鑑別診断
――昨日、新宿第三小学校で発生したハザードレベル5相当のバイオテロで、警視庁は新たに6人の死亡を確認したと発表しました。これで事件の犠牲者はあわせて1506人となり、日本で発生したバイオテロの中では、過去最悪の被害となりました。新設されたばかりの警察庁生物兵器対策群によって鎮圧されたこの事件ですが……。
――東京環状線を走行していたスターライト・バレットのアヴィスーツに関して、WHO日本支部は、その詳細を明らかにしませんでした。しかしテロの標的となった新宿第三小学校でエージェントを見たという目撃証言があることから、何らかの形で関与していたことは間違いなく……。
――次のニュースです。昨夜東京湾を漂流していた貨物船ですが、今朝がた調査に入った海上保安庁の報告で、中に人はおらず、積み荷だった牛肉や穀物といった食料品が全て消失していたことが判明しました。この不可解な状況に対して、警視庁は事件の可能性を認め、本格的な調査に乗り出すことを発表しました。
昨日、新宿区の小学校で生体兵器による大量殺人が行われたばかりということもあり、テロ組織によるバイオテロの可能性も疑われ、今後十分な警戒が必要だと思われます。では次は今日の東京の天気を……。
10時16分。東京都千代田区、御茶ノ水を流れる神田川の岸辺に、それはあった。全長十メートルの体が岩のような外殻に覆われ、長い尾の先に鋭い針、前脚に鋭い鎌が生えている。ハザードレベル5、出現すれば甚大な被害をもたらすシャコ型生体兵器、ハルマゲドンの死体が、いくつものブルーシートに覆われていた。
周囲には腐臭が漂い、排ガスで汚れた空気を一層よどませている。その中を警察の鑑識がせわしなく動き回り、細胞片や足跡などを慎重に採取していた。付近には多数のマスコミや野次馬が集まり、厳つい表情の警察官を押しのけるように顔を伸ばしていた。
「じゃあ、こいつは昨日お前が倒したやつと同じ時期に東京に持ち込まれたのか?」
「はい。ハルマゲドンは成長速度が一律で、周期も乱れません。この死体は成長しきった最終形態。つまり昨日私が駆逐した個体と同時に生まれたものだと思います」
「なるほどな。じゃあ、その死体が何故こんなところにあるんだ? 腹ペコで餓死したわけでもあるまいし」
『ある意味、そう言えるかもしれません。鑑識の簡易検査と私のスキャニングの結果、この個体の胃は空でした。最悪の状況です』
ブルーシートの内側、土手に引き上げられたハルマゲドンの死体のそばに、二人の青年と、一体のMFDが立っていた。黒いスーツを纏い、いかにも体育会といった精悍な顔つきをしている男が、怪訝そうな表情を浮かべる。警視庁公安部、公安機動捜査隊の牧本が灰色のMFDに問いかけた。
「確か、グラウだったか? それはどういうことだ? 強力な生体兵器と呼ばれているこいつも、今じゃただの肉の塊だ。寿命か病気かは知らんが、脅威レベルはまさしくゼロなんじゃないのか?」
「産卵ですよ、牧本さん。ハルマゲドンは単為生殖が可能なんです。餌を喰らい尽した後、卵をちょうど10個だけ身籠り、エッグチャンバーでふ化直前まで守ってから産み落とす。それが最悪と言われるハルマゲドンの、もうひとつの脅威なんです」
グラウの隣に立つ青年、アンタレスがハルマゲドンの腹を見ながら口を開いた。黒いスーツに革手袋、内側には肌に張り付く黒のスキンスーツを着込んでいる。肌が首の上までしか露出しておらず、くすんだプラチナ・ブロンドを短く切りそろえている。顔立ちは二十代後半と若く、整った顔立ちは欧州の貴族を連想させた。
ハルマゲドンの腹部は大きく裂け、中には何本もの管と、粘液が付着していた。摂取した栄養をすべて使い、卵を生み落とした証拠だった。それを見つめるアンタレスの視線は鋭く、揺れていた。握り込まれた革手袋がミシりと軋み、手の汗で中が蒸れる。
「牧本さん。早急に卵を探し出す必要があります。このまま野放しにしていれば、パンデミックが起きてしまう。そうなれば被害はあの学校だけにとどまりません。今すぐ捜索隊を組織すべきです」
「パンデミック。生体兵器の増殖による被害拡大か。だがどうする? 生対は昨日の戦闘で部隊の半数を消失している。卵だけなら、俺たち公安や刑事課の連中だけでも対処できそうだが」
「いえ、卵がすでにふ化している可能性もあります。生まれたばかりの幼体でも、アヴィスーツ1体に匹敵する戦闘力は持っています。装備が整っていない状態で、うかつに手を出せば危険です」
「ちっ、警備部の連中が装備を横取りしなければな。あの20式と生対設立の予算だって、本来はうちのものだったんだ。折角、お前たちの会社が骨を折ったっていうのに」
牧本がくやしそうに拳を叩く。
スターライト・バレットはWHO日本支部が雇用し、東京で増大するバイオテロに対処するために派遣した、生体兵器専門の軍事会社だった。独自の諜報網と最新鋭アヴィスーツによって、バイオテロの予防と鎮圧を行う。
東京でも、VRMMOとナノマシンを利用した人造兵士の生産の阻止、東京で闇オークションにかけられた生体戦車、ケンタウロスの暴走の阻止など、幾多の作戦に従事してきた。
任務の性質上、警視庁とは協働して事件に対応しているが、つねに様々な派閥争いに巻き込まれ、思惑と陰謀の渦中にいる。強力な助っ人を歓迎する者もいれば、金に群がる傭兵を嫌悪する者、外部の人間に自国の領域を侵されたくない者など、決して一枚岩ではなかった。
「政府も権藤警視正も、お前たちのような外様が気に入らないからって無理やりすぎるんだ。目くじらたてても、国民の命が守り切れるわけでもあるまいし」
「ですが、あなたたち公安は私たちに力を貸してくれているじゃないんですか。はじめのうちは、彼らと同じような扱いだったのに」
「今更だな。俺たちは住み分けができると気づいただけだ。共同で事件を捜査し、お前たちがテロを鎮圧、俺たちが犯人を逮捕する。利害の一致ってだけだよ」
「それでも、今もこうして牧本さんと一緒にいられることに感謝していますよ」
「……言ってろ」
牧本が居心地悪そうに髪をかきむしる。
スターライト・バレットが日本で活動するようになり、公安とは良好な関係を築くことができた。だが同時に、日本のバイオテロに対応するはずの警視庁警備部との関係を著しく悪化させた。
アンタレスたちが戦力として強力だったが故に、警備部の存在意義は奪われ、国民から無能、お荷物、税金泥棒などと、散々な評価を下されるようになった。皮肉にもそれは、スターライト・バレットが活躍する度に肥大化し、今ではバイオテロに対する主導権が、ほとんど警備部の手から離れてしまった。
「まったく、内輪揉めしている場合じゃないってのにな。時々本当に面倒くさくなる」
「私が言うのもなんですが、私にも彼らの気持ちは分かる気がします。自分たちの有用性を証明する、何かを守るためには力がいります。私たちがアヴィスーツの技術を提供したのも、あなたがた警察の一助になればと考えたからです。それを警備部が欲しがるのも、無理はありません。あらゆる脅威から市民を守る。それが彼らの使命のはずです」
「そのために奴らはどれだけ多くの犠牲を払ってきた? 自分たちの力を誇示するために20式を奪い、独断専行した挙句に身内までをもむざむざ死なせた。だからお前も、あの時警視正に食ってかかったんだろ?」
「確かに、子供たちの命を軽視した権藤隊長は間違っていると思います。ですが誰しも後悔はしたくないはずです。特に大事なものがかかっている時は。その点では、私と彼らは何も変わりません」
牧本の追及に、アンタレスが目を伏せた。悲しそうに、やりきれない想いをこぼすように地面を見つめる。
警察が国内の企業と共同開発した20式には、スターライト・バレットの使用するアヴィスーツの製造元、マキナワークスから提供された技術が使用されていた。それまで日本で使用されていた19式とは比べ物にならないほど高性能で、他国のアヴィスーツより抜きんでた能力を持つ。
手に入れることができれば、外部の傭兵に頼らずとも、自国のみでテロに対抗することが出来る。そう考えた警備部は、スターライト・バレットを嫌悪する勢力と手を組み、邪魔な存在の締め出しを謀った。
公安主体の新部隊の設立計画を横取りし、配備される予定だった装備を根こそぎ奪い取った。スターライト・バレット寄りである公安をけん制し、自衛隊、レスキュー隊の親スターライト・バレットの人間をあえて部隊に組み込むことで、間接的にアンタレスたちの行動を妨害しようとした。
日本による、日本のためだけの力、警察の存在意義を取り戻すために。
「結局、私たちは失敗してしまいました。生対はハルマゲドンに壊滅させられ、私は奴の作り出す地獄から、子供たちを救い出すことができなかった。アヴィスーツという対抗手段を持っていながら」
アンタレスの脳裏に、過去の光景がフラッシュバックする。黒い悪魔に貪られ、儚げな笑みを浮かべながら飲み込まれていく少女。最後に紡がれた言葉、――ごめんなさい。わたし、あなたのこと……。震える唇が告げかけた告白が、いまだに胸の奥でくすぶっている。
後悔と怒り、どす黒いタールが胸を焦がしていく。たったひとつの命さえ、守ることさえできなかった。もっとうまくハルマゲドンと戦えていれば、強力なアヴィスーツがあれば、あの少女を失うことはなかった。
「いい加減にしろ、アンタレス」
とめどめなくあふれ出す感情の噴流が、牧本の怒声によってせき止められた。
「お前がセンチになってる理由は知らんが、うぬぼれるのも大概にしろよ。所詮人間なんてちっぽけな存在だ。できることには限りがある。それは俺も、生対も、お前も同じだ」
「…………」
「だが、あの時、お前は確かに救ったんだ。生対の連中が功を焦り、余計に被害を広げた中で、お前はお前のできることをして、最大限の結果を出した」
「たった10人だけでも、ですか?」
「そうだ。お前だから、10人も助けられたんだ。それは誰にも否定できない。例えどんなお偉方だろうがな。それはお前が一番分かっているはずだ」
牧本がアンタレスの肩をこづく。責めるのではなく、励ますように、拳に熱い想いが込められている。不器用で、まっすぐで、偽りのない感情に、アンタレスも思わす微笑んだ。
「……牧本さん、ありがとうございます」
「あー、やめだやめ! 辛気くさい。俺に感謝してるんだったら、せいぜい公安のために死ぬ気で働いてくれ」
「了解です。これ以上、誰も殺させはしません」
アンタレスが力強くうなずいた。
過去は振り払えない。だが今はある。前を向いて、歩いていくしかない。アンタレスはそう自分に言い聞かせ、牧本のほうを見つめる。うなずき返してくれた公安の仲間に応えようとして、遮られた。
≪おっと。お楽しみのところ悪いが、たった今うちの社長からあまり嬉しくないニュースが入った。男同士、イチャイチャされるよりよっぽどマシなものだけどな≫
突如、グラウから発せられた女性の声に、牧本が怪訝な表情を浮かべた。グラウは戸惑ったように身じろぎし、数十メートル離れた声の主の方を向く。
『マスター・リナ。私の発声機能をいきなりジャックしないでください。お二方とは直接会話なさればよろしいでしょう?』
≪バカ言うな。そんな胸糞悪いにおいのところにいたら、折角のコーヒーがまずくなるだろ。数少ない、私の楽しみなんだからな≫
『ならお手元のコーヒーを飲んでしまえばよいのでは? においと音から察するに、残りは数ミリリットルほどしかありません』
≪あー、分かった分かった。お前の鼻と耳のよさは流石だけど、空気は読めないらしいな。まったく、しょうがない奴だよ≫
そう言って彼女、スターライト・バレットの諜報エージェントのリナは、携帯端末から手を放し、右手に持った缶コーヒーを飲み干した。
流れるようなブロンドのロングへアーに白い肌、深く蒼い瞳を持つ。見た目は貴族のお嬢様といった気品に溢れているが、胸の豊満な果実を抑え込むライダージャケット、美しい脚のラインを包むジーパンが、彼女が活発的な性格であることを物語っていた。
≪グラウ、話の途中で悪いが、お前はもう少し向こうのほうを調べてみてくれ。どうも鑑識の連中は、何かが気になって作業に集中できないようだしな≫
『了解しました』
グラウがリナを盗み見る鑑識たちをけん制するように見渡し、全身のセンサーを作動させながら川下へと駆け出した。
リナが缶を掲げてそれを見送り、勝気な笑みをたたえながらアンタレスたちの元へ歩み寄ってくる。が、においが我慢できないのか、顔をしかめながら手を顔の前で振り回していた。
「なぁ、アンタレス。本当にあれがお前のところのエージェントなのか? 個性的な連中ばかりの集まりなのは分かるが、俺にはただの生意気なお嬢ちゃんにしか見えないぞ」
「ああ見えても、リナは重要な戦力ですよ。彼女の情報工学の知識、そして情報処理能力には幾度となく助けられてきました」
耳元でアンタレスに囁きかける牧本を見て、彼らの元に到達したリナが顔をしかめた。
「おいおい、私の目の前で悪口を言うとはいい度胸をしてるな、牧本さんとやら。まぁ、いい。アンタレス、社長からの伝言だ。私たちは即、ハルマゲドンの幼体、あるいは成体の捜索、駆除にかかれということだ。後からWHO名義の正式な依頼がくるが、さっさと行動すれば虫の始末もはかどるって寸法さ」
「相変わらず手が早いな、エルタニンも。じゃあ、そこに転がってる個体はやはり?」
「本命ってことだろうな。小学校で一匹が暴れている間、そいつはごちそうをたらふく食って、お産に備えてたんだ。シンプルだが、実に巧妙だな」
リナの答えに、アンタレスが考え込むように顔を伏せた。少数精鋭で迅速に事案に対処するスターライト・バレット、その社長であるエルタニンの指令を、かみしめる様に反芻する。
エルタニンは大胆不敵な策略家だった。あらゆる角度から可能性を算出し、何十手先もの未来を見通す。だからこそ、わずか数年でスターライト・バレットの地位と権力を高めることができた。
その彼女が行動を促した。即ち、事態は予想以上に深刻になりつつあることを示している。
「おい、俺にも分かるように説明しろ。ハルマゲドンの幼体を早く見つけ出せばいいんだろ? 警察には手は出せないしれないが、今すぐ捜索隊を組織して……」
「はたして、こいつを見てもそう思えるかな?」
牧本の言葉をリナが遮り、手元の携帯端末を操作する。アンタレスと牧本の端末が、同時に震え出した。
「これは、ファイル付きのメールか? 送り主は」
「私だよ、牧本さん。アドレスを聞くのがメンドかったから、そっちの端末に直接侵入させてもらった」
「は?」
牧本が呆気にとられた顔でリナを見つめる。その顔がすぐに怒気に染まった。
「お前、それが本当ならただでは済まさんぞ。協力者とはいえ、警察官の端末のデータを無断で引き出すなど」
「まぁ、そう怒りなさんな。悪いとは思ったけど、こっちも急を要するんでね。それにこいつはあんたらにとっても役に立つ情報のはずさ」
リナが不敵な笑みを浮かべ、手を振って端末を見ることを促す。憮然とした表情のまま、牧本が液晶を覗き込む。それに倣い、アンタレスも自分の端末を確認した。
彼らのすべてが止まった。
映っていたのは、真っ赤な海だった。どこかの室内、金属質の壁がどす黒く染まり、血だまりの中に得体のしれない足跡がいくつも残っている。
その中に、作業服を着たいくつもの死体が転がっていた。上半身と下半身が分断され、欠損した四肢はかじられたかのようにボロボロだった。ほとんど残っていない臓器から、無数の骨が突き出している。
画像が切り替わり、別の異界が表示された。薄暗い空間に輸送用コンテナが満載されている。仕切りのない広大なスペース、四方の壁にはアルファベットと数字が描かれ、天井につり下がった細長い電灯が、弱々しく瞬く。
どのコンテナも外側からこじ開けられ、牛、豚、様々な肉や穀物、魚に至るまで、ありとあらゆる食品が喰い荒らされていた。
画面越しでも腐臭が伝わってくるような、むごたらしく、生理的嫌悪感を増長するような光景。最後に映し出されたのは、無色透明の破片らしきものだった。それは昨日、小学校で無数に散らばったものと形状が一致する。
こみ上げる胃液を抑え込む牧本を尻目に、アンタレスがつぶやいた。
「……ハルマゲドン」
怒りと憎悪が静かに、ドロドロと流れ出す。牧本は口元に手を当てたまま目を見開き、リナは視線を逸らして息を吐いた。
「落ち着いてくれアンタレス。まだ話は終わっていない。こいつは今朝、WHOが海上保安庁から入手したデータだ。中身は、昨日から東京湾を漂流していた貨物船の船内の様子。状況から見て、何らかの生物に襲撃され、あらゆるものが捕食されまくってる」
「お嬢ちゃん、まさかそれがそこにいるハルマゲドンの仕業だっていうのか? 漂流船のことは俺も知っているが、なら昨日の小学校に出てきたやつは?」
「日本に持ち込まれたのは、一体だけじゃなかったってことさ。画像データと一緒に添付したファイルを見てくれ。漂流していた貨物船の積み荷と乗組員のデータだ。ざっと計算してみたが、こいつらのカロリーは、ハルマゲドンを成体まで育てるのに、充分すぎるほどの量がある。二匹なら余裕、均等に分配されたと仮定すれば、五匹はまかなえる」
質問をぶつけた牧本が、信じられないといった表情でリナを見る。ファイルには貨物船の所属、積み荷の品目、船体の見取り図、乗組員のパーソナルデータに至るまで、あらゆるデータが揃っていた。これほどの情報をリナがひとりで収集し、更にハルマゲドンの数まで予測した。
疑念を晴らすべく、牧本がアンタレスのほうを向くと、彼は黙って首肯した。リナに対する信頼が、瞳に強く込められている。
「リナ。神田川に現れた個体の卵だけでなく、他にも複数のハルマゲドンが侵入した可能性があるんだな? なら一層、俺たちだけで対処するのは難しいぞ。発見が遅れれば、それだけ被害は大きくなる。各機関に協力を仰いだ方がいいんじゃないのか?」
「それに関しては問題ないな。うちから609マリーンズを派遣することになった。こいつらだけで東京全土はカバーできる。私たちは腰を据えて、害虫探しができるってわけさ」
「609、ルサルカたちか。確かに陸上だけでなく、水中も移動するハルマゲドンの追跡にはもってこいだが、部隊単位での投入だろ? よく政府の許可が下りたな」
「生対にお前の手柄を譲ったのが効いたのさ。役立たずにのさばられるより、よっぽどましだろ。汚れ仕事がお似合いという点においては、どっちも同じだけどな」
ばっさりとしたリナの答えに、アンタレスが複雑な表情を浮かべる。彼女の言葉には棘があるが、それを抜き取れるほどの反論が思い浮かばなかった。
初任務を失敗したばかりか、大多数の被害が出た生対、警視庁に対して、スターライト・バレットはある取引を持ち掛けた。小学校での戦闘内容を隠匿する見返りに、生対設立前に策定されたマキナワークス製アヴィスーツとMFDの稼働数を、従来の通りに戻す。
少数精鋭主義のスターライト・バレットでは、対生体兵器用ロボットであるMFDを複数体所有し、同型機10体による部隊をいくつか編成していた。重火力、砲撃支援の241機甲部隊、空戦、特殊兵装搭載型の324航空中隊、グラウの所属する諜報、工作、電撃戦を主任務とする505機動師団など、様々な作戦に独自に対応できるようになっている。
かつては複数のMFDを作戦に随行させられたが、警視庁はこれを戦力過剰として、日本国内での稼働可能数を極限まで切り詰めた。結果、作戦中は一体しかアンタレスに随伴できなくなり、スターライト・バレットの作戦稼働率は大幅に低減した。
「いいのか、リナ? ルサルカは一度動けば、一切妥協しない。責任は俺が負うが、もしも異議があるなら俺からエルタニンに抗議するぞ」
「何言ってんだよ。別に誰かを取って食おうってわけじゃないんだ。ハルマゲドンの相手には、あいつらが一番適してる。お前だってそう思うだろ?」
609海兵部隊はMFDの中でも特に任務に忠実で、攻撃的な部隊だった。水中戦を得意とし、グラウと同等の超AIによって敵を追いつめ、貪り喰らう。だが、その冷酷さの対象は敵だけに及ばない。任務のためならば、戸惑いなく味方を切り捨て、無関係な存在にも配慮しない。
そんな彼女たちの攻撃性を誰よりも気にかけているのはリナだということを、アンタレスは知っていた。MFDのソフトウェア、超AIの生みの親でもあるリナは、自分の作り上げたAIに愛着を持っている。彼女の口調は強気だが、かすかに不安や戸惑いのにおいがにじみ出ていた。
「おい。お前らがまた何かやらかしたのは分かるが、急を有するなら、ボサっとしてる暇はない。化け物はまかせるが、ホシは俺たちであげさせてもらう。犯人の手掛かり、持ってるんだろ?」
微妙な空気を取り払うように、牧本が声をあげた。
「おやおや、やる気満々だな牧本さん。でも、手掛かりねぇ。そんなものあったかな?」
リナが牧本をからかうように、顎をしゃくって空を仰ぐ。
「ふざけるなよお嬢ちゃん。人の命がかかってる。それくらい分かってるはずだろ」
「どうかな? 分かることと言ったら、敵がかなりの資金力を持つ組織、あるいは個人だということ。その目的がいまだに不明だということ。この程度じゃ、何も分からないのと一緒さ」
「ちっ。確か、ハルマゲドン一匹の相場は250億円相当だったな。目的に関しても、貨物船や小学校で大規模テロを起こし、卵をばら撒いた以外に動きはない。目的がないなら単に日本に対する攻撃か、個人なら恨みって線も考えられる。最近は自衛隊の海外派兵や、生体兵器マニアの暴走も目立つからな」
単に怒りをぶつけるのではなく、リナの発言から冷静に状況を分析する。その牧本の態度に、リナの口角がつり上がった。
「なるほどね。言い忘れてたけど、フェリーの乗組員53人のうち、4人が行方不明になってるんだった。身元を調べたけど、偽装されててどこの誰だかは分からない。そして犯人の一味と思われる人間が、昨日の小学校にいた可能性がある。これくらいなら、少しは手掛かりになるかもな」
新たな事実に牧本が呆然とする。したり顔のリナに牧本が怒気を浮かべるが、あきらめたようにため息を吐いた。
「お前、はじめからそれを言えばいいんだよ。そんなことで、よくアンタレスと一緒に仕事ができるな」
「当然だろ。ただ情報だけもらって、何も努力せずに手柄を立てようなんて奴、信用できないからな。でも、あんたはアンタレスに協力的で、判断力もあることが分かった。アンタレスが缶コーヒー並みに甘い分、わきを固める私たちがちゃんとしないとな」
「そうかよ。お前たちが警察を信用できないのは、くやしいが分かる。信用は、俺たちの行動で示していくしかないだろうな。アンタレスが甘いのは俺も同感だが」
「だとさ、アンタレス。良かったな、話の分かる奴が私たちの味方で。これなら、今回は気持ちよく仕事ができそうだ」
「リナ、それに牧本さんまで、勘弁してくれ」
リナの無礼な態度をフォローしようとして、逆にいじられてしまったアンタレスがそっぽを向く。だが悪い気はしなかった。彼女の皮肉やからかいに害意はなく、むしろ物事を真剣に見極め、向き合っている。
束の間、三人の間に笑みが生まれた。
「さて、牧本さん。あんたがた公安に頼みたい仕事がある。多分現状で、これが犯人につながる唯一の道だ」
真剣な表情のリナが端末を操作し、新たなデータを転送した。
「これは、数十人分の個人情報、しかも学校の生き残りの連中じゃないか!」
「その通り。あのバイオテロ、もしかしたらそこの誰かに手引きされたかもしれないんだ。あんたがたには、そいつらの日本での動向を探ってもらいたい。勿論、監視も忘れずにな」
彼女が牧本に渡したのは、昨日の小学校に居合わせた人間のリストだった。権藤や溝口を含めた生対の隊員、数人の学校の教師、さらに生き残った子供たちまで記録されている。
「馬鹿な、根拠は何だ? 俺たちに身内まで疑えっていうのか」
取り乱した様子の牧本をよそに、リナがアンタレスに目配せする。根拠を話すかどうかの意思確認だった。アンタレスがリナにうなずきかけ、一歩踏み出した。
「牧本さん。理由は話せませんが、あの時のハルマゲドンは何らかの電波干渉、おそらくは外部からコントロールされていた可能性があります。しかも学校の敷地内でです」
「っ! だが電波だって? そんなことは今まで一度も」
「はい。だからこのことは、あまり外部に漏らしたくないんです。特に今回のテロを起こした犯人には。おそらく敵にとって、これは知られたくない秘密のはずです」
「……なるほど、お前が言うなら本当のことなんだろうな。どうやらこいつは思ってた以上にしんどい山になりそうだ」
考え込む牧本を前に、アンタレスは後ろめたさを感じていた。信じてくれる協力者に対し、嘘をついてしまった。今回の発見を知られたくないのは、犯人だけではない。アンタレス自身も、事の詳細を伏せておきたかった。
WHO日本支部での解析の結果、アンタレスが摘出したハルマゲドンの脳には、何の痕跡も残されていなかった。否、消されていた。何らかの有機物が溶解し、わずかながら残りカスが付着していた。そして脳が発信していた謎の暗号パルスは、リナの解析によって、学校内で受信されていたことが判明した。
その事実を突き止めたのは、ヴェネーノに記録していたパルスの波長データ、それを受信したアンタレスの能力だった。
――だから、本当は初めてではなかった。あの時も、彼女の声に混じってノイズが入り乱れていた。今はまだ、彼の秘密は守られなければならない。
「よし、俺は今から本庁に戻って体制を整える。お前たちは、一匹でも多くあの化け物どもを狩ってくれ」
「分かりました。牧本さん、今回もよろしくお願いします。リナ、俺たちはどうすればいい?」
「まず羽田空港で空輸されてくる609たちと合流する。お前は奴らが持ってきた専用アヴィスーツを纏って、そのまま捜索に当たってくれ。すでにエルタニンが捜索区域での使用許可を取ってある。早くしないと、待ち合わせに遅れるぞ」
「了解だ。行こう!」
三人が取るべき道を確認し、別れた。土手に上にはすでにグラウがバイクモードで待機している。アンタレスが決意と共に拳を握り込む。今度こそ、ハルマゲドンによる地獄を終わらせる。
アンタレスの心情を読み取ったリナが、彼を励まそうと肩を叩こうとした時、片手に持ったままだった空き缶の存在に気づいた。
「大丈夫さアンタレス。何たってこの私がついてるんだからな。きっとうまくいくだろうさ」
リナが笑みを浮かべ、前を向いたまま、それを横に放り投げる。
放物線を描いた空き缶が、自販機横のゴミ箱に吸い込まれていった。