病源探査1
「一体、みんな、どうしちゃんだろうな……」
東京、新宿区のとある公園で、小学三年生のタシロはポツリとつぶやいた。木々が生い茂り、それらに囲まれた中央広場には噴水がある。白い石から噴出した水が太陽の光を反射し、キラキラと降り注ぐ。木陰のベンチに座っていたタシロは、今までのことを考えていた。
数日前学校に登校し、授業を受け、校舎が揺れた。その後の記憶が抜け落ちていた。気が付けば病院のベットで寝かされており、涙で顔を歪ませた両親が目に飛び込んできた。
怪我はかすり傷程度で、様々な検査を受けた後、家へと帰された。その時、テレビでしか見たことがないような、ベットが管の中に入り、体中の写真を撮る検査を受けさせられたのは、タシロにとって意外だった。
学校が倒壊し、生徒の大半が死んだことはニュースを見て知った。両親は局地的な地盤沈下が起きたといっていたが、タシロにはとても信じられなかった。おぼろげな記憶の中に、黒く何か巨大なものが床から突き出すビジョンが残っている。
だがそれを思い出そうとすると、拒むように頭がズキズキと痛んだ。クラスメイトたちは、マキノは、マリア先生は、一体どうなったのか? 寝ても覚めてもそのことばかりが気になり、憂鬱な時ばかりが続く。
「なぁ、ジョン。おれ、どうしちゃんだろうな」
リードにつながれた柴犬、ジョンが困ったように首をかしげる。元気がなく、うなだれた様子の主人を心配し、なぐさめようと顔をなめだす。
「わ、くすぐったいぞジョン! まったくもう」
少しだけタシロに笑みが戻る。学校は休校扱いとなったため、やることのないタシロは午前中の犬の散歩を買って出ていた。心配する両親をよそに家を出たはいいものの、近所の人間がタシロを奇異の目で見つめ、後ろ指を射してひそひそと囁き合っているのに気づいてしまった。
――あの子が、あの事件の生き残り? かわいそうに。
――運がいいな。俺のところの知り合いの息子は死んじゃったのに。
――警察も役に立たないな。傭兵に頼らないって言ったのに、結局あのザマだし。
それは公園に着いてからも続いていた。家を出た時からずっと誰かに見られている気がする。そんなはずはないと首を振り、ジョンを抱きかかえようとする。生後十か月になる柴犬はズシリと重く、ゴワゴワとした体毛ごしに、命の温もりが手の中いっぱいに広がっていく。
突如、ジョンが歯をむき出しにし、獰猛な唸り声をあげた。うわ、とタシロは思わず叫び、飼い犬を放した。ジョンは狂ったように駆け回り、毛を逆立てて近くの茂みに吠えかかっていた。
「な、何やってんだよジョン! やめろ!」
幸いなことに人影はなかったが、このままでは近所迷惑になってしまう。タシロは必死にジョンをなだめようとするが、彼は決してやめようとはしなかった。その目には怒り、というよりも決意と怯えが見え隠れしていた。
ギシリ。
茂みの奥から、何かがこすれるような音がした。
ギギギ。
徐々に大きくなってくる。草木が揺れ、固く、重厚な響きが空気を揺らす。
瞬間、タシロの頭が真っ白になった。体がガクガクと震え、手から汗が噴き出す。何かがおかしい。怖い。どこかで聞いたことがある音だった。それが何か思い出したくない手に伝わる誰かの感触マキノ頭から血を流した傍らに髪の長いおんなが。
脳内が言葉の激流に侵され、体が動かなかった。逃げようとしても足が言うことを聞かない。ジョンが牙を突き出し、茂みに飛びかかる。悲痛な叫び。タシロの横を茶色い体が通り過ぎていった。
「う、うわ」
タシロの口から恐怖が漏れる。緑色の空間に白い甲殻が伸びていた。先端に円周状に生えた歯がぎっしりと並び、ビー玉ほどの大きさの複眼が、吹き飛ばした獲物を探して揺らめく。のっそりと、草むらから得体のしれない生き物が姿を現した。
細長い体躯は全長四、五メートルほどで、粘液に覆われた体のあちこちが甲殻で覆われている。二本の足が砂利の混じった地面を踏みしめ、未発達の前脚が胸元で波打っていた。尾の先には扇状のひれが生えていて、中心には管のような物体が見え隠れしている。
鼻をつまみたくなるような不快なにおい、下水を滴らせながら、ハルマゲドン第二形態が一歩、また一歩とタシロに近づく。腰を抜かし、震えることしかできない彼を飲み込もうと、唾液まみれの口を目いっぱい広げた。
数十本もの歯が獲物をすり潰し、成長の糧にしようと歪にうごめく。頭をすぼめ、一気に飛びかかる。
「あ」
白い化け物の影がタシロと重なる。口が少年の頭を覆い尽す。
金属の咆哮が響き、ハルマゲドンの体が大きく吹き飛んだ。
数メートル先まで転がったハルマゲドンがびくびくと痙攣する。訳が分からず呆然とするタシロの元に、救いの手が差し伸べられた。
