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病源探査2

 トーキョー新宿内の道路を、一台の車が走り抜けていく。広い車幅を持ち、各所に角ばった装甲板が取り付けられている。ボディは燃える真紅を纏い、高出力エンジンが猛牛のようなうなりをあげていた。

 軍用四輪駆動車を改造したアヴィスーツ・プラットホーム・ビークル、マッスル・ド・レッドの運転席で、アンタレスは先ほどの戦いを思い返していた。付近で警察に通報のあった、食い荒らされた生ごみやノラネコの死体の散乱、下水管の破裂、そしてアンタレスに秘められた能力によって、どうにかハルマゲドンの所在を突き止めることができた。

(もう新宿区に気配はない。だが、まだ一匹だ。この先のざわつく感覚が本物であればいいが)

 すでに捜査開始から五時間が経過しようとしていた。奇跡的に被害者はゼロだが、散らばったハルマゲドンが成長していけば、小学校での惨劇がいたるところで繰り広げられことになる。ハンドルを握る手に力がこもる。

 マッスル・ド・レッドは新宿区を出て、北上するルートをたどる。道中で通行人が物珍し気に車体を眺め、携帯端末で写真を撮る者もいた。おそらくSNSで画像が拡散されることになるが、問題はなかった。アヴィスーツの着脱機構、武器庫の機能を有する車が走り回っていると敵に知れれば、散らばったハルマゲドンをいぶり出せるかもしれない。

 右側の助手席に置かれた、アヴァランチのヘルメットを見やる。塗装がところどころ剥げ、装甲がへこんでいる個所もある。偏光レンズがはめ込まれた青いバイザーに生気はなく、ただ虚空を見つめていた。そこに映りこむ自分の姿に軽く笑みを返しながら、数時間前までそこに座っていた仲間、リナとのやり取りを反芻する。

 ――それは、609部隊と合流した後のハネダ空港で。


「さっきも言ったが、例の害虫は電波で誰かとやり取りしていた。そしておそらく、卵から孵った連中も、同じ電波を飛ばしまくってる。このトウキョー都内でな」

「どうしてそれが分かる?」

「微弱だが、お前が小学校でキャッチしたものと同じ波長のものを観測したんだ。特殊なスクランブルでもかけられてるのか、範囲までは絞り込めなかったけど。おっ、このコーヒーは当たりだな。甘みがそれほどしつこくない」

 助手席で缶コーヒーに酔いしれるリナを横目に、アンタレスは顔を伏せて思考を巡らせる。これまで数十匹の個体を相手にしてきて、あの時と同じ状況が起こったことは一度もなかった。それが今、現実のものとして起こっている。

「アンタレス。お前、敵の狙いは何だと思う? 牧本が言うように、単にトーキョーを騒がせたかったのか? 注意をトーキョーに向けたかったのか? それとも、私たちに挑戦するためにわざわざ化け物を持ち込んだのか? 無関係な人間を大勢巻き込んで」

「まだ何とも言えないな。だが相手がハルマゲドンを投入してきた以上、こっちも容赦するつもりはない。全て殺し、首謀者もこの手で捕える。かならずな」

 アンタレスの瞳が憎悪に歪む。あの時救えなかった彼女、殺した元凶が再び動き出したというのなら、全てを投げうってでも引きずり出すつもりだった。そんな彼の頬に缶コーヒーが押しつけられた。ほんのりと温い感触が皮膚に広がる。

「少しは落ち着けよ、アンタレス。昔何があったかは知らないが、怖い顔をされちゃサポートする私もやりづらいぞ。ハルマゲドンが絡んだだけでそんなに神経に尖らせてちゃ、助けられる命も救えない。だろ?」

「あ、あぁ。そうだな」

 ライダージャケットの胸元をはだけさせたリナが、いつもの勝気な笑みを浮かべていた。内ポケットから缶コーヒーを出したためとはいえ、アンタレスの視線がTシャツから見える谷間に釘付けになってしまう。私のおごりだ。味わって飲めよ。そうかけられた言葉も、右から左へ抜けていく。

 目を細めたリナが、ニヤけた顔で彼を見つめる。譲り受けたコーヒーのタブを開き、口に含んで動揺をごまかす。口の中に広がる甘みとほのかな苦み。気が付けば、胸に湧き上がっていた憎悪は消えていた。相変わらずの回りくどい、からかい混じりのフォローだったが、今のアンタレスにはそれがありがたかった。

 彼のパートナーが車のナビゲーションシステムを操作し、トーキョーの地図を表示させる。その上に緑色のもやのようなものが所々に表示されている。

「さ、ひと息ついたところで仕事の話に戻ろう。こいつはつい数時間前、御茶ノ水でハルマゲドンの死体を見つける直前に観測された電波だ。見ての通り、23区がほぼすっぽり覆われてる」

「この中にハルマゲドンの幼体が潜んでいるのか。電波のやり取りは?」

「ない。どいつもこいつもただバラまいてるだけだ。しかも連中はバラけてて範囲も絞れないから、電波が重なり合って余計に位置が特定できない」

「互いの位置を確認するためか、それとも電波の放出自体が妨害工作か? こちらが電波を補足できると敵が知ってるなら、陽動の線も考えられるな」

「さすが。私の言いたかったことを全部言ってくれた。でも、これはお前でもできないだろ」

 リナがナビの液晶パネルをいじると、広がっていたモヤが徐々に収縮し、三つの塊となった。ひとつは新宿区、ひとつは港区、ひとつは荒川区がすっぽりと覆われている。後者になるほど範囲は広く、何区域にもまたがっていた。

「可能な限りノイズを除去し、幼体の行動範囲を予測して得られたデータさ。範囲の広さは、潜んでいる個体数が多いことを示してる。ただ何匹かはすでに成長しているだろうし、これまでのパターンが通用しない場合もある。単なる目安だと考えてくれ」

「いや、十分すぎるほどの成果だ。これだけ範囲が絞られれば、捜索のめどもたつ。本当に助かる」

「礼はいい、聞き飽きた。あとはルサルカたちの鼻と、お前の女神様次第だな。いずれにしても、楽しめないドライブになりそうで同情するよ」

 リナがアンタレスの体をつつく。その指をうっとおしそうに払いのける彼には分っていた。リナがからかっているのは、彼の体内に宿るもうひとつの存在だということを。

 ヴィーナス。金星の女神の名を冠する超ナノマシンは、投与された人体のDNAを瞬時に解析し、同化することで人体の治癒能力を飛躍的に高める。人体との間に疑似神経パルスを構築し、細胞の機能を代替することで、外傷からウイルスに至るまで、あらゆる危機から宿主を庇護する。

 それだけではない。ナノマシン同士との交信にも使われるパルスを体外に放出することで、他の様々なものに干渉できるようになった。マキナワークス製アヴィスーツと神経レベルで一体化し、生対の20式の通信機能をジャックし、ハルマゲドンの発する電波を感知する。

 かつてウイルステロ、ヴィオレットガスに対抗するために創られた彼女は、今もアンタレスを救い、犯し続けていた。

「分かった。俺は痕跡が強く残っていそうな新宿区を探す。609には残りの区域を捜索するようナビゲートしてくれ。ただし幼体のサンプルを採取するまで、ターゲットは極力殺すな」

「極力? 奴らは進んで捕獲なんてぬるいことはしないと思うぞ。お前が絶対に殺すなと命令すれば従うだろ」

「いや、それは駄目だ。これ以上被害者を出すわけにはいかない。だが捕獲を優先して守るべき命を失えば、サンプルを回収しても意味はない。だから、極力だ。彼女たちにもそれを分かってもらいたいんだ」

「は? いや、そうだな。お前はそういう奴だったよ。アンタレス。とても甘くて、素敵な奴さ」

 呆気に取られたリナが、こらえきれずに笑いだす。目じりに涙まで浮かんでいる。アンタレスも笑いすぎだと諫めようとするが、彼の女神がリナの抱く感情を囁きかけてきた。安堵、羨望、歓喜。とても心地良いにおいが、嗅覚を通じて伝わってくる。

「了解了解。なら奴らにもそのまま伝えておこう。さっさとこんな仕事終わらせて、どっかで祝杯でもあげよう。な、アンタレス」

「ああ。よろしく頼む。リナ」

 二人の缶コーヒーが、音を立てて重なり合った。


 マッスル・ド・レッドのナビゲーションシステムにメッセージが入る。609のアクーラたちが、先ほど無力化したハルマゲドンを回収できたという知らせだった。纏ったままのアヴァランチ、ヴィーナスとリンクして感度を強化したセンサーは、すでに新たな目標の気配を捉えている。

 流れゆく景色、変わらぬ街並み、平和を謳歌する人々、見上げた道路標識には、荒川区の文字が刻まれていた。



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