも、
その店特有のノウハウがあるとないでは大きな差を生み出すのでしょう。
うーん…絶妙なバランスって難しいものなんですねぇ…