白い装甲が艶やかな対溶解液コーティングに覆われ、各所に大型化したオウラメタル装甲を纏っている。頭部、右肩、右胸、左腕、左腿部はオレンジに塗装され、耐衝撃機能を強化した追加プロテクターを装着していた。エアダクトまでもが装甲で覆われた頭部が、水色のバイザー越しにタシロを見つめる。
「タシロ君だね。もう大丈夫。スターライト・バレットのヴェネーノだ」
腰に巻いたスカート状の防塵、防液ベルトをはためかせ、ヴェネーノ・シフトインパクト、アヴァランチが優しくタシロの肩を叩いた。
「えっ、えっ! ヴェネーノってあの、俺、前に一度見てからファンになってそれで」
安心と興奮が入り混じり、タシロがしどろもどろにしゃべりだす。それをアヴァランチが手で制す。
「悪いけど話はあとだ。まずはあいつを駆除しないとな」
ハルマゲドンがうなりながら、よろよろと立ち上がる。食事を邪魔されたことに憤り、歯を軋ませながらアヴィスーツを威嚇する。その様は、ハルマゲドン最終形態にも引けを取らない。剥ぎだしの憎悪が、空間を黒く満たす。
恐怖に体をすくませるタシロ、アヴァランチは平然と受け流し、右腕に持った回転弾倉式ロングバレルグレネードランチャー・アヌビスを構えた。右指は引き金にかけず、銃身を保持する左腕、その人差し指でもうひとつのトリガーを引いた。
三つの咆哮が響く。バレル下部に装着されたアタッチメント式ショットガン・エスパーダから放たれたメタルベアリング弾が、ハルマゲドンの頭、両足に着弾した。表面で変形した金属が甲殻を肉ごと抉り砕く。絶叫と共に赤黒い花が咲く。
すかさずアヴァランチがアヌビスの弾倉を開ける。左腕のラウンドシールドの内側から、弾頭が青く塗られたグレネードを取り出す。六発フル装填し、地面をのたうち回るハルマゲドンに狙いを定める。
「冷凍弾B、発射!」
バレルで電磁加速された弾頭がハルマゲドンにねじ込まれ、破裂と共に白いもやをまき散らした。冷却液に包まれた体が瞬く間に硬直し、いたるところにつららが生える。胸から足、そして苦痛に歪む頭部が分厚い氷に覆われ、白い悪魔は瞬く間に活動を停止した。
冷凍弾Bは細胞を壊死させるのではなく、抑制することで殺さずに無力化する。氷柱と化したハルマゲドンを確認したアヴァランチが銃を下した。
アヴァランチの口元の増加エアフィルターから、安どの息が漏れる。傍らのタシロがそれを聞き、安心しきって地面にへたり込んだ。あの白い生き物は何だ? どうしてスターライト・バレットのアヴィスーツが? やっぱり傭兵のアヴィスーツはかっこいい。様々な考えがシェイクされ、脳内でぐちゃぐちゃに混ざり合う。
(そ、そうだ。ヴェネーノにお礼を言わなきゃ!)
意識を現実に戻し、アヴィスーツの姿を探す。いつの間にか彼は、少し離れた場所にかがみこんでいた。その目前に倒れ伏した犬がいる。タシロが弾かれたように立ち上がった。
「ジョン!」
愛犬の元に駆け寄ったタシロが、安否を確かめようと手を伸ばす。それをアヴァランチが制した。左手をかざし、体の表面をなぞるように動かしている。
「大丈夫。肋骨が何本か折れてるが、命に別状はない。今すぐ病院で治療してあげるんだ」
「よ、よかった~」
再びへたり込むタシロに、アヴァランチが優しく語りかける。
「まったく勇敢な犬だな。君を助けるために、あの化け物に立ち向かったんだ。私も少し、昔のことを思い出したよ」
「えっ、もしかしてヴェネーノも犬を飼ってたの? どんな犬? ジョンみたいな柴犬?」
「いや。ただ、大事な家族だったっていうのは、君の犬と同じだったな」
家族。そう言われたタシロに、熱いものがこみ上げる。弱弱しく、だがしっかりと息をするジョンを、感謝をこめて撫でる。それを見たアヴァランチが、公園の外側に向かって合図する。先ほどからタシロをつけていた公安の刑事が、携帯端末を片手に取った。
「タシロ君。私はそろそろお暇するよ。後のことは警察にまかせるんだ。しっかりと言うことを聞いていれば、今度こそ危ない目に合わないはずだ」
「うん! だってヴェネーノが、怖い化け物をみんなやっつけてくれるからだよね! 俺、誰が何と言おうとずっと応援してるから!」
「……そうか、ありがとう。差し出がましいようだけど、家族は大切にね。一度失えば、二度と戻っては来ない。日本は私が守る。だからお父さんやお母さん、そしてジョンは君の手で守ってやれ。約束できるかい?」
「分かった! ありがとうヴェネーノ。俺、やってみるよ。頑張ってね!」
純粋な子供の気持ちにアヴァランチが手を振って応え、駆け出した。耳元に手を当て、暗号通信で仲間と連絡を取る。
『リナ。こちらアンタレス。ようやく一匹確保した。近くにいるアクーラ6と9を回収に向かわせてくれ。それと、タシロ家はシロだ。……同情だって? いや、家族の絆が俺にそう教えてくれただけだ